第1話 厳しい決断
西暦2025(令和7)年8月20日 日本国東京都 首相官邸
対馬沖での戦闘から一夜が明け、混乱の極みにあった政府にも詳しい情報が届く様になっていた。都内各所にて機動隊が治安維持出動に勤しむ中、首相官邸の地下にある内閣危機管理センターの会議室には、現政権のそうそうたるメンバーが集っていた。
「国籍不明の武装勢力との戦闘ですが、救助した捕虜からの聴取によりますと、彼らは『カリビア王国軍』といい、近年の国政方針としている対外拡張政策に従って襲撃を行ったに過ぎない、と言っております」
内閣危機管理センターの長を務める
「終戦から80年が経った今になって、どうしてこんな事に…」
「現在の国内の治安状況は?」
「はっきり言って、最悪の一言です。此度の混乱を政権崩壊の好機と見た左翼の政治集団が流した流言飛語の影響は凄まじく、公安委員会は総力を以て悪質なデマを流した活動家及び政治団体の摘発に臨んでおります」
「分かりました。外務省の方はどうですか?」
問いを振られたのは、
「現時点で連絡が取れているのは、台湾及びロシア連邦サハリン州のみです。あちら側も現在の状況を詳しく把握出来ておらず、混乱は未だに続いております。また、大使館より自国民の保護を求める声が噴出しております」
余りにも悲観的な状況に、多くの官僚が頭を抱えたくなる。交通事故に軽犯罪を中心とした治安悪化は留まるところを知らず、社会そのものが壊死を引き起こしているという惨状。これまで描いて来た、グローバルに全世界と繋がった先進国の姿は原型をとどめていなかった。
とその時、官房副長官の一人が挙手する。彼は川田と目を合わせてから発言を開始した。
「総理、いずれにしても我が国を取り巻く状況は最悪の一言です。真にこの国を救いたいのであれば、幾分か強硬策を取る必要があると考えます」
「…強権政治を求める、という事でしょうか?」
川田の問いに、副長官は頷く。
「いずれにせよ、社会が完全に崩れてからでは遅すぎます。大衆から独裁なり暴政の誹りを受ける事になろうとも、むしろその誹りこそ国家として生存している事の証明と出来る様に働くべきだと存じます」
「…分かりました。どちらにせよ、国内の活動家達は調子に乗り過ぎました。国民の意思統一と精神的な安定を乱した事で、多少の統制を受け入れる方向にあるでしょう。ここいらで国家としての意思統一を図らねば、その先にあるのは社会の自壊です」
川田はそう言って、副長官にしっかりと顔を向けた。
「
・・・
翌8月21日。『緊急事態対策委員会』のリーダーと治安改善の特命担当大臣に任ぜられた塩沢は、早速対応に取り掛かった。それは一種の劇薬であった。
「これより、国家の諸政策に対して批判的姿勢を見せるメディアは取り締まる。また、これの決定に伴い、日本放送協会は一時的に政府の管理下に置き、政府の公式報道機関として運営する事を宣言する」
一つの放送局の乗っ取りと、他のメディアに対する制限は多くの反発を生んだ。だがその宣言はいわゆる左派的な者達や、旧東アジアの特定の国家を理想とする者達を炙り出す罠でもあった。塩沢は1週間もかけて、報道に関わった者全てを洗い出し、その中で『日本国政府及び日本社会に対して悪質な影響をもたらした者』をピックアップ。間髪入れずに拘置所へ放り込んでいったのである。
その時に彼らに下された容疑はこうだった。『報道を利用して国民の思想を歪ませ、特定国家に対して国民規模で離反させようとした、国家反逆罪』。政府の政策に対していちゃもんを付けていた者や、防衛力整備を『宗主国アメリカからの型落ち兵器の爆買い』だと罵っていた者、そしてアメリカや日本の防衛計画には妨害を試みる癖に、中国やロシアの行為をあからさまに持ち上げていた者は悉く『売国奴』のレッテルを貼られ、公安委員会の手で逮捕・起訴していったのである。
これは国民の大部分が怒りの矛先を政府から逮捕された者達に向けられる様にするための、大規模なアンガーマネジメントであり、加えて捜査の中で収賄なり不正も副次的に見つかれば、これをネタにして容疑者の評判を落とし、生活制限に対する国民の不満を、そのはけ口を用意する事による『ガス抜き』の方策でもあった。
司法も全面的に賛同した政策ではなかったが、愚かな事に容疑を掛けられそうな者は権力に対する反発心から反国家的な行動を取り、自ら刑罰の対象となる様にしくじり続けていた。その捜査と逮捕の矛先は、国民生活保障の確保のために削減対象とされた男女共同参画推進予算に与っていた者達にも向けられた。当然ながら塩沢は、疑わしき者には『寄生虫』『吸血鬼』の烙印を押し、横領などの疑いで逮捕していった。
これらの政策は後に『塩沢の草刈り』と呼ばれ、計1万人もの人々が逮捕される事となる。その多くは半年程度の収監で済んだものの、これが後に日本に大きな脅威をもたらす事となる。
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