第03章 それぞれの事情
016 > 夏休み終了後・直次郎(その1)
夏休みが明けて2日目。
辰樹が来ないことを不審に思った直次郎は、柄にもなく心配していた。
夕方6時から始まる授業の後の束の間の休憩時間に
「おい、幸太。お前、なんか聞いてるか?」
「ん? 何を?」
後ろの席に座っている一ノ瀬幸太に質問した。このクラスでは1番の情報通、つまり先生を
「滝川だよ、滝川。2日来てねぇだろが」
「……なおさん、この1週間でだいぶ変わったね」
「ぁんだよ、それ」
「初日に『知り合いじゃない』って言った後に2人していきなり教室から出てくしさ。戻ってきたらなぁ~んか、滝川だけ顔赤いしさ。なんかあっただろって思うのがスジじゃん?」
「なんもねぇって!」
(あの時はよ! なんだこいつ、とは思ったけどよ!)
訝しむ幸太の視線を逸らすように直次郎が視線を泳がせる。
(まさか滝川がΩで、とか言えるわきゃねぇだろ! そもそもウソかももしんねぇし……)
直次郎のその様子を眺めながら幸太は
「フ~~ん?」
怪しい、と言いたげな顔をしている。勘の良い幸太のことだ。いずれ、何らかの形で辰樹についてのことが知られるかもしれない。
だが、本人が『言わないでくれ』と言ってたのだから、それだけは守りたい、と直次郎は少なからず辰樹を
(モシの成績が上がった恩もあるしな……)
「とにかく……何か知ってるか? イトカーからとか……」
「ん~、一応、体調不良、って連絡があったらしいよ。なんか、ああ見えて『体が弱い』って本人が言ってたんだって」
「ぁあ゛?!」
(あんな格闘家の
直次郎は心の中で突っ込みつつ、だが
(まぁ、でも体調悪いっつうなら、礼代わりにお見舞いとか行った方がいいか? ……でも、家知らねぇしなぁ……)
1週間勉強を見てもらったお返しをしないといけないだろうな、と考えていた。
それもそのはず、直次郎は、自分の成績が上がったのは、最近できた友人のおかげだということを親に言い触らしていた。
言い触らすという言い方は少し違うのかもしれない。
正確には
『新しくできた面倒見の良い頭がいい友達』を自慢していた。
母親からは
『隼人くんから教わればいいじゃないの』と言われていたが、それはあまり現実的な話ではなかった。
幼馴染の荻原隼人とは同じ高校と予備校に通ってはいるものの、偏差値の格差は埋めがたかった。流石に別のクラスで勉強に励んでいる彼に迷惑をかけてまで自分の勉強を見てもらうことはよくないだろう、と知能指数が低いながらも直次郎は考えたのだ。
この予備校でも直次郎と隼人が幼馴染であるという事実を知っている者は幾人か存在するものの、予備校では完全に隔離されているような状況のため、彼ら2人に接点があることなど知らない連中がほとんどだった。
同じ予備校に通っていても、隼人のクラスと直次郎のクラスは階も別であり、授業の進度も難易度も違う。そもそも同じ高校に通ってはいても、高校ですら隼人の特進クラスと直次郎の普通科クラスでは教科書からして違うのだから当然のことである。
(これ以上迷惑かけられないだろ……)
隼人自身が迷惑だと言うはずはないのだが、直次郎が隼人にかけた迷惑は数知れない。
一番は、隼人の左肘にできた傷だろう。
直次郎自身、自分で自分を制御できていなかった頃の荒れ方は酷く、隼人が体を張って止めてくれなければおそらく何人かの殺人既遂で今頃は少年院に入っていたかもしれない。
だからこそ、直次郎は隼人に頭が上がらない。
親の言うことは聞けなくても、隼人の説得に応じたのはそういう事情もあったからだ。
そのことを考慮に入れたとしても、隼人は自分とは違う、と常々感じている直次郎は、自分の世話をさせてしまうことで隼人自身の将来になんらかの支障が出るのではないか、と危惧していた。
(白石だって、多分……)
直次郎憧れの白石玲香が隼人に気があることくらい、だいぶ前から知っている。白石も隼人もαなのだから、付き合うにしろ、結婚するにしろ、互いに相手にとって不足はないだろう。
そう思うとβである自分の存在価値の根幹が揺らぐが、この世界がそうなってしまっている以上、仕方がない。
(ピラミッドのトップと底辺かぁ……)
自分が人口約80パーセントの底辺にいるという感覚からくる劣等感は、そうそう拭い去れるものではない。だがそれでも、隼人のような思いやり深いαもいるのだから世の中もまだそう捨てたものじゃないと思っている。
(滝川が本当にΩかどうかは知らんけど……もしそれが本当だったら……αみたいなΩ……Ωみたいなαも……いるのか?)
滝川辰樹の存在が直次郎の固定観念を揺さぶっているのは間違いなかった。
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