第29話 教師はいつもレンジを嫌った

 読み書きに不自由がなくなったレンジは聴講生としてミューズの大学部に籍を置くことになった。特別な選抜を通る必要のある魔法と霊能の実技と、試験や資格が必要な講義以外は好きに出席していいことになっている。


 しかしレンジは学校の教室というものが嫌いだった。園児の頃から規定の時間をじっと座っていることが出来なかった。教師はいつもレンジを嫌った。レンジはさらに教師を嫌った。現世ではろくな思い出がない。


「カンナビ史概説」の講義、初日。


 教室には必殺の空気が漂っている。見慣れない聴講生が一番前に陣取っていた。緩く着流した衣装はその長身によく似合っている、くせのない短い黒髪と滑らかそうな肌は、めずらしい出自の印象を与える。


 頬杖をついて、皮のサンダルをはいて組んだ足を通路に放り出している。後ろの席からもその学生の不機嫌と殺気がわかる。運悪く隣に座ってしまった学生は、ゆらゆらと不穏に揺れるサンダルに恐れをなして少し前にそそくさと席を移動した。


 レンジが組んだ足で隣の机を蹴りあげる。大きな音が響いてテキストを読む若い男性講師の声が止まる。教室の全員が息を詰めてレンジを見つめる。咳払いで沈黙を破ってから、その気の弱そうな講師がまたテキストを低くこもった声で読み始める。


「その本はもう読んだ」


 遂に、不機嫌さを隠そうともしないドスの効いたレンジの声が響く。教室の空気はさらに凍りついて温度を下げた。


「しかもおまえが事前に目を通しておけと掲示してあったから読んだんだ。その同じ本の棒読みを延々聞かされるのか? どんな授業だこれは、ふざけてんのか?」


「ここは、試験に、で……る」


 頬杖をついたまま斜め下から猛禽類を思わせる凶悪な眼でじっと睨みつけられて、その講師の声はかすれてうまくでない。


「どこが試験にでるか教えるだけなら最初にリストでも作って配ればすむだろうが。これ以上棒読みを続けるなら金返せ、嫌なら」


 レンジは教室の扉を指差して厳かに告げる。


「出てけ」


 授業が中断されて生徒達が雑談で盛りあがる教室に、気弱な講師が上役と一緒に訪れたときは、レンジはさっさと学食へ去った後だった。以来、沙汰があるまで講義には出禁になった。

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