第四話

 昼休み。先日せんじつの一件で一週間の弁当抜きを言い渡された伊織いおりは、食堂に向かっていた。

 百姫ゆきと伊織の弁当は、当番制で永美えいみを初めとした家のメイドが作っている。それを無しにする、と言われ、伊織も自分で弁当を用意しようとしたのだが、ここ数日の睡眠不足がたたって遅い起床となり、いつもより軽い鞄を持って屋敷を出ることになってしまった。百姫に冷笑され、永美に小言を言われ、散々な朝だったと思い返す。

 食堂には多くの生徒が居るが、席はいくつか空いている。特に、壁際かべぎわのカウンター席は人が殆どおらず、生徒たちは何人かで固まってテーブル席に座っている。

 伊織は食券を購入し数人が並んでいる列へと続く。選んだのはカレーだ。どこで食べても一定以上の味が保証されている、万能食である。

「はい、こちらどうぞー」

「ありがとうございます」

 少し待って、流れ作業的に職員からカレーを受け取り、席へと向かう。カウンター席の一つに腰掛けた伊織は、両手を合わせて小さく呟いた。

「いただきます」

 そしてスプーンを手に取り、食事を始めようとすると──

「おや、キミは先日の。

 奇遇だね。隣、いいかい?」

「・・・・・・どうぞ」

 渋面を作る伊織に対して微笑んで隣の席に座ったのは、先日せんじつ見学に行った占い研究会の部長だった。青みがかった長い黒髪を大きな三つ編みにして肩から垂らし、赤縁あかぶちの眼鏡をかけた彼女は、どこか魔女のようにも見える。あるいは、文学少女だろうか。

「この前は見学に来てくれてありがとう。

 まだ名乗っていなかったね。私は八月朔日ほづみ風鈴かりん、知っての通り占い研究会のおさをやっている。理数科の三年生だ」

「はぁ、どうも・・・・・・」

 そこはかとなく上機嫌な彼女──風鈴に、伊織はぼんやりとした返事で会釈した。

「おや、連れないね。大抵この自己紹介をすると、『占い研究会なのに理数科!?』だとか、面白い反応が見られるんだが」

「占い研究会なのに、理数科なんですね」

「キミ、演技は向いていないな。それとも意図的に下手な演技をしているのかな?」

 図星を突かれた伊織は、目を逸らしてカレーを口に運ぶ。何故だろう、あまり味を感じなかった。

「それで、キミは? 名乗られたら名乗り返すのが礼儀だろう」

「・・・・・・木戸きどです。木戸伊織。普通科の一年生で、部活は特にやってません」

「木戸くんか、覚えよう。

 それとキミ、そこは『占い研究会に入部予定です』くらいは言ってくれても良いのだよ?」

「嘘はつきたくないので。すみません」

「だからって、素直ぎるのも考えものだと思うけどね」

 クツクツと喉を鳴らして笑う風鈴とは対照的に、伊織のテンションは下がっていく。これなら、購買で何か買って教室で食事をるべきだったかもしれない。

 おひやを飲むついでに伊織が風鈴とは反対の方向を向くと、一人の小柄な生徒と目が合った。

「あれ、木戸くんじゃないですかー! 偶然ですね!」

 栗色のボブヘアをハーフアップにした彼女は、コスプレ研究会で積極的に伊織を撮っていた女子生徒だ。伊織の顔を見るなり破顔はがんし、ラーメンのトレイを持って彼の隣へとやって来る。

「お隣、失礼しますね! 木戸くんはカレーですか。ここのカレー美味しいですよねー!」

 風鈴とは異なり、返事をする余地よち無く席に座る彼女に、伊織は無意識に閉口した。

「あ、そう言えばまだ自己紹介していませんでしたね!

 私は羽鳥はとり陽咲ひさき、コスプレ研究会の部長をやっています!

 改めて、よろしくお願いしますね、木戸くん!」

 常に浮かべている楽しげな笑みを、一層ほころばせて名乗る彼女──陽咲。伊織は背中に冷たいものを感じながら、会釈する。

「ふぅん? 私には教えてくれなかったのに、彼女には既に名乗っていたんだね」

「いえ、東雲しののめ──昨日一緒にいた女子が勝手に教えてたんですよ。俺が名乗った訳じゃありません」

 面白くなさそうな目をこちらに向けてくる風鈴に、伊織は精一杯の弁明をした。

「あれ、八月朔日先輩じゃないですか! 何で先輩がこちらに?」

「いやなに、木戸くんが占い研究会に入りたいと言うのでね、話をしていたのさ」

「えっ」

 全く身に覚えのない内容に、伊織は目を剥いた。それを聞いた陽咲も元から大きな瞳を更に広げて、パチパチとまばたきする。

「そうなんですか、木戸くん?」

「いや、俺はそんなこと・・・・・・」

「おや、照れてしまったのかな。確かに、熱烈なアプローチだったからね。口説かれているようで、こちらも恥ずかしくなってしまったよ」

 頬を染めて手を当てて見せる風鈴。そんな話をした記憶は一切無い。

 伊織の反応からそれを察したのか、陽咲は合点がてんした様子で頷き、伊織の腕を引く。

「うわっと!?」

「先輩、冗談は良くないですよー! 木戸くんはコスプレ研究会に入るんですから!

 男性の、しかも地毛じげで髪の長い人って中々いないから、ウチとしても是非ぜひ入って欲しいんですよねー!」

 対抗するように陽咲も伊織を入部させたいと主張する。こちらはまだ嘘をついていないだけマシだが、かなり話が強引だ。

 伊織の腕を抱きしめるようにして引っ張った陽咲に、風鈴の表情が無くなる。そして普段よりおっかない笑みを作ると、反対側の腕を掴んで同じように引き込んだ。

「冗談ではないよ。木戸くんはうちの部員だ。こんなに面白い星の巡り、もとい占いに興味のある生徒、他には居なくてね」

「あははー、他に居ないって意味ならウチもそうなんですよー。こんなに綺麗な髪の毛の男子生徒なんて、見たこと無いですし」

「ちょ、俺の意思は・・・・・・」

「すまない、少し静かにしてくれるだろうか」

「ごめんなさい、ちょっとだけですのでー」

 両側から腕を引かれ、綱引き状態になった伊織が抗議の声を上げるも、二人は聞く気が無い。席から身を乗り出し、伊織の身体を挟んでにらみ合っている。

「そちらは部員が沢山るだろう、来年度には正式な部活動に昇格できるのだし、彼一人くらいはこちらにくれても良いのではないかな羽鳥くん?」

「部費が足りないので、一人でも多くの部員が欲しいんですよー。コスプレって必要なもの多いんです、占いアイテムだけで済むそちらにはわからないですかねー八月朔日先輩?」

「「・・・・・・!」」

 とうとう言葉すら無くなった二人。どちらも笑顔であるはずなのに、伊織は恐怖しか感じなかった。笑顔とは本来攻撃的な表情、とは誰の言葉だったか。端から見れば両手に花と見られるかも知れないが、本人にとっては修羅場もいいところだった。

「埒が明かないな。そうだ、ここはどちらが良いか、彼に決めて貰うとしよう」

「賛成ですー。まあ、答えはわかりきっていますけどね!」

「・・・・・・はい?」

 急に矛先と視線を向けられ、伊織は当惑する。彼としては、どちらの部活にも入るつもりは無かった。もし仮に勝手に入部でもしようものなら、百姫に何を言われるかわからないのだ。

「いえ、俺はどっちにも──」

「部活の見学に来たんだ、何かしらの部活に入る意思はあるだろう?」

「見学開始は来週なのに来てくれるなんて、よっぽど入りたかったんですよねー?」

 どちらも選ばない、という選択肢は、目の前で握り潰された。どうしてこういうタイミングだけ気が合うのか。伊織の背中を、大量の冷や汗が流れる。

「ほら早く選びたまえよ。勿論もちろん、占い研究会だろう?」

「遠慮しなくていいんですよー。当然、コスプレ研究会ですよねー?」

 二人の催促に、伊織は全力で思考を走らせる。何か良い手段、というか逃げ道は無いものか。いま適当にどちらかを選んで、どちらにも入部届を出さない、という手も考えたが、生真面目な彼は自分にそれを許さなかった。

 二人に見つめられながら、一分以上考えた彼が出した答えは──

「──ど、どちらも魅力的なので、考えさせてください」

 保留、だった。


 その日の夜。百姫の部屋でゲームに付き合わされた伊織は、珍しく百姫に勝利し、機嫌を損ねた彼女に「何か面白い話をしなさい」と無茶を言われ、今日あったことを話していた。

「ふぅん。随分とモテモテなのね、木戸」

「いえ、モテている訳では無いと思いますが・・・・・・」

 話を聞いた百姫の言葉を、伊織は否定する。

 風鈴が彼に向けているのは、好奇心というか、どちらかと言うと実験対象を見るような視線だったように感じた。伊織の占いの結果がかなり特殊だったらしく、それを詳しく知りたい、といった、興味関心が近い。

 また、陽咲のはもっと単純で、コスプレさせるための人材が欲しいのだろう。当人も言っていたが、高校生でここまで髪を伸ばしているのは、かなり珍しいのだ。だから、色んなコスプレをさせたがっている。

 どちらも、恋愛的な側面はまるで無い。少なくとも、伊織はそう感じていた。

「で、それのどこが面白い話なのかしら。聞いてて微塵も笑えなかったのだけど?」

「申し訳ありません。急に面白い話、と言われましても、何も思いつかず・・・・・・」

 正直、百姫ならば伊織が苦しんでいる話をすれば面白がるだろう、という打算も無くはなかったのだが、どうやら彼女はお気に召さなかったらしい。むしろ、不機嫌さが増しているように見える。

「それと、お嬢様。部活動の件なのですが・・・・・・」

「何かしら。まさか、『どちらも魅力的』だから、決めるの手伝って欲しい、とか言わないでしょうね?」

 腕を組んで伊織へ牽制けんせいするような視線を向ける彼女だったが、伊織にそのつもりは無い。

「いえ、そうではなく。そもそも、私は部活動に入って良いのでしょうか?」

「・・・・・・? 勝手にすればいいじゃない」

 疑問符を浮かべている百姫。どうやら、自分の発言を忘れているようだった。

「そうはいきません。お嬢様がおっしゃったんですよ、仕え始めた頃に。

 『執事としての仕事があるのだから、部活動には入るな』と」

 どうやら本気で忘れていたようで、彼女は少し呆然とするも、「ふぅん?」と意地の悪い笑みを浮かべた。

「木戸は、それを律儀に守って、態々わざわざ確認までしたのね。へぇ・・・・・・ふぅん・・・・・・」

 含みのある笑顔に、伊織の首筋を冷たい汗が流れていく。何か、不用意なことを言ってしまったのだろうか。

「ねぇ木戸。その髪、こっち向けなさい。この前、私の睡眠を邪魔した罰を与えるわ」

「罰、ですか」

 その言葉に嫌な予感しかしない伊織だったが、悲しいかな、執事は主に逆らえない。伊織は座り方を変え、百姫へと背を向ける。

 すると、彼女は伊織の髪の毛に触れて、いじりだした。まず彼女の言いつけ通り手入れされた長髪をくように指を通し、持ち上げてからほうるようにして遊ぶ。それから、彼の髪を纏めていたゴムを外した。

 続けて、伊織は髪の毛を引っ張られる痛みを感じる。具体的には、側頭部の辺りからだ。

っ・・・・・・」

「ちょっと、動かないで。振り向くのもダメよ。これは罰なんだから」

 言われた通り、伊織は努めて身体を動かさぬよう、時折やってくる痛みに耐えた。彼女が何をしているのか、なんとなく予想はついているが、それをする意味が、彼にはわからなかった。

「よし、こんなものかしらね」

 五分ほど経った後、最後に髪をゴムで一つ結びにすると、彼女は満足したように手を放した。

「三つ編み、ですか?」

「面白くないわね木戸。そこはもう少し迷うなり戸惑うなりしなさい?」

 言葉とは裏腹に、彼女の声はどことなくはずんで聞こえた。百姫の部屋の鏡へ振り向くと、彼の側頭部から髪の結び目にかけて、左右一つずつの三つ編みが出来上がっている。更に、その三つ編みにはリボンも編み込まれているようだった。

「これが罰、ですか」

 言いながら、伊織は違うと確信していた。あの百姫が、『罰』なんて言葉を使ってこの程度で終わらせるはずがない。彼の視線からそれを感じ取ったのか、百姫は鮮やかな笑みを作る。

「そうよ。けど、それだけじゃ無いわね。

 木戸、アナタは来週一週間、その髪型で登校しなさい? 毎朝、私がセットしてあげるから」

「・・・・・・畏まりました」

 どう見ても男子が自らやらなそうな髪型で、しかもリボンまで使っている。これでは、他の人がセットしましたと公言しているようなものだ。恐らく、伊織に羞恥心を与え、更に周囲からの言及へ対応させて精神的に疲れさせるのが目的だろう。伊織はそう考えた。

 だから、彼は察せない。百姫が心底嬉しそうに笑っている理由も。何故彼女が、唐突に機嫌を直したのかも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る