第3章 モガディシュ

第10話 ザンジバル出航

「怒られちゃったね、絵が下手すぎて!」


 自分も仕事をサボって一緒に怒られたはずなのに、チンチラはレンジが怒られた件を何度も蒸し返しては笑っている。


「そんなにおもしろい?」


「絵が下手すぎて怒られるなんて聞いたことないよ」


 レンジに後ろから抱きつきながら耳元で笑う。猫耳がパタパタと頬に当たる。


「楽しんでくれてなにより」


 確かにあのドラゴンの絵は我ながらあんまりだった。レンジは航海の暇に任せて、渚にいた馬を思い出しながらスケッチを描いてみる。馬には足が五本あった。なんでそんなもの描いてしまったのか自分でもわからない。


 慌てて直そうと思ったときには、例によって足音もなくいつのまにか後ろに回って覗き込んでいたチンチラに見られてしまっていた。腹筋を痙攣させながら甲板を転げ回って爆笑する彼女に、これは尻尾だと必死に言い張ってみたが通じなかった。



 船団はザンジバル島を回り込んで、左手遠くにカンナビ地方の沿岸を望みながら北上を続ける。連日の天気は素晴らしい。レンジは航海を楽しんだ。たまに仏頂面のギンが船を寄せて様子を伺うことがあった。散々怒られたのも忘れて二人は笑顔で手を振った。


 チンチラに帆の仕組みと、風の捕らえ方を教えてもらいながらダウ船に夢中になった。風を受けて思い通りの進路をとるたびに歓声をあげた。



 航海も数日が経つと、チンチラは船の操舵はレンジに任せて、寝ているかなにかしら食べているか海の生物の姿を追って過ごすようになった。気まぐれにレンジをからかって遊んだり、暇になると悪戯を仕掛けてくる。ギンに念を押されている荷物の分類と明細を作る仕事は完全に忘れている様子だった。


 やがて北西の方角に大きな陸が見えてきた。狭い船の上の生活に、少し疲れてきた頃の二人の気分はあがった。


 船団は、その日の午後を大きく回った頃にモガディシュ港に入った。レンジはその港の規模に圧倒された。ガレオン船から丸木舟にいたるまでの船が往来している。停泊する船の数は数え切れない。林のように林立するマスト、帆布の白さが陽を照り返して眩しい。無数の小舟が巨大な帆船の合間を忙しく行き来していた。昆虫の足のようにたくさんのオールを突き出した船もあった。


 船を迎えるように海鳥の群れが間近の空を横切っていく。レンジは港内での細かい操舵に緊張しながらも、チンチラと声を掛け合いながら協力して、岸壁に船を寄せることに成功した。



 モガディシュの港は人でごった返していた。赤煉瓦の大きな倉庫群の前には、船から下ろされた積荷が山と積まれている。その膨大な商品の数々は、魚以外見慣れないものばかりでレンジは心が浮き立った。


 ギンの機嫌も直っている様子だった。


「博士ぇ、ボクは仕事しなかったわけじゃないんだよ」とチンチラが話しかける。


「じゃあなにしてたんだ。航海も順調だったし、食事と睡眠の時間以外は暇だったはずだぞ」


「レンジと遊んでたんだよ」


「……なあレンジ、なにか間違ってるのは俺か?」


 レンジは笑った。


 呆れたギンはチンチラとの対話を切りあげて、「野暮用と手続きがある。税関に行くぞ」と言って二人を連れて歩き出す。


 街の建物は三階建ぐらいの白の石造りに、エメラルド色の石葺の屋根のものが多かった。そういう様式の建物が意外に整然と区画されている。通りには花壇が多く配されて、民家や商家の軒先には鉢が置かれて、様々な色彩の花が咲いている。


 道ゆく人の外見の多様さが目を引いた。衣装も人種も明らかにここは異世界だ。


「レンジ、実際気分、体調はどうだ?」


 ギンが聞くと「最高さ!」と前を歩くチンチラが、高々と拳をあげて答える。ギンもレンジも笑ってしまう。久しぶりに陸に立つことができた嬉しさも相まって、華やいだ気分だった。

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