第49話 鎮西将軍アカネマル
呑んでやることに決めた一行は翌日センジュを後にした。情勢は流動していてどのみちよくわからないのであれば、とにかく進もうということになった。極度に健康で腕に覚えのある楽観的な人たちらしい判断だとレンジは思った。
順当に旅程を稼いで、アルーシャまであと半日の距離まで来たときに、耳のいいチンチラがざわめきを感知した。
西の方角にザンベジ川から分岐させてアルーシャの街へ引かれるタマガワ上水が見える。進行方向左手の風上に注意を払いながらしばらく進むと、今度は遠目が効くゾーイが馬を止めてじっと様子をうかがいだした。
チンチラが不安そうに「なんかすごい騒ぎだよ、近づいてくる」とつぶやいて、ゾーイに確認する、「ゾーイ、見える?」
見渡す限りに広がる黄金の草原にバオバブの木が点在している。不穏を感じとっているのか、獣たちのすがたは見えない。
「あれは……軍隊? 近づいてくる……」馬を止めて地平線を見つめるゾーイの長髪が風に揺れて光っている。
四人は東のサバンナを警戒しながら馬の足を早める。
やがてレンジにも混乱した様子の声が届いて、砂煙が確認できた。
「軍隊! 速い、戦闘中」ゾーイが警戒の声をあげる。
レンジにも戦闘か、少なくともそれにたぐいする混乱状態か、作戦行動を行っているように見えた。行軍ではない、移動速度が速すぎる。
「戦争やってるぞ」ギンが手綱を締めて駆け出す準備をしながら言った。
「突っ込んでくるよ! 巻き込まれる!」チンチラが声をあげるのを合図に四人は一気に駆け出した。
ギンが「アルーシャまで急げ!」と最後尾から叫ぶ。
石畳の街道を駆けていると、今度は右手、西の方角からまたも軍隊らしい集団が目に入る。
「ごめん! 反対側に気をとられてた、気づくの遅れちゃった」チンチラが叫んだ。
まだ距離はあるが、前方で緩く蛇行する街道に別の軍隊が差しかかっている。早駆けしている騎馬の先発が間もなく街道に入りそうな距離だ。
「反乱軍だ! いったん止まれ」
ギンが指示をだして、四人は馬を止めた。
「やばいぞ、やばい。酔っぱらったノリでガンガン進んだ報いだこれは!」レンジが喚くと、
「がんがんいこうって主張したのはおまえだろ!」とギンが返す。
軍隊の展開が広くて移動速度が速い、サバンナの真ん中に身を隠す場所もない。
「よし、武器をもて、アルーシャに向かう」ギンが冷静に指示を出す。「どこの軍隊だろうが俺たちにちょっかい出してきたら斬り捨てろ」
チンチラとゾーイはそれぞれの武器を躊躇なく引き抜いた。
なんて武張った連中か。レンジは深呼吸してから背中に背負った太刀を抜いた。刀身を見ながら、そういえば女性二人は元々こっちが専門だったな、と思い出した。
緊迫の空気のなか、周囲の状況を改めて確認する。いよいよ接近してくる、先に見つけた東の軍隊に改めて目を移して四人は絶句した。大混乱を呈しながら街道に佇むレンジたちの方へ駆けてくる軍隊。それを追って黒い怪物が迫ってくる。
地を這いながら、鎌首のようにあげた上半身は人間、下半身は蛇だ。長大な槍のような武器を振り回して血煙をあげている。槍をくらった兵たちがその体を千切られながら天高く舞いあがっている。
東の軍隊は怪物と戦闘しながら潰走していた。レンジはせっかく入れた気合が抜けていくのを感じる。そうだ、ここは異世界だった。
「どでかい怪物が兵隊さんを蹴散らしながら突進してくるのが見えるけど、みんなも見える?」無視されるのを承知でレンジが聞いた。
「あれは……オロチ?」ゾーイがつぶやいた。
「なんだ!? ゾーイ」ギンが聞き返す。
「オロチ!」物知りなゾーイが素早く説明する。「コシの古代遺跡に封印されてる魔物!」
オロチ、レンジも知っている。アレクサンドリアの図書館で勉強の合間や休憩のときに目を通していたホルヘ・ルイス・ボルヘス『改訂 幻獣辞典』に載っていた。カンナビの古代帝国時代に起源する魔物だ。天然のものではない。戦争での使役を意図して魔導士の技術で創造された怪物だった。イラストは戯画化されたものだったが、特徴はとらえていた。しかし本物の、いま目の前に迫るあの凶悪と凶暴と大きさまでは表現しきれていなかった。
悪夢から抜け出してきたような怪物の咆哮が耳にとどき始める。
潰走する軍隊の中から秩序を保った騎馬とボロンゴの一団が集団を抜けて猛烈な勢いでレンジたちに迫ってくる。怪物と軍隊に動揺したレンジたちの馬が怯えて、御するのに手こずった。街道の真ん中に立ち往生して成り行きを見守るしかない。
「なんて素早い展開をするんだ」ギンが感嘆している。
オロチから逃げる兵たちとは動きも兵装も一線を画した華麗な騎馬隊と、牙を露わにしたボロンゴが四人を巧みによけて力強く駆け去っていった。レンジたちには目もくれない。彼らは逃げているのではなく、街道に入った反乱軍を迎撃する部隊だったようだ。
もうどこに退避していいのかわからない。ほどなくオロチとの乱戦に巻き込まれるだろう。四人の横を、怪物から後退する歩兵が全速で走っていく。レンジも彼らと一緒になにか叫びながら逃げ出したい気分にかられる。
動揺する馬を落ちつけながら、駆け出す方向を定めるために周囲になんとか目を配る。アルーシャに向けて必死の形相で壊走する兵士たちの大半とは別に、見るからに苦戦している様子はあるものの、秩序を保って踏ん張っている一団が確認できた。先ほどの集団といい、別系統の軍隊が混成しているのか。指揮官を中心に怪物を牽制しながら兵士達の退路を広げつつ時間を稼いでいた。
その一際華やかで屈強な一団の中でも、飛び抜けて目立つ衣装、砂煙をあげて突進する怪物とのギリギリの前線で、馬上からよく通る声で鋭く指示を飛ばしているあの声、あれは。
「アカネマル!」レンジが大声で叫ぶ。
彼女は馬上から鋭く振り向いてレンジたちを見とめた。一瞬呆気にとられた表情を浮かべると、巧みに馬を操って急いで駆け寄ってきた。
「ちょっとちょっとなにしてんのよあんたたち!」
「アカネマル~」
チンチラが笑いながら余裕で手を振った。さすが。
「パトラッシュ! この子たちを保護しなさい!」アカネマルがアヌビス族の戦士に素早く命令して、「ほらさっさと逃げなさい、喰われるわよ!」とレンジの馬の尻を鉄扇で叩く。
レンジの栗毛は驚いて駆け出した。
「そんなふうに馬を扱うな!」レンジは叫びながら街道をはずれてサバンナを全速で駆ける。
四人の後ろからアヌビス族の戦士が声をかける。
「荷物を捨てろ! 軽くするんだ」
もったいないと思う余裕はない。鞍の紐をといて落ちるものは落ちるままにした。
「そのままアルーシャまで走り抜け!」
怪物の咆哮が背筋を凍らせる。レンジは背後の恐怖を払うように全力で駆けた。
オロチを振り切ってようやくアルーシャの城門についた頃には、レンジのお気に入りの栗毛は走る力をほとんど失っていた。可哀想に、アレクサンドリアからよく頑張ってくれた。
原因はわからないが、オロチの追撃は街を囲むように流れるの上水の北側近くで衰えた。溜池に半身を浸かって唸っている。この機を逃さずにアカネマル率いる軍隊は堀の橋を渡り切って街のなかへ逃げ込むことが出来た。
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