第6話 ギン・ヴェルナツキー・アッティラ
その男はギンと名乗った。ギンは船から雑多な荷物を運び出して、砂浜に簡易なタープを張った。ランタンから木炭のようなものに火を移して無造作に砂浜に放る。コルクを抜いた瓶から木製の器へ液体を注ぐ。自分で飲んでからレンジにわたした。
暗くて色はわからない、ほんのり甘い香りのするその液体を口にふくむ。レンジは今までほとんどお酒を飲んでこなかったが、これは好きな味と香りだった。
「俺はドラゴンを調査している学者だ」
レンジとギンは火を囲んで座り、改めてお互いを観察する。
彼には若かりし頃の美男の面影があった。痩せ型の顔は精悍な印象を受ける。学者には見えない、引き締まった体格をしていて全体に鋭く硬質な印象を受けた。腰からぶら下げた巾着袋、ベルトに留めたナイフや小道具はレトロで趣のあるものに見える。
すくなくともここは東京ではなさそうだ。地球上のどこかなのかは彼と話すことで探るしかなさそうだ。しかし予感はある、ここは地球ではない。現実か夢かどうかはまだわからない。
レンジは自分に起こったことを素直に話した。東京で、おそらくは巨大な地震が起きてドラゴンがさらに街を吹き飛ばして、気がつくとこの砂浜にいて……。ギンがその話を信じたかどうかはわからない。
「俺には君が死んでいるようには見えない」
レンジをじっと見つめる薄い緑の目は知性に満ちて迫力がある。
「日本語が、通じてるみたいだけど……?」
「ニホンゴ? 我々が使っている言葉はアマテラス帝国の時代に確立されて広がったものだ。東方を起源に、商業と学術の言葉としても広く伝わったから、辺境以外では概ね不自由はないはずだ」
「アマテラス、天照?」伊勢神宮の天照大神かな?
「古代神話に出てくる太陽の女神の名前だ。伝説上の人物でもある。実在したかどうかはわからない」
ギンはタープの下のザック荷物に手を伸ばして、紙切れを取り出した。
「これはあの船の賃貸契約書だ。読めるか?」
受け取った紙は黄ばんでいるというか、元々そういう色合いの紙なのか、謎の文字列と記号のような模様が並んでいる。
「全然読めないな、これは漢字みたいな表語文字? 表音文字?」
「表音文字だ。カンジが何かは知らないが、表語文字はほとんど廃れて、今では抽象概念や古語の一部、詩歌に使われる雅語なんかにたまに使われるぐらいだ」
お互い探り探りの会話が続く。ギンはレンジの出自や教養を図っている様子だった。
「基礎的な教養はあるみたいだが、身分や仕事は持ってたのか?」
「学生だった、一応ね。身分ていう概念はちょっと説明がいるかな」
「知ってる範囲でいいし、君なりの言葉でいいから、その地球とかトウキョウのことを、何もかもを教えてくれ、あとドラゴンのことな」
「わかった」
レンジとしては、とりあえずはそう答えるしかない。状況を理解するには彼との会話以外に手はなさそうだ。
昨夜遅くギンに、少し休め、と言われて目を瞑ったところまでは覚えている。人々が立てる物音と声でレンジは目を覚ました。夜はまだ明けきっていない。昨日のダウ船の周りに、いつのまにか帆を降ろした三隻の船が停泊している。新たな船は随分と大きい。人足らしい人達が小舟を使っていくつもの荷物を降ろしている最中だった。
ギンの姿を探すと、彼は昨夜レンジに散々確認したドラゴンの出現した場所の周辺で指示を出していた。人足達と協力して海底の砂までさらって調べている様子だった。
東京に住んでいればどんな人種にも会う。しかし目の前を行き来する人たちはいままで見たどの人種や民族にも似ているようで似ていない。目の色も髪の色も体型も顔つきも、あんまり様々過ぎて不思議な感覚になる。動物と人間が混ざったような毛むくじゃらの人も何人か見かける。昨夜ギンと話した通り、ここは明らかに現世とは違う世界。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます