第19話 ボブマーリー
カンナカムイの戦闘部族に守られたキャラバンは、治安が悪化している主要な街道をさけて、部族独自の遊牧のルートでアレクサンドリアに向かうことになった。街道から外れた内陸側は魔獣や危険な恐竜に襲撃される恐れがあったが、彼らの戦闘力と経験があればなんとかなりそうだと判断した。
それにしてもこの世界は物騒極まりない。レンジはチンチラの武器コレクションの中から、ギンが使っている日本刀に似た太刀を貸してもらうことにした。日本刀よりも若干反りが少ない、そして刀身は長く厚い。いまのところ飾りにしかならないが、そのうち読み書きと一緒に剣技も教えてもらおうと考えた。
目下は馬だった。馬上で剣を振って弓矢を放つなんて、どれほどの修練が必要な技術なのか。侍や世界史の遊牧民たちが圧倒的な強さを誇った事情が分かる。
俄然賑やかになった旅で、歳の近いレンジとチンチラとゾーイはすぐに仲良くなった。
「レンジ、その服めずらしい」
隣に馬を寄せてゾーイが話しかけてくる。モガディシュで血まみれになってすっかり緋色になってしまったレンジのデニムと革靴を指差した。ゾーイはサバンナで生まれ育って街にはいったことがない。レンジやチンチラに無邪気に質問を投げてくる。
レンジは逆にカンナカムイと遊牧生活のことを聞いた。
カンナカムイの部族は基本的に全員が戦士として育てられる。素質のある子にはとても古い系統だという魔法も伝えられるという。皮膚や髪の色は様々で、大柄で手足が伸びやかに長い人が多く、肥満した人間は一人もいない。精巧な工芸品、アクセサリーをたくさん身につけている。動物の皮で作ったブーツやバック、服飾品。華麗な彩色と独特な紋様が刺繍された民族衣装が、サバンナの風景に鮮やかに映えている。
ゾーイに懐いているボロンゴがレンジを警戒しながら寄ってきた。横目でちらちらと様子を伺いながら並走する。
巨大なピューマに似た猫化の獣は、サバンナと森林地帯を主な生息域にするボロンゴという獣を家畜化したのだという。馬よりも俊敏で、その牙と爪も強力な武器になる。繊細で独立心が強いので扱いが難しく数は少ない。馬と比べて持久力はないから戦闘以外では人が乗ったり、荷物を運ばせたりはしないということだった。顔つきは恐いが好奇心旺盛で、人間が敬意を持って扱えば友好的な獣だった。
「チンチラがね、レンジはドラゴンに乗って五本足の馬がいる世界から来たって言ってたよ、ほんと?」
「ドラゴンに乗ってきたわけじゃないんだけど、あと馬の足はどこでも四本だ」
「ちんちんと間違えたんだね」と言ってゾーイは笑った。
田舎の娘はちんちんとか平気で言う。
レンジは横に並ぶゾーイの豊かな谷間を見せる胸と、深いスリットの入った太ももに目がいかないように気を使った。
「ゾーイ、あれは?」
レンジが指差す先には牛に似た獣の群れが移動している。サバンナで何度か目にした獣だった、いつも大群で移動している。
「あれはヌー」
ゾーイはサバンナのあらゆる動物と植物に詳しかった。遊牧の民が生活の必要として身につける知識という以上に、彼女は動物と植物が好きなようだ。レンジが質問するといつも嬉しそうに詳しく説明してくれる。
「カンナカムイの伝承には、この世界はヌーが見ている夢だってお話があるよ」
ゾーイは伝承の一節を詠った。
「女神マンジャロ様かく語れり『知らず、我夢にヌーとなりしか、ヌー夢に我となりしか』」
どこかで聞いたことがあるような節だけど、意味はわからない。
「マンジャロ様?」
レンジはそっちの名詞が気になった。
「マンジャロ様はカンナカムイの神祖で女神だよ」
甘いような辛いような不思議な香りがする煙が漂ってくる。獣の骨で作った長く大きなパイプを馬上で燻らせながら族長が馬を寄せてきた。
族長のボブマーリー・ガンジャマンは、見上げる巨漢の強面だったが、気さくで冗談好きの親しみやすい男だった。Tレックスを一人で仕留めたという武勇伝をもっている部族最強の戦士でもある。褐色の肌に盛りあがった筋肉を誇示するような衣装、長いドレッドロックスの髪が何本も垂れ下がっている。無数の刀傷や獣の牙の傷が迫力の豪傑だった。
「ギンから聞いたぞ、おまえザンジバルでドラゴンといたんだってな」
ゾーイは無言で馬の腹を蹴って、前に走っていく。
「ゾーイ! 嫌わないでくれ!」
哀願するボブマーリーを見てレンジは笑った。
「いつもエロいこと言ってからかうからだよ」
「いつのまにあんなに育ったんだ」
族長は馬を駆るゾーイを眩しそうに眺めながらレンジに話しかける。
「あの娘には生まれつき人一倍強い巫女の感覚が備わっている。女神マンジャロ様の霊感を強く受け継いでいるんだ。目に見えない情報源からいろんなことを感受してる」
「どういうこと?」
「カンナカムイの古い伝承がある。旅をする我々は、いつか荒野を抜ける。海を渡り山を越えて砂漠を抜けて大戦争を起こす。それからカンナカムイの翼で星の世界へ渡る」
「カンナカムイの翼?」
「ドラゴンのことだ」
ボブマーリーは吐き出した煙が緩い風に散らされるのを、満足そうに眺めた。
「伝承が過去の神話か未来の出来事の予言かはわからない、時間軸もよくわからないが、ゾーイはおまえになにかを予感してる」
虚空に消えていく煙を追うような話だ。直感的なこと、もしかしたら霊的な領域のことはわからない。まあ、冷静に考えたらなにもかもよくわからないけども。
「おまえを見つけたとか呼ばれたとか、わけのわからないことを言ってたぞ。へんなキノコでも食べたのか、月のものかもしれない」
「そういうこと言うから逃げちゃうんだよ」
ボブマーリーは可笑し気に笑った。
「とにかく才能とおっぱいがあふれてしょうがない娘なんだ。広く世界を遍歴させてあげたい」
族長の言葉には真摯な愛情がこもっていた。
「アレクサンドリアには学校みたいなのがあるんだろ、有名な」
「そう聞いてるよ」
「ギンの顔が利くっていうしな。どんなところか知らないが、おまえらが一緒ならなんとかなるだろ。決めたぞ、ゾーイを送り出すからあとよろしくな」
「そんな、勢いで決めちゃうの?」
「レンジ、よく覚えておくんだぞ。暁照らす女神マンジャロ様かく語れり『起こったことは全て良いこと』」
「言い切るね、マンジャロ様」
「未来を信じてるんだよ」
「未来、そういう意味……」
「そういうわけでなレンジ、おまえもっと勢いよくいけ、美人に気後れしてるんじゃねぇぞ」
「そう見えた?」
「ありありと」
レンジが照れて顔を覆うと、ボブマーリーが大笑いしながらさらに馬を寄せてきて、太い腕でレンジの頭を抱え込んだ。
「毎日をインパラの子供のように楽しく過ごすんだ。心配しなくたってどうせすぐに気分は悪くなるし、でかい猫によく食われたりもするけどそれもまたよし。楽しむことを逃すな、遠慮もするな、起こったことはすべていいことなんだから」
そう言ってまた豪快に笑った。レンジもヘッドロックを受けたままつられて笑う。大らかなないい気分になった。
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