第42話 天と地と、陸と海の境
ファロス灯台の下の資材置き場に腰かけて、ずいぶん長い間レッドを待った。優しい夜の海の音と穏やかな潮風に吹かれるうちに、高揚していた気分は落ちついた。
酔っ払って夜のアレクサンドリアを走り抜けてなにをしてるんだ俺は。
我に帰った頃に物音がしてレッドが姿を現した。どこから持ってきたのか、水を入れた皮袋と酒の入った瓢箪を手に下げている。
「上手くまいたな」
瓢箪をかかげて笑いかけてきた。空豆のような形をした水の皮袋をレンジに持たせて「こっちだ」と言って、資材のあいだに分け入っていく。灯台の内部に入れる鉄の扉があった。
「何十年も工事してる、いつになったら完成するんだろうな」
そう言いながらダイヤル式の鎖の錠前の数字を合わせて扉を開けた。
「真っ暗だから足元には気を付けろよ、登って酔いをさまそう」
それから吹き抜け構造の螺旋階段を、たまに置いてある資材につまずきながら延々登り続けた。なんて巨大な建造物だろう。目が回ってきて登っているのか降りているのかわからなくなるほどの、途方もない階段の数だった。
登り初めは真っ暗だった灯台の中は、やがて見上げる先に仄暗いぼんやりとした青い光が兆し始めた。やっと階段が尽きて、その上は建材の枠組みが剥き出しになっている。
踊り場の鉄の扉を開けると夜が明けていた。景色の壮大にレンジは酔いも疲れも忘れた。東の果てに太陽のリングが現れた。
そこは未完の灯台の展望デッキにあたる場所だった。灯火はここからさらに上に灯されることになる。
「完成すればバビロンのジグラッドを超えて世界一高い建物になるって話だけどな」
地上よりもずっと寒い。海の湿気は感じない、冷たく澄み切った風に包まれた。打放し大理石の広々としたデッキには柵もない。パノラマの北は見渡す限りの海、南はアレクサンドリアの街が尽きてサバンナにいたる。遠くにピラミッド遺跡群が小さく見える。
二人で瓢箪の酒を回し呑みした。その酒は微かなバニラの香りとともに、せせらぎのように喉を流れ落ちて体の中心でふわりと広がって眩暈を誘った。
「学生時代にも、よくここで酔いをさました」
「贅沢だ」
昇る太陽が、雲の白と空の青の輪郭をいよいよくっきりと浮かびあがらせていく。あの巨大な光源からはどんな神秘でも生まれてきそうだった。冷たい風が気持ちいい、しばらく陶然として太陽を眺めた。
それからレンジは恐る恐るデッキの端に近づいてミューズの赤煉瓦棟を探した。キャンパス中庭の噴水が先に見つかって赤煉瓦棟も図書館もマンボゥの場所も確認できた。
「俺はそろそろ商売に出る」
瓢箪を呷りながらレッドが言った。
「アレクサンドリアを離れることになりそうだ」
「どこいくの?」
「カンナビ方面かな」
「被災の混乱状態で酒どころじゃないんじゃない?」
「そういう不安なときにこそ、酒の量ってのは増えるんだよ」
瓢箪をレンジに投げ渡す。レンジはまた一口飲んでから栓を戻す。レッドがずっとレンジを見ていた。
「レッドと話すの本当に楽しかったよ。こんなに俺も笑えるんだって。初めてだ、自分が思ってること素直に話せたのは」
「その人の前にいると自分らしくなれる、その度合いが人の縁の深さだ。また会うぜ、俺たちは」
レンジはうなずいて瓢箪を投げ返した。
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