第18話 カンナカムイの娘

 剣戟と荒ぶる馬蹄の音が止んで、心配気なチンチラの声が響いた。


「レンジ、博士、大丈夫? 返事して!」


「チンチラ、こっちだ!」


 ギンが声をかけた。生き残った人足たちも、それぞれ退避していた場所から這い出して集まってくる。


「レンジ、無事か」


「人足のおっちゃんが……やられた」


 夜盗を一掃した集団が松明と篝火に火をつけ始める。猫科の獣と馬に乗った集団は、全員がいかつい武器で武装している。派手な装飾の衣装に身を包んでいて、体格がいい。ギンを中心に集まったレンジたちを囲む。


 ギンが口火を切った。


「賊に襲われていたところを助けていただいたようだ」


 一眼で代表格とわかる巨漢が、豪奢なドレッドロックスを揺らせながら前に出てくる。


「名乗れ」


 馬上からはっきりと、威厳のある声で命じた。ギンは素直に応じる。


「ギン・ヴェルナツキー・アッティラ。研究資料をアレクサンドリアに運ぶ途中だ」


「そうか、何人か犠牲は出たようだが、間に合ってよかった」


 長らしいその壮年の男性は笑顔を浮かべて、戦闘と緊張の終わりを表してくれた。



 レンジは野営地の後片付けをしながら、一緒に作業する人足との雑談から部族のことを知った。その集団はカンナカムイの民と呼ばれる遊牧の部族だった。フダラクやニライカナイと称される理想の地を求めて何千年にもわたる流浪を続けているという。何世代も昔の帝国が入植する前からいたのか、帝国時代に入植した部族なのかは古すぎてわからないが、帝室の血統と秘儀を受け継いだ末裔だとも言われている。いずれにせよカンナビ最古層の神話や伝統を保持する民族だった。カンナビ地方を中心にミスライム地方を含む広大な地域をその遊牧の範囲にしているがカンナビの連邦には属していない。その戦闘力があるから独立を保っていてどんな勢力も手がだせないとのことだった。


 レンジは赤い目の娘を探して目を泳がせた。すぐに見つかった。派手な出で立ちの部族の中にあっても、その娘は目を引いた。際立って美しかったからだ。猫化の巨獣を下りて、彼女もレンジを見ていた。


 目が合うとまっすぐに近づいてくる。長身のレンジほどではないにしても、背は高く、薄桃色の直毛が鬣のようになびいてさらに大きく見える。大きな目は宝石みたいに赤い虹彩だった。その瞳に松明の火が映り込んでいるのが見えるほど近くまで寄って、レンジを見つめる。


「ありがとう、助けてくれた」


 あんまり真っ直ぐに見つめられて、レンジは照れながら礼を言った。


「あ……」彼女は、あ、と口にした。


 しばらくレンジを見つめてから、ふっと微笑んで、

「ゾーイ」と言った。


 この娘の名前みたいだ。


 ゾーイは微かに目を大きくして、ふわりと形のいい眉が動いて、さらにほんの少しレンジに顔を寄せる。


 あなたの名前を教えて欲しい、っていう表情に見えた。その仕草はとても上品で友好的に感じられた。


「レンジ」


「レンジ。レンジはどこから来たの?」


 ほんのり穏やかな微笑みを浮かべたまま聞いてくる。なんだろう、こちらまで笑顔になってしまう。


「俺は……モガディシュから」


「……?」ゾーイは首を傾げた。


 質問に答えていない、あるいは次の言葉を待つという表情に見えた。


 なんだ? 不思議な印象を受ける娘だぞ。


「モガディシュにいたんだよ、その前はザンジバルで、その前は別の……」


 東京にいたはずだけど……。レンジが説明に困っているあいだに、彼女は部族の人に呼ばれてそちらに向かっていった。



 ゾーイは不思議に思っていた。みんなと野営の篝火を見つけたときにはすでに戦闘が始まっていた。その時にはもうレンジを見つけていた。あんな距離からなにが見えるわけでもないのに、見つけていた。あの暗闇の乱戦に飛び込んでいった先にはやっぱりレンジがいた。初めて会う人だった。レンジという名前も聞いたことがない。でも見つけたのだ。


 この感覚はわたしのもの? それとも誰か別の人の感覚が入ってきたのかな。ゾーイはしばらく前から、あるいは生まれた時から、ずっと何かを呼んでいるような呼ばれているような不思議な引力を感じていた。レンジなのかな……。



 ギンが交渉して、カンナカムイの族長はアレクサンドリアまでの護衛を快く引き受けてくれた。その場で夜明けの直前まで休憩と仮眠をとってから出発することになった。

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