017 > 夏休み終了後・直次郎(その2)ー 予備校の半グレ
夏休み以降、土日も授業がある予備校での辰樹の欠席は5日間続き、9月も第1週目の半ばに入ろうとしていた────
流石に待ちきれなくなった直次郎が、担任・糸川がサボる口実に立ち寄る建物裏手の、薄暗く汚れている1階の喫煙エリアまで降りて行くと
「ああ、明日から普通通り来るらしいぞ」
その喫煙エリアは予備校のものではなく、建物のオーナーが屋内の喫煙を禁じる代わりに建物と建物の間に設えた簡易なものだ。
基本的に、この予備校では喫煙が禁じられている。法的に違法な現役高校生であろうと合法的な浪人生や講師であろうと。だが、たまに大教室で同じ授業を受けているはずの浪人生が複数人こんな場所に居るところを見る限り、それは建前の話であって実際に予備校側が取り締まる気はないのだろうと直次郎は感じていた。
用心深く周囲を警戒しながら
(イトカー以外は5人。1人は基礎Aの現役生だな。他はあんま見たことねぇ、ってことは浪人生か。一番奥にいる……暗くて見えづれぇ……黒いスカジャンか? あの金髪は多分、ゲキヤバい)
その場にいる男連中の人数と戦闘力を目測した。これは趣味として格闘技をやっていた直次郎がヤンキー時代に培った能力と習慣である。
「まぁ、滝川に面倒見てもらった恩義もあるよな。どうする? 家、聞いとくか?」
気軽に答えた糸川に
「え? 個人情報じゃねぇの?」
直次郎の方が驚いた。
「あ~、まぁ、そうか」
ぼんやりと答える糸川に対し、周りの浪人生たちが小声で笑う。
「イトカーに堅苦しいこと言うなって、なぁ?」
その場で似たようなタバコを吸っている一番手前の浪人生の1人が、他の浪人生に同意を求めた。その緩さがこの担任の長所と欠点なのだと直次郎は最近悟ったところだ。
「イトカーみたいなセンセェもいないと、俺ら居づらいんだわ。メンドクセェこと言うんだったら、他当たれば?」
「だよなぁ」
直次郎は気の弱そうな気配を醸し出しつつ
「はぁ……わかりました……」
その場を退散することにした。
(どこにでもいるな。こういう半グレの連中は)
自分が格闘技の経験者であることなど、この予備校に来てから滝川以外に話したことはない。元ヤンだったことは幸太にも知られているが、格技が趣味であることを知られると変な輩に突っかかられる。それが面倒になってからは表に出さないようにしていた。
(こいつら、本当に進学する気あんのか? まぁ、今の成績ではアレなおれも同類かぁ……)
他人事ながらそう思った直次郎が再び階段を登ろうと錆びた手摺りを捕まえると
「待て」
ドスの利いた声が聞こえ、空気がビリビリと震えた。
(金髪のやつだ)
こういう呼びかけを無視すると、大抵後で面倒なことになることを直次郎は経験則上わかっていた。
慌てずに振り向いて確認すると、金髪は一番背丈が低いようで、隣に立つ一番でかいのと比べると頭一個分くらい違う。
金髪のツーブロックリーゼント男が、イトカーと他の四人の後ろからそのまま声を掛ける。
「お前……どこかで見たことがあるぞ……」
「そうですか?」
直次郎がとぼけた声と表情で応えると、金髪は吸っていたタバコの吸い殻を足元に捨て、およそ浪人生らしからぬ高級そうな革靴でそれを踏みつけた。
「よく見えねぇ……おい、そいつ、こっちまで連れてこい」
こっちとは、建物の間から出て数少ない街灯で少し明るい場所だ。
「橋本さん……」
橋本と呼ばれた金髪の剣呑な空気が伝わったのか
「おい、橋本」
講師の糸川までもが訝るような声を掛ける。
(まずいな。壁と壁の間は2メートル無い。ここでミドル大振りしたら壁と他のやつに……って、同じ予備校のやつとヤリ合ったらまずいって!)
無意識に戦闘態勢に入っていた直次郎は左足の爪先を相手に向けたまま軸の右足を引き、軽く膝を曲げていた。
ここで拳を握った両手を斜めに構えていたら、金髪に何かしら気づかれたかもしれない。だが、薄暗くて足元が見えにくかったのが幸いし、他の5人に直次郎の所作を気づかれなかったようだ。
一触即発の空気を感じたところで
ジリリリリリ
予備校特有の始業のベルが鳴り響いた。
「あぁ~っと、すんませぇん! おれ、今から必修の英語の授業があるんでぇ……へへ」
「! ああ、そうだな、北野! 遅刻するぞ!」
講師である自分の目の前で予備校生同士の喧嘩が勃発したとあっては流石の糸川も何らかの責任を問われるのだろう。一瞬で自己保身を考えて直次郎を逃したところが糸川らしい。
直次郎はそう考えながら、慌てる素振りを見せて階段を駆け上がった。
(あっぶね~)
どの時間帯にあの浪人生がいるのか後で確認しておいて、浪人生が多く居る建物の2階にはあまり近づかないようにしよう、と直次郎は固く心に誓った。
(こんなところでまた問題起こしたら、今度こそ母ちゃんにぶっ殺されるわ……)
予備校に入ってからは、花のようなと称されるほど美人でありながら鬼のように気も力も強い母親にも、直次郎は頭が上がらない。
とりあえず難を逃れたことに直次郎は安堵のため息を吐いた。
翌日────
糸川の予告通り、滝川辰樹は予備校にやってきた。
先日と違い今日はどうやら学生制服で来たらしい。
先週1週間──1対1で集中特訓してもらっておいてこんなことを考えるのも何だが──嫌と言うほど高価そうなブランド服を、嫌味なほど着こなしている姿を見ていただけに、学生服姿の違和感がすごい。
「……なんで今時、学生服?」
「なんの話だ?」
右斜め前の指定席に鞄を置いた辰樹に、独り言のように直次郎が話しかける。
「いや、最近の高校で学生服って珍しくね?」
「? だから?」
「この辺で学生服の高校ってないからさ、目立つんじゃね?」
「……そうなのか……」
言われて初めて気がついたような表情をした辰樹が顎を摘んだ。
直次郎は喧嘩していた時の辰樹を思い出し、2週間前のことがすでに遠い記憶から呼び起こされたような錯覚に陥った。
(そうなんだよな……滝川との付き合いはまだ1ヶ月もないんだよ)
ほぼ誰も来ない基礎Bクラスの教室で、短い日でも3時間、長いときは6時間以上、粘り強く指導してくれた。
そのことに感謝しているが、出会ったあの夜と、翌日のあの行動はまだどこかで引っかかっている。
(まぁ、でも何も言い出さないってことは、なかったことになってんだろ。こいつがΩってのもウソっぽいし、おれには関係ねぇし)
集中特訓の間、辰樹が寡黙な人間であることはわかったが、共通の話題──格闘技の話──には食いついてくるし、腕相撲で力比べをしたりしてそれなりに友情を深めた気はしていた。
直次郎は───
辰樹はというと──初日2日間の出来事を失態と捉え──直次郎に警戒されないよう最大限気を配っていた。
それもこれも、これからの計画に必要だったからだ。
この時の辰樹は、ただそれだけの理由で直次郎との交流を深めていた────
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