第12話 アカネマル・キントキ

 引き続きギンはガスコイン総統への報告の後も税関にとどまって、荷物の手配を始めとする諸々の仕事に没頭することになった。暇になったレンジとチンチラは一緒に街に出かけはしたが、被災の影響で楽しみにしていたカリンバの演奏も旅芸人の興行も自粛されていた。


 二人が一足先についた待ち合わせ場所の食堂は、モガディシュが共和制に移行する以前に貴族の持ち物だった宮殿の離れをホテルに改築して作られた建物の中にあった。贅を尽くした建築と雰囲気に気後れして入れなかった二人は、大通り沿いの入り口の前でギンを待ってから一緒に建物に入った。


 港湾が一望できるテラスの席が、一番外側に他のテーブルと離されて用意されていた。陽が落ちても港の喧騒は収まる気配がない。遠いざわめきが届いてくる。欄干に等間隔に据えられた松明の火が揺れて雰囲気をだしていた。


「ここはアカネマルさんの指定?」とチンチラが周りを見回しながら聞く。


「そうだ、二人とも今日は待たせて悪かったな」


 ギンはいつも頭に巻いている手拭いをとって一息ついた。手櫛を入れるだけで明るい茶髪は整った。おっさんのくせに涼しげな目元といい、改めて見ると妙に品があるように見えなくもない、とレンジは思う。


「すごい豪華、ボクこんなところ入るの初めてだよ」


 俺だってさ、と言いながらレンジはメニューらしき蝋で固められた羊皮紙を手に取ったが、そういえば字が読めないことを思い出した。



 コツコツとせわしげな高下駄の音が響く。広いフロアの客の目を一身に集めながらも全く意に介さず、まっすぐに三人が座るテーブルに向かって傲然と歩いてくる。アカネマルは挨拶しようと立ち上がるレンジとチンチラを片手をあげてそのまま座るようにうながした。


「お待たせ、ああ疲れたわ、港が混んでるのよもう、あたし人混み大嫌い、鬱陶しいわ。見てよこれ、さっき外で有権者の汚いガキに髪の毛触られてさぁ、ひっぱたくわけにもいかないし、なにかしらこれベトベトする、ところで飲み物はもう頼んだの?」


 自分で椅子を引いて座るまでの僅かなあいだに、そのタータンチェック柄の長いプラチナブロンドを気遣いながら一息で捲したてた。なんか凄いのが来たなとレンジは思った。


 人数がそろったのを見てすぐに、給士がグラスとボトルのワインを持ってきた。


「それじゃ改めまして、アカネマル・キントキよ。ネコマタ」チンチラに挨拶を促す。


「ボクはチンチラ・イワシ」


「よろしく。いいわねぇ、その耳と尻尾、かわいい。黒髪」


 俺か。アカネマルのぞんざいで偉そうな口調に多少の反骨を刺激されたレンジはチンチラの口調を真似て答える。


「ボクはレンジ・クロバネ」


 チンチラとギンが同時に、こいつ無謀だな、という目でレンジを見る。


 アカネマルは無表情のまま無言でじっとレンジを見る。


「ごめんなさい」レンジはすぐに謝った。


 こわい、この人はヤバイ人だ。


 レンジの醜態を見てチンチラが目と鼻の穴をいっぱいに広げて犬歯を剥き出しにして声を出さずに笑っている。


「ねえねえギン、あなたの調査団の便宜を手配したのはあたしよ、人足たちも含めて。チンチラは最初からいたわよ、帰ってきたら一人多いじゃないの。この不思議な少年は何者よ?」


「報告はさっきあげたはずだが」


 ギンはメニューを見ながら答える。


「あれは陰気なアホぼん向けのおざなりでしょう。見た感じ民族系統が不明だわ、古代種かしら?」


 レンジは別に隠し事でもないし、異世界のことを話そうとも思ったが、面倒な話ではあるし、実際まだよくわからないことでもあるしで、逆に質問を投げてみる。


「総統と仲悪いんですか?」


 チンチラとギンは、こいつは無謀でさらに天然のバカだ、という目でレンジを見る。


 アカネマルはニヤリと笑って、

「あたしはカンナビ連邦総統キンミヤ・ガスコインの悪口なんて一言も言ってないわよ」と答えた。


 チンチラが料理を催促するとアカネマルは、好きなもの食べなさい、と言ってメニューの料理を彼女とレンジに解説してくれた。



 料理は魚介を中心に洗練されたものだった。チンチラがたくさん注文したせいで四人分にはとても見えない数の皿がテーブルを埋めた。レンジは給士に箸をもらって料理を堪能した。


 アカネマルはドラゴンが出現したザンジバル東海岸の様子をギンから詳しく確認した。


「確かに報告も説明もしようがないか、いまのところ、簡潔には。この子はザンジバルの爆心地で拾ったわけね……興味深いわ」


「地球、ニホン、トウキョウという世界の、異常に細かいディテールの知識をもっている。そこから来たと言ってる」ギンが説明を加える。


「地球、ニホン、トウキョウ……ヌースフィアではない?」


 アカネマルがレンジを見ながら呟く。


「ヌースフィア?」


 耳慣れない言葉にレンジが反応する。


「カンナビの古い部族の言葉で、人が認識できる範囲とできない範囲も含めた全部。ようするに世界のことだ」ギンが引き取って答える。


「違う世界……」レンジは考えながら答える。「異世界だと思う、夢でも見てるのでなければ。でも言葉はわかるよ、読めないし書けないけど。あと名詞とか地名にも聞いたことあるようなないようなものがある」


 食事に夢中のチンチラ以外の二人の視線を集めて、レンジは困り顔を浮かべる。


「俺によくもわからないよ」



 みんながデザートに取りかかり始めた頃にアカネマルが話題を振った。


「それで? ドラゴンの宝珠は?」


「見つからなかった」ギンが答える。


 アカネマルが一口大の真っ赤なフルーツを口に運ぶ手を止める。


「本当に見つからなかったの? なによ、てっきりあの貧乏くさい間抜けがいるから言わなかっただけで、持ってるもんだと」


「調査の時間が短すぎたんだ。それでも海までさらったし、オーラから呼んだ霊能士にも探させた」


「見つからなかったの? なんなのよぉ、あたしの手間損じゃない、この忙しい時に」


「見つかったらアカネマルにあげる予定だったの?」とチンチラが口を挟む。


「実際にあたしがもってなくたって、もってるって信じさせればそれ担保に幾らでもお金借りられるじゃないの、そういうもんよ」


 悪い人だなぁやっぱり、とレンジは思った。ギンに「宝珠ってなに?」と聞いてみる。


「ドラゴンの宝珠、ドラゴンドロップ、龍の涙。呼び名はいろいろだが、ドラゴンが出現した場所に落とすと伝えられてる。たんに落とすのか生成するのか分泌してるのかは例によって謎だ」


「龍のよだれでも汗でも金玉でもかまわないけど、なきゃしょうがないじゃないのよぅ。もうあんたの道楽には付き合わないわ」


 アカネマルが不機嫌に言い放って手酌でワインを注ぐ。


 金玉! と繰り返してチンチラが吹き出して笑っている。


 ドラゴンに関しては饒舌になるギンは続けてレンジに語ってくれる。


「宝珠は何らかの条件を満たすか、七十個集めるとなんでも願いが叶うって伝説だ」


「ほんとに!?」


 願い事が叶うドラゴンの宝珠って、それはあれじゃないか、ドラゴンボール。


「迷信だろうよ、七十個ってなんだよ。ただ極めて高価だ、おそらくこの世で一番高価な品だな。もってるだけで国の格式を左右するぐらいの。もってるって言い張ってる王族や大貴族、神社とか宗教関係は多いんだが、どうだかな」



 食後は、レンジは珈琲にした。三人は透明の強いお酒を小さなグラスで飲んでいる。


「やはり船は手配できないか?」ギンがアカネマルに聞く。


「無理よ、復興物資の運搬とザンジバルの難民輸送で民間の小舟にいたるまで特別措置法で徴収してんのよ。あとから送った片道三隻だってどんだけ金ばら撒いて頭下げたと思ってるの、中型のダウ船一隻だけよ、残りは陸路で運んでちょうだい」


 レンジとチンチラは椅子を港のほうに向けて、大満足の胃袋を休ませる。冴えた月に松明の炎がぼんやりと揺れて心地いい。


「ザンジバルの西海岸では東海岸から吹き飛ばされてきた瓦礫と死体が燃えあがってまだ消えていない。あの大きい島の端から端まで一瞬で吹き飛んだってどれだけよ。いまさらなにもできないだろうけど、あたしはダルエスサラームに戻る前に、立場上ザンジバルには入らないといけないのよ、なるべく早く」


「一万年の古都が一瞬で……」


「島の生活基盤が破壊されて、島内での食糧と水の確保も難しい。疫病と飢餓が発生する前に難民キャンプを設営して、生き残った住民を対岸のダルエスサラームへ移すの。とんでもない事業だわ」


 テーブルではギンとアカネマルの会話が続いている。


「まさかあんな人口密集地に出現するなんて……。それでも、もしダルエスサラーム、モンバサあたりをやられてたら復興の余力すら奪われてた」


「わかった、陸路のキャラバンを組む」


 ギンのため息が聞こえる。


「早ければ明日付でモガディシュ、ダルエスサラーム、アルーシャ、モンバサ、アスカ、ヤマトに緊急事態宣言が発令されるわ。それとこれはまだ内緒だけどダルエスサラームはそのまま戒厳令に移行する。まあ、あたしがやるんだけどさ」


「都市を封鎖するのか、そこまで……」


「ドラゴンの被災だけじゃないのよ。カラマーゾフ倶楽部の対応もしないといけないの、対応というか結着ね、大きく動くはずよ。混乱はもう止められないわ」


 耳慣れない単語や事象が聞こえてくる。レンジは横目で背後の二人を窺ってみる。アカネマルが邪悪で不敵な笑みを浮かべてグラスのお酒を飲み干すところだった。


「すぐに街を出ないと身動き取れなくなるわよ」

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