生存独立戦争
広瀬妟子
序章 平和は終わった
悲劇はいつだって、唐突に起きるものである。
2025年8月の暑い夏、80年目の終戦を迎えたその日の真昼。日本国はいつも通りの日常を過ごそうとしていた。
東京をはじめとした主要な都市では、終戦記念日に合わせた慰霊式典が執り行われ、多くの国民が哀悼の意を示し、悲劇の再来を招かぬ事を固く心に誓おうとしていた。それこそが戦後80年近くに渡って続けられた、日本の平和に対する教育及び思想であり、多くがその在り方を是と捉えていた。
そうして昭和、平成、そして令和と元号が変わってもなお変わらぬ日常を送ろうとしていたその時、空は突如として暗くなる。日本列島の空から光が消えたのは十数秒の短い時間であったが、その時に発生した全ての人工衛星との連絡途絶と、直後に日本を襲い掛かった悲劇に対する醜態を生み出すには十分だった。
異変から一夜が明け、GPSの喪失を発端とする交通事故が警察と消防に多大な疲弊をもたらしていた頃、九州より一つの衝撃的な情報がもたらされる。
『九州北部が、国籍不明の武装集団の攻撃を受けている』
韓国軍とは異なる、数十機もの航空機の大群が福岡県福岡市に押し寄せ、市街地に爆撃を行ってきたのだ。この突然の空襲に対して対応できる者は殆どおらず、現地の被害も相まって混乱が加速する始末となっていた。
未知の武装集団からの爆撃。この事実は大多数の国民を動揺させ、怒りの矛先は政府に向かった。自衛隊の無能と嘲る声もあったし、メディアも平時であるかの様に振舞って政府の対応を批判した。
だが、行政府を罵り続ける余裕はなかった。何故ならその二日後、十数隻もの艦船が対馬に襲い掛かり、砲撃を行ってきたからだ。この時に生じたデマは在日韓国人の立場を追い詰めるものであったが、この翌日にはインターネット上で溢れていたあらゆる言動はストップする。無責任な批評を根本的な理由とする混乱の継続を、政府のみならずアメリカ大使館が望まなかったからである。
斯くして、首都圏を中心に言論の自由を悪用して扇動を行った者の摘発と逮捕が行われ、同時に政府は緊急事態宣言を発令。自衛隊に対しても閣議決定で防衛出動が発せられ、九州へ二度目の爆撃をしに来た航空機群及び対馬へ上陸を計ろうとする国籍不明船団への反撃が行われる事となった。
「無法者を一人残らず対馬海峡へ叩き落とせ」
西部方面隊総監のこの言葉は、多くの自衛官が待ち望んでいた命令だった。第8航空団に属する〈F-2〉戦闘機は機首の多機能レーダーで敵機を捕捉するや否や、空対空ミサイルを発射。数分後には40機全てが撃墜され、次いで第2護衛隊群が対馬に屯する国籍不明船団へ警告を実施。返答が砲撃によって返されると、反撃が行われた。
警告のために接近していた護衛艦は5インチ単装砲の長大な砲身を振り回し、敵の武装に向けて照準。毎分20発の速射能力を以て返答の代償を贖わせる。3秒に1発の感覚で吐き出される約32キログラムの一撃は、敵艦の主砲や魚雷発射管を瞬時に破壊し、戦闘能力を確実に奪っていく。ミサイルで即座に沈める事も可能だったが、日本側には鹵獲に耐えうる艦艇が必要だった。そういう意味では武装を無力化されたこの1隻は幸運であった。
無力化が成された直後、残存する敵艦に向けて一斉に艦対艦ミサイルが発射。反撃に浮足立つ敵艦に寸分の狂いもなく命中していく。全ての艦艇の撃破を確認した護衛隊群は対馬へと接近し、敵兵の救助と無力化された敵艦の臨検を開始したのである。
しかし、後に『対馬島沖海戦』と呼ばれる事になるこの戦闘は、20年に渡って続く事となる苦難の始まりに過ぎなかった。
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