第41話 レッド3 ならず者のロマンス
今夜はヌーの煮込みとナイルパーチとポテトのフライにハツカダイコンの一夜漬け。居酒屋マンボゥの隅、いつもの席で二人はビールを呷る。
「面と向かって人の尊厳を侵害すれば、決闘の末どっちかが死ぬのはサバンナの倫理ではあたりまえのことだ。男子には鉄拳、女子には平手打ちですませたゾーイちゃんは慈悲深く上品だ」
さすがレッドだ。ゾーイの一件を話すと即座にそう答えた。
「ほんとその通りさ。なんでいつも俺たちが処分されるんだよ」
「同情する、心からな」
レッドはジョッキをかかげてビールを勧めた。
「俺まえから言ってんだけどさ、自分以外のまともな人間に会ったことがないんだよ。でもレッドには、そこそこまともかもしれない、の称号を受け取ってほしい」
レンジは拾って集めているビール瓶の蓋をわたす。レッドはありがたくない蓋を受け取った。
「ありがとよ。でもなレンジ、ひとついいか」
「何個でもいいぜ!」
「いや、称号はもういいんだ、それは納めといてくれ」
いつの間にため込んだのか、腰に下げた巾着袋からじゃらじゃらとビール瓶の蓋をだそうとするレンジを制してレッドは言った。
「この世で唯一まともなのは俺だ。おまえは俺の次ぐらいにそこそこまともかもしれない、程度だ」
「いや、それはない」レンジは手を一振りして否定した。「だって今日の服装は海賊船長みたいだし、歌と踊りの帝国とか、重症でしょ」
「おまえの異世界転生ほどじゃないだろ!」
レッドには歳の差を感じない。レンジはなんでも好きなことを自然に話すことができたし、彼の話はいつも興味深くて魅了された。
「まじめな話な」レッドは声音を変えて言う、
「尊厳と自由を奪われて、暴力まで奪われるのか? それは公正なことなのか? 俺たちはどうやって戦うんだよ」
レッドの表情が妖しい艶を帯びてきて、濃い紫色の目が煌き始める。そういう時、レンジは危険や秘密を覗き込むときのような甘美な戦慄を感じる。
「働け、金稼げ、子供作れ。学校が、大人が言ってくるのはそれだけだ。どいつもこいつもごちゃごちゃそれらしい御託を並べてきやがるけど、言ってることは本当にそれだけだ。ほかの価値はもっていない。それであいつらの言う人並みの将来ってのは、自由と尊厳を売れば簡単に手に入る仕組みになってる」
「心踊らないね、それ」
「みんな必死になって奴隷になるための競争をしてる、まともじゃない。勝手に降りたり嫌だっていうと、仲間はずれにしたりいじめられる。そんな連中とは殺す以外の付き合いようがないだろ」
レッドの機嫌が悪くなってきた。
「ぶん殴って解決をはかったおまえの彼女は正しい。俺ならミューズごと焼き払う」
レッドの目が据わっている。レンジの酔いが冷めるほど、危険な気を発散している。本気で苛つき始めた。
「嫌だって言ってんだよ、俺は」ジョッキをテーブルに叩きつける。「気持ち悪い奴らと同じ空気吸うのが耐えられないって言ってんだよ!」
やっぱりやばい人だな。
「すまん、嫌な酒にした」
「いいよ、俺もそう思う」
先ほどから視界の隅にはとらえていた。こっちの様子を探るような陰険な目つき。スキンヘッドの大男と中背の目つきの鋭い男がレッドの後ろのテーブルにいる。格好は仕事を探して流浪している冒険者風。
レンジは、さっきからなにをじろじろ見ているのかと不快に思っていた。盛りあがって少し声が大き過ぎたか、攻撃的な言辞が癇に障ったのか、
「なにが嫌なんだよ?」とスキンヘッドが二人のテーブルに声をかけてくる。
だったら静かな酒場にいけばいいじゃないか、下町の酒場で気取るな、とも思う。
ミューズの一件でイラついていたところにレッドの怒りが伝染して、レンジは酔いに任せて反応する。
「人の会話に勝手に入ってきて邪魔するような奴が嫌だってさ」
レッドはレンジに片目をつぶった。いたずらっぽく微笑みながらさらに煽る。
「レンジ、こいつらにサバンナ流を教えてやろう。挑発してみろ」
酒場で酔って啖呵を切るなんて、ならず者のロマンスだ。やってやる。挑発の文句を考える。レンジはうってつけのやつを思いだした。言ってやる、これはきっと怒るぞ。
「女神マンジャロ様かく語れり」レンジは気取った表情を浮かべてスキンヘッドに言葉を投げる、
「禿げ散らかした男は……」
「おい赤毛野郎、おまえだよ」
スキンヘッドの大男はかっこつけているレンジを無視してレッドに声をかける。レンジは最後まで言い切れなかった。
レッドはため息をついた。そんな挑発があるか、という表情だ。背後のテーブルを振り仰いで指先で連中を誘う。犬でも寄せるような仕草。
大男が剣呑な表情を浮かべて近づいてくる。二人が座るテーブルの横まで来たときに、レッドの硬そうなブーツが素早く男の膝の横に入った。体勢を崩した男の襟首をつかんでスキンヘッドを勢いよくテーブルに叩きつける。食器が跳ねて店内に大きな音が響いた。
痩せ型のレッドなのに、意外な怪力で押さえつけると、男の耳に口を寄せてなにか威嚇の言葉をささやいた。もう一人の男が慌てるが手が出せない。
メッシがこっちを見て顔をしかめている。レンジを指差して店の入り口に目をやって、外でやれ、の合図をだした。
賑やかな往来沿いのマンボゥを出て、酒場にいた二人が後ろに、レンジとレッドがその前を並んで歩く。どうやら我々はしくじったらしい。無言で人気のない場所に向かう途中、次々に後ろの二人の仲間らしい浪人、冒険者崩れ風の奴らが目配せしてついてくる。
横目でレッドをうかがうと、眉をあげて戯けた表情を浮かべた。なんだその余裕は、やっぱりこの人はどこか振り切れている。
レッドは高価そうなサーベルを持っているし、腕は立ちそうだが、レンジは今日武装していない。多勢に無勢ならその辺の棒切れでも拾ってなんとかするかと考える。酔っ払いの喧嘩で武器か、それはロマンスとは言えない。
さんざめく商店街を横切って果物を並べた屋台の横を曲がる。裏露地では占い師、もぐりの霊能士や魔道士が上目遣いで客を物色している。男娼と娼婦が世間話をしてその笑い声が響く界隈に至った。とても遊ぶ雰囲気の四人ではないと思ったのか、その筋の声はかからない。
人目がそろそろ切れる、三叉路の手前で、
「レンジ、ファロスの灯台」レッドが後ろの二人に聞こえないように素早く指示を出す。
「?」
「おまえは港側から」
次の瞬間レッドは、背後の目つきの鋭い男の鳩尾に後ろ蹴りを入れた。レンジの尻を叩いて、自分は左手の市場の方へ走る。反射的にレンジも走り出す。
そう、ここは逃げるのが一番! 背後で男たちの罵声が聞こえる。なんであんなに人数がいるんだよ! レンジは港の方へ向かって夢中で走った。
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