第7話 白い指先がたどる関節
まだ、ねぎまは京を信じるのかどうか発言していない。オレは、そんなねぎまの、何かを思案しているような垂れ目を伺う。ややあって、「ねぇ」とねぎまが話し始めた。
「京くんって、可視光線の領域が広いんじゃない?」
「「「「可視光線?」」」」
いきなり何?
「人の目に見える電磁波の範囲。光の見える範囲。
たいていの人は、380から780ナノ。
でも、人間の能力にはばらつきがあるでしょ?
世界には、特別な色が見える人いるって分かってる。
それなんじゃないかな」
最後に「仮説だけど」と加えた。
「4色型色覚ってこと?」
ももしおがやや首を傾けながら問う。
何それ。
「「4色型色覚?」」
分からなかった京とオレに博識なミナト先生が教えてくれた。
「ネットで見たことある。
人の多くは3色型色覚だけど、4色型色覚の人がいるって。5%くらいだっけ? 確か、まあまあ少ないくらいの割合。
目の中の錐体細胞が違うとかって。
鳥や蝶はもっと見える5色型色覚らしい」
あーはいはいはい、あれね。ネットのテストでやったことある。自分は3色型色覚の一般人だった。
「5%もいるなら4色型色覚の人たちが騒いでるはず。違うね」
ねぎまはミナトの言葉を聞いて自分の意見を取り消した。
オレは成績分布の偏差値のグラフを思い浮かべる。真ん中辺りの数が多いやつ。
「んー。4色型色覚かは分かんねーけど、人の平均的な視覚とはちげーと思う。
能力分布みたいなグラフがあったら、超右の少ないとこにいるんじゃね?」
ミナトは別の例を挙げた。
「あるかも。
北斎は、ハイスピードカメラで捉えた波の形、そんなもンないときに絵に描いた。目で見て。
聴力だって、楽器の音色を聴きわけるられる人と分かんない人いるし。
人間の能力って、ばらつきがあると思う」
「京くん、すごいね。
京くんの目は、ウサイン・ボルトの脚なんだね!」
ももしおはぱあああっと笑顔全開。
最初は厨二病だとぶった斬っていたオレも、京の尋常じゃない興奮ぶりを目の当たりにして考えが変わった。本当に見えていることだけは分かる。それが可視光線の領域とやらなのかオーラ系なのかと聞かれれば、可視光線の方に軍配が上がる。オレ一応、理系だし。
「信じて、くれるん、ですか?」
京は眉をハの字にして泣きそうな顔をした。
「あたりまえじゃん。好き好きフィルターの方がロマンチックだけど」
ももしおはちょっと残念そう。
「京くん、どんな風に見える?」
ねぎまが尋ねると、京は「すっごく小さい粒です」と答える。そして加えた。
「収穫する前の麦みたいな色で光ってます」
麦色。
ミナトは京の持つスマホを指す。
「画像、加工できる? 教えて」
「はい」
ん?
今気づいた。京が敬語遣わないのってオレだけ。ちょっとモヤる。
「”可視光線”で思い出した。そろそろ日焼け止め、塗り直さなきゃ」
ねぎまはリュックの中から日焼け止めを取り出す。見慣れた。
デート中あまり頻繁にするから、最初は退屈なのかとビクついた。2、3時間で塗り直すのだそう。ねぎまは部活を選ぶとき「日焼けしたくない」という理由でテニス部ではなくバドミントン部にした。プライオリティがすごい。
一方、ももしおは何も気にしていない。だから、
「シオリン、はい」
ねぎまに無理やり日焼け止めを手の甲に垂らされる。
「めんど」
ももしおが拒否ると、ねぎまがももしおの手の日焼け止めを伸ばし、腕や顔にぬりぬりし始める。
ねぎまのNo.1はももしお。オレより自分よりももしお。自分よりも先にももしおに日焼け止めを塗る。クソ羨ましい。オレだって全身くまなく塗ってもらいたい。
京はスマホを弄り、ももしお×ねぎま、ミナトは先程の工場での爆音について話す。
「京くんに見えるきらきらと関係あンのかな?」
「どーかな。老朽化とか熱膨張って言ってたね。消防車呼ぶなって、隠蔽?」
「ネットには情報ナシ」
画像加工にはやや時間がかかりそう。その間にゆっくり船を進めよう。京の作業に合わせて横浜港の中を周回すればいい。
操舵席に戻って舵を取っていると、スマホを操作しながら京が傍に来た。
「こうなってるんだ」
と見回し、計器を1つ1つ覗き込む。
オレは京に尋ねた。
「ミナトのことは『ミナトニキ』って言わねーの?」
「失礼な気ぃして」
その言葉こそオレに失礼だろ。
「あっそ」
「なんか、あの3人、雅」
小学生のくせに「雅」とか知ってるのか。確かに3人は見目麗しい。
「まーなー」
「心ん中まで綺麗でいい人」
「ふーん」
クルージングに連れてきてやってるオレこそいい人?
「宗哲ニキは、なんてゆーか」
「ん?」
「オレのこと、どーでもいいって思ってね?」
ビンゴ。
「……」
「どーでもいいって思ってんなら、こっちもどう思われてもいー」
「……」
なんとなく分かる。
「でも変わってる」
「え?」
平凡であることには定評があるのに。「変わってる」なんて初めて言われた。
「あのとき上見たの、宗哲ニキだけ。
あんないっぱい人いたのに。
だから、宗哲ニキ、変」
「変なことしてたのはそっちじゃん。
あんなとこ、いるなよー。あっぶねー」
喋りながらも、京は手慣れた様子で画像に落書きをしている。
「オレ、変わってるんだって。
おばーちゃんが言ってた。
だから気をつけなきゃいけないって。
大人しくしてる。いつもは。
ときどきさ、自分は変だって言いたくなる。
そーゆーのってない?」
オレに同意を求めるな。
「厨二病かよ」
「ちゅーにびょー?」
京は厨二病を知らなかった。もはや過去のワード?
「自分は人と違う、特別だって思ってんの。中学2年くらいの思春期あるある。知らない?」
「知らね」
「そーゆー言葉があるくらい、普通に誰でもそうってこと」
「あの3人は、そんなんなさそ。
変なとこなくて正しくて
人のこと真剣に心配して」
知らないって怖いよなー。
ミナトが常に眠いのは雑学のインプットが異常だからだろうし、ねぎまの好奇心は、ものごとに極力関わりたくないオレには理解できないし、ももしおは恐らく、生まれたときから厨二病でこれからも厨二病であり続けると思う。凡人のオレから見れば、2人のやや変人と1羽の超変獣。
「どーだか。
京はさ、ひょっとしたら、ただ、目がウサイン・ボルトなだけかも。な」
オレはももしおの言葉を借りた。
「オレ、変な絵描いて、
お母さんに心のお医者さんに
連れて行かれたりした。
したら、おばあちゃんが
『そんなことしなくていい』
って言ってくれて。マジ嬉しかった。
なのに、
他の人に見えてること言うなって」
「お母さんもばーちゃんも心配してんだよ。
わーった。そーゆーことあったら、オレらに愚痴れ。
ばーちゃんの言うこと聞くかどうかとかは知らん。自分で決めて」
「うっす」
めんどくさいガキんちょ。
「京くん」
ねぎまが操舵室へやってきた。
「はい」
「知りたいことがあるの。教えて」
「はい」
ねぎまは京に質問する。白い指で数を数えながら。ねぎまの数え方は変わっている。1が親指の先で小指の付け根を触る。2が親指の先で小指の第二関節を触る。3が親指の先で小指の第一関節、4が親指の先で小指のてっぺん。
「1、きらきらがあると電波が悪くなるの?
2、天気と一緒に千葉の方に来るって言わなかった?
3、ここから飛んできたのを否定した根拠は?
4、土曜日は違うの?」
「ストーップ。マイマイ、顔怖〜い。そんなにガンガン言ったら、京くんが可哀想!」
ももしおが来て、京を守ようにすぽっと抱きしめる。
それでもねぎまは羅列する。白い指で数えながら。5が親指の先で薬指の付け根、6が親指の先で薬指の第二関節、7が親指の先で薬指の第一関節。もはや質問ではなく詰問。
「5、夏休みに初めて見たの? その前から見えてたの?
6、生レンレンのきらきらもそれ?
7、横浜駅西口五番街で何してたの?」
オレも怖い。今後、ねぎまに隠し事はやめよ。こうやって問い詰められそう。ねぎま方式の数え方だと片手で16、両手で32。怖っ。
あ。ねぎまの右手、親指の先が薬指のてっぺんに触れている。「8」?
ミナトは優しかった。
「答えたいことだけ話せばいいよ」
フェミニストのミナトは年齢を問わず女性に優しい。それだけじゃない。老若男女、人全て。さらに、動物にも地球にも優しい。
ミナトの言葉に、京はほっとしたようにしゃがみ込んだ。
「きらきらがあると、スマホ、繋がりません。それから……」
喋りながら、京は画像に落書きを続けた。
オレは、チャットアプリに、京、ももしお×ねぎま、ミナト、オレの5人のグループを作った。これで京の作った画像を共有できる。
真の目的は別。ねぎまの好奇心とももしおの行動力がコラボすると、相乗効果で厄介になる。放っておいたらやりたい放題。そんな2人の行動を監視できる。
前方に見えるぽかり桟橋に近づいていく。
ウミネコの声を聞きながら波に揺られた。
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