手を伸ばせばきっと

時燈 梶悟

手を伸ばせばきっと

 肌に穴を開けるんじゃないかと錯覚するほどに鋭い日差しが降り注ぐ中、取って貼り付けたような青空の下を歩いていく。


 「久しぶりだな。お前は相変わらず、つまんなそうにしてんのな」


 鮮烈に映える緑の中、蝉時雨に打たれながらそこに鎮座する彼女に話しかける。


 『久しぶり。こんな山奥の田舎じゃ、やることもないからね』


 「今日は暑いな。体調には気を付けるんだぞ」


 水でも掛けてやりたい気分だったが、そんな事をしたら彼女はきっと怒るだろうから、俺は躊躇してしまう。


 『君の方こそ、昔から体調崩してばっかりの貧弱くんだったくせに』

 「社会人ってのは、想像よりつれぇわ。昔に戻りたいって、毎日思ってるよ」


 今とは違って、学校生活が全てで。

 外の世界なんて、これっぽっちも気にしたことがなかった。そんな時代に。


 『私だって、戻れるんなら戻りたいよ』

 「けどそんな弱音吐いたって、何も変わらないもんな。今日はお前の好きなジュースとお菓子持ってきたんだ。探すのに苦労したけどさ」


 そう言っていちご抹茶なんていう、彼女には似つかわしくもないようなジュースを彼女の前に置く。


 『わー!こんなにいっぱいありがとう!』

 「帰り道、じゃんけんで奢りとかよくやったよな。今じゃ俺だけが買ってるが」


 帰り道にあった駄菓子屋の前で、年甲斐もなくはしゃぎあって。そこのおばちゃんに見守られながら、熱い戦いを繰り広げたものだ。


 『私はじゃんけん弱かったらね。あの時の分のお返しとでも思ってよ』

 「こうやって戻ってくる時の交通費だってばかになんねぇのに、わざわざ買ってきてやってんだよ」


 数年前、上京してからというもの、ここに帰ってくるのにも多くのお金と時間を要するようになってしまった。


 『それは感謝してるよ。何回も言ってんじゃんか............ねぇ』

 「けどまぁ、懐かしいな、ここは。近くに秘密基地なんて作ったっけ」


 森の中に落ちてる枝とか、捨てられた木の板とかを持ち寄って、泥まみれになりながらも完成させた不格好な秘密基地。


 『小学生の頃でしょ、あれ。よく覚えてたね』

 「忘れようにも、強く染み込みすぎてる」

 『私は、ずっと忘れないよ。絶対に』

 「今じゃもう、取り壊されてたりすんのかな」


誰が作ったのかも分からないような小屋なら、自治体に撤去されていても不思議ではないだろう。


 『あれから行ってないからわかんない。懐かしいなぁ、本当に』

 「ずっと東京行きたいって言ってたお前より先に、俺が行くことになるとはなぁ」

 『ほんとだよ。私だって行きたかったのに!』

 「けど、お前が思い描いていたほど、綺麗な世界ではなかったよ、あそこは」


 想像していたよりも、そこは冷たくて。空気が澱んで感じた。人と人との距離感が、驚くほど遠くに感じた。


 『うん、知ってる。今の君の顔見れば何となくわかるよ。結局私がいなきゃ何にもできないんでしょ』

 「俺、もう無理かもしれねぇ。お前が行きたいって言ったから上京したけど、向こうでやりたいことなんて何も無くて。漠然とただ生きてるだけで。就職したものの、会社の人間とはなんか合わなくて。もうなにも、やる気もない。とにかく疲れたよ」


 新人にも容赦なく課せられるノルマ。上司からのプレッシャー。同期との関係性。不慣れな環境での新生活。

 ありとあらゆる理由から、様々な重圧に押し潰されそうになる。


 『私は、逃げることは悪いことじゃないと思うよ。人に『逃げるな』、なんて言える立場でもないしね。嫌になったら、やめればいいじゃんか』

 「会社辞めようにも、その後の生活の保証なんてないし。今更どんな顔して親元に帰ればいいのかもわからない」


 親の制止も聞かず、東京の大学を受験し自分勝手に飛び出して以来、こいつに会いに来ることはあっても、実家に顔を出したことはなかった。


 『きっと大丈夫だよ。君のお母さんすっごく優しいじゃんか。お父さんはちょっぴり厳しいけどさ。...........ねぇ、覚えてる?私が君の家に遊びに行った時、お皿割っちゃってさ。そしたらお母さん、悲しそうな顔しながら『大丈夫?怪我はない?』って抱きしめてくれた。後から聞いたらそれ、結婚した時からずっと使ってる大切なやつだったらしいね』

 「思い出なんてただのごみだ。そうやって言う人もいるけどさ。少しでも綺麗な思い出に触れていないとやっていけないやつなんてごまんといるんだ」


 もし、6年前の自分が今の自分を見たらなんて言うんだろうか。

 つまんない大人になったな、なんて笑ってくれた方が楽かもしれない。変に同情なんてされてしまえば、惨めすぎてこれから先を見たくなくなるだろうから。


 「そうならないように、努力はしてたつもりなんだけどなぁ...........」

 『君はすっごい頑張ってるよ。けどさ、やっぱり無理はよくないよ』

 「俺さぁ、ずっとお前が羨ましかったんだ。いつも明るくて、周りからの信頼だってあって、いつだってみんなの中心にいて。勉強ができて、誰にでも優しくできて」


 自分とはかけ離れた存在。けれど、常に自分が思い描き続けていた存在。

 自分もそうなりたい、そうでありたいと願い続けた存在。

 手を伸ばせば触れられるほど近くにいるのに、手を伸ばそうなんて到底思えないほど遠くにいた。


 『..........私は、君が思ってるような人間じゃないよ』

 「俺はいつも、お前との違いを痛いほどに見せつけられてきた。けどたまに、可哀想だって思ってたんだ。親や教師からの重圧に耐えながら、それでも笑顔を絶やすことがなかったお前を」


 自力では取り外すことができない、何よりも重い期待という名の枷。そんなものに囚われながら生きる彼女は、俺の目にはとても惨めに写った。

 そこからだった。彼女への羨望は消え失せ、ただ同情が残るようになったのは。


 「俺さ、実はお前のこと嫌いだったんだ」

 『えっ..........?』

 「どんなに辛くても弱音1つ吐かなくて、投げ出すこともなくて、泣いてるとこなんて見たことなかった。俺とは正反対だったから。自分のことにすら責任が持てず、周りからの期待をかなぐり捨てて、自分がしたいように生きてたから。お前が眩しかった」


 どんなにしんどいことでも、平気な顔して期待通りの結果を出し続けるお前が。あるいは憎かったのかもしれない。自分にできないことを平然とやってのける。そんな存在は、どうしても直視していたくない。


 『.........でも、私は......結局は逃げ出した。何一つ、成し遂げることなんてできなかった...........。完璧な自分を演じ続けることに疲れて、最後は.........』

 「だからさ」


 息を深く吸い込む。過去を振り返るように、思いを巡らせながら、懐かしく儚い記憶に縋る。もう二度と、起こらないことに。


 「俺は正直、信じられなかったんだ」


 過去は過去。そうして割り切って、未来を見るべきなんだろう。今を生きるべきなのだろう。けれど、そうして生きていくには俺の中で、彼女の存在は大きすぎた。過去として忘れていくことができなかったから。


 「だからこうして、今、お前に話しかけてるんだ。返事はないって知ってるのに、もうここにはいないって分かってるのに。どうしても、あの頃の記憶に、お前に、手を伸ばしてしまう」


 別に、こうしていれば楽になるわけじゃない。ただ、日常を忘れられるような気がした。ただ、悲しみが無くなるような気がした。


 「なぁ.........なんで自殺なんてしちまったんだよ。お前がいなきゃ俺はもう...........」

 『ごめんね.........。私は嫌だったんだ。周りからの期待なんて、どうだってよかった。君と笑えてれば、それで満足だった。それなのに、みんなは不真面目なやつと付き合うな、なんて言ってくる。まるで君が悪者みたいに言うんだよ。私はね、特別なんていらないの。ただ君と笑える些細な毎日が欲しかっただけなのに』

 「なぁ。俺、疲れたよ。毎日毎日、同じことの繰り返しで。上司に怒られてばっかで、仕事も上手くできなくて。生きることに楽しさを感じてるわけじゃないのに。なんで生きてるんだろうな」


 昔は、それなりに充実してて。生きる希望が、なんて思ってたりもしてたんだ。それなのに、一体いつからこうなってしまったんだろうな。


 『.........そんなの知らないよ。けどね、今がどれだけ辛くても、投げ出したら全部なくなるんだよ.........!楽しいことも、嬉しいことも、何もなくなる.........!好きな人と話すこともできない!だから、だからっ........!簡単に、諦めようとしないでよ..........!』


 「なぁ、死ぬって、どんな気持ちだ?そっちの世界は、こことは違って楽だったりするのかな」


 なぁ、答えてくれよ。


 『うるさいばかぁ........!そんなこと気にすんな.........!黙って笑って生きてきゃいいんだよ........!』


 「...........そろそろ、帰るよ。明日からまた、仕事なんだ」


 俺は、かつて彼女がこの世界にいたことを示すものに背を向けて歩き出す。


 強すぎる太陽の日差しに思わず目を細めた時、辺りを巻き込んで飛ばしてしまいそうな風が吹いた。


 「死ぬなよばか!!!私は君のこと大好きだから!私の分まで絶対生きて.........!」


 どれだけ時間が経とうと、遠く離れていようと、絶対に忘れることがない声が鼓膜を揺らした。

 急いで振り向いても、そこには彼女の姿はなく、ただ無機質な冷たさが佇んでいるだけだった。


 「言うのがおせーよ、ばか」


 ずっと前から、手を伸ばせばきっと届いたのだろう。だって、彼女に対し劣等感を抱き、その間に距離を感じていたのは俺だけだったのだろうから。

 たったこれだけのことで、前を向き、明日から頑張ろうと思ってしまう俺は単純なのだろうか。


 「あぁそうだ、忘れ物」


 そう言って俺は、彼女の前に一輪のシオンを置く。


 「じゃあ、また来年な」

 俺はシオンにそう言い残しながら、頬にかかる雨が日差しで早く乾くことを願っていた。

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