第8話 オーパーツ
すっかり日も落ちて星空の頃、その日の調査と指揮を切りあげてギンが船に戻ってきた。
「夕食だがこんなものしかない」と言いながらギンがチンチラと一緒に手早く食事の準備をしてくれた。オイルサーディンと、パンに似た何かにチーズに似た何かを挟み込んで、柑橘系の香りのするソースをかけたものと常温のビール。
武器に油を塗って手入れを終えてから、元の木箱に戻すのをレンジに任せたまま、さっきまで眠り続けていたチンチラが言った。
「博士にね、それとなくレンジの様子を見ておくようにって言われてたんだけど、ボク寝ちゃった」
それとなく、と言われていたのにさらっと話してしまう彼女はきっと悪い娘じゃない。ギンも別に悪びれる風もない。
「レンジはオーパーツかもしれないんだ」
「オーパーツ?」レンジは聞き返す。
「時空を超えた遺物だ。その時間、その場所に存在しているはずがないもの、本来は」
博士の説明によると、ドラゴンが現れた場所にはオーパーツと呼ばれるこの世ならぬなにかが残されることが多い。新種の生物とか使い道がわからない物体。知られている技術では分析も生成も不可能な物質などなど。有機物についてはそのほとんどが欠損した残骸じみたものか死体だという。それが最初から死んでいたのかどうかはわからない。いずれにせよドラゴンが放つ白い光球と衝撃波は周囲を吹き飛ばして焼き尽くすから、爆心地付近の地表で生身の生物が生存する確率はほとんどないということだった。
「扇状の爆心地の中心でドラゴンと向かい合ってたおまえは、俺にとってはなんとしてでも持ち帰って調べたいオーパーツってことだ。だから、遠慮しないで手を伸ばしてくれ」
ギンはそう言って、ビールを追加で注いでくれる。チンチラも瓶詰めのオイルサーディンをとってパンに挟んでくれた。これも、と言ってソースを加えて、レモンだろうか、黄色い果実の汁を絞ってかけてくれる。
「ありがとう、美味しい」
チンチラはよく笑ってよく食べてよく喋る。食べ物の話と下ネタが好きだったが、レンジとギンが真面目な話をしだすと、すぐに興味をなくしてうとうとし始めた。
大欠伸をしたときに見えた犬歯が鋭く長い。猫っぽいなぁ。
チンチラはおもむろに残ったビールを飲み干してから、フラフラしながらも足音をたてない不思議な歩き方で、船尾側に取り付けてあるハンモックに向かった。
ギンとはそのまま、世界とドラゴンについての情報交換と議論を延々続けるうちに、ずいぶん気安くなった。ビールを飲みながら未知のことを議論するのは楽しかった。とにかくこの人は純粋にドラゴンに夢中なのだということがわかる。所属しているのか主宰しているのかよくわからない学術機関での専門の研究は別らしいが、なにをおいてもドラゴンが気になってしょうがないらしい。
「いいかレンジ、何度目かだがまた正確に説明してくれよ、どうだったんだ実際、細かいところまで」
ギンは懐に入れている手製の皮綴じの手帳を取り出す。
「あれは、やっぱりでかいね、もうやばい、すごい」
「学生で学問やってたんじゃないのかよ、なんだその表現力は、いい加減にしろ。でかいのはわかってる、俺だって遠くからだが見たんだからな。山ぐらいでかい、やばいし、すげぇに決まってるだろドラゴンなんだから。どうやばいんだよ? どうすげぇのかって聞いてるんだよ!」
だんだんと熱が入るギンだった。
「あんな間近でドラゴンと遭遇して生きてる人類は歴史上お前だけかもしれないんだぞ」
「いや、だからさ……でかい?」
「もういい!」
「いや、ちょっと待ってちょっと待って、でかいのは伝わった?」
「おまえそれしか言ってないだろ」
レンジにとって大きいものの基準は東京ドームとスカイツリーと富士山だった。あのドラゴンはちょうど東京ドーム一杯分ぐらいの大きさに見えた。
「どうやって飛んでたか、見たまま言ってみろ」
いらいらしながらギンは次の質問に移る。
「翼は動いていたけど、鳥が飛ぶときみたいにバサバサ動かしてはいなかったよ。泳いでるみたいに空を飛んでた」
「あんな巨大な生き物が飛ぶ浮力は桁外れの台風か竜巻並みのエネルギーが必要なはずだ、その風だけで街が吹き飛ぶぐらいの。まあ、すでに別の謎の力で吹き飛んでたがな。どうなってるんだろうないったい、なんて不思議なんでろう、最高だ!」
「わあ、びっくりした」
ギンはなにかに感極まったのか急にでかい声を上げる。
「聞いてんのか?」
「聞いてるからちゃんと」
ほんとに夢中だなこの人、と思いながらレンジはギンとの会話を進める。
「こういうことって、ドラゴンとか俺とか、この世界ではよくあるの?」
「それは俺が聞きたいが、記録や伝説ならいくらでもある、ありすぎるぐらいある。ドラゴンはほとんどの民族や部族の神話や伝説に出てくるからな。もちろん伝説や噂の類が多くて事実かどうかはわからない」
「博士はどう思ってる?」
「まずドラゴンの目撃情報は真偽の怪しいのも含めると結構頻繁で、珍しくはない。人間の街にきて暴れるのは数十年に一度というところだな。ただし、不定期だし数十年に二度も三度も、あるいは百年以上記録が途切れることもある。そう頻繁には来ないが……」
「要するに?」
「あぁ、出現する条件もいつ来るかも全くわかっていない」
「なんで博士はいち早くこのザンジバル島に着けたの」
「一番乗りだったろ」
得意げににやりと笑いながらギンが言う。
「一番は俺でしょ?」
「……そうか……」
なにを張り合ってるんだこの人は。
「出現する場所の偏りや出現の前兆はあるんだ、というかあると俺が予測した。場所については世界中のあらゆる記録を調べ尽くして特定した。前兆の感知は魔導士や霊能士たちの力も借りて」
「まった、魔導士!?」
レンジは会話を止めて、引っかかった単語を問いただす。
「あぁ、魔導士……なんだ、トウキョウにはいないのか、魔導士は?」
「魔導士って、魔法使い? 魔法使えるの、魔法ってなに?」
いよいよ異世界じみてきた。
「カンナビでは物理的な力に近い粗めの力を魔法、なんていうかもっと繊細な力を霊能とか霊力とか言うけどな。
驚いた。レンジはため息をついた。チンチラが夢うつつに歌う声が聞こえる。ハンモックから垂らした尻尾がときどき思い出したかのように振られる。
「博士もチンチラも魔法使えるの?」
「剣技や体技と同じで先天的な適性と才能の有無がある」
「ん?」
「生まれつき上手く魔法が使える人と使えない人がいるってことだ」
チンチラの歌声が途切れ始める。銀毛が月光に照らされてぼんやりと光っている。
「ドラゴンと魔法と猫の美少女戦士……」
レンジは目眩に似た不思議な気分を味わった。
月が登りきって穏やかな波が船に当たって心地いい音を響かせる。慣れないお酒を飲んで、レンジは眠気に襲われ始めた。
「爬虫類でもなく鳥類でもなく哺乳類でも恐竜でもなく、しかしそのすべての美しさを集めたような形態」
ギンはレンジに聞かせるでもなく、月を眺めながら静かな情熱を込めて語る。
「ドラゴンは明らかに時空を超えている」
腰の巾着袋から出した洒落たパイプを吹かすギン。端正で澄んだ目をしているとレンジは思った。カンテラの明かりにゆらゆらと煙がかかる。
「ドラゴンという超生物は人類が到達できない果てから突然やってくる。世界と世界の境界を自由に行き来して、伝説では宝珠を持つものの願いを叶えてくれる」
チンチラの歌声はもう途切れて、微かな寝息が聞こえている。
「おまえはなにか願ったのか? レンジ、おまえはどこから来たんだ」
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