間奏

3rd inter. 中野と千代①

 吉祥寺駅。

 南には大きな公園があり、ボートもある。

 周辺には工夫を凝らした個人経営のお店も多く、普段では見慣れない発見がある。

 北側に行けば、商店街や百貨店、パルコもあって時間を潰すのにもってこいの場所。


 中野は千代と付き合いだしてから初めてのデートに吉祥寺を選んだ。

 千代から買い物に付き合ってくれるならというお言葉を頂戴したため、どのような希望にも対応できるように、場所を選んだという経緯がある。



 吉祥寺駅の改札を出たところで無事に合流した二人。


「そんじゃ、行きますか?」


 そう言って中野は手を差し出す。


「えっ⁈ いきなり手⁈」

「いきなりも何も、普通付き合ったら、手くらい繋ぐだろう?」


「普通って何よ! 普通って! 私の普通にはそんなの無いわよ!」

「俺だって緊張してるけど、こうでもしないといつも通りになっちゃいそうだろ」


「……それはまあ、たしかに」


 晴れて付き合いだした中野と千代。

 夏休みが始まってすぐの頃にデートをして、中野から告白。

 二人で出かけるのは今日で二度目。彼氏と彼女という関係になってからは初めてのデートとなる。


 告白の際に、千代と呼ぶことにお許しを頂けたが、千代が彼を呼ぶ時は、相変わらず名字の中野だった。


 二人は手の触れる距離間がこそばゆいようで繋ぎそうで繋がない。いや繋げない。

 ここは中野が思い切って千代の手を取ってあげれば問題は解決するのだが、中野も普段のような余裕が無いようだ。


「て、手くらいはね! 高校生だし、それくらい普通でしょ!」


 そう強がる言葉を吐きながらも、なかなか手を繋げない千代は、意を決したように中野の手を取る。顔を真っ赤にしながら、どこに行くともなく歩きだす。

 いつもならからかう中野も似たように真っ赤になりながら、顔を千代とは反対に向けて歩く。


 二人にとって、今はその方が幸いだっただろう。


 千代の買い物に付き合う名目で約束したデート。

 中野にとっては、出かける理由など何でも良く、こうして二人で出かけられることが嬉しい。何だかんだ言って、千代も欲しいものは無いのに「買い物に付き合ってくれるなら」とOKを出したのだから、あまり大差ないだろう。


 だから千代に手を引かれるように歩きだした二人は、先導する人間が何も考えられなくなっていたとしても問題ないのだ。



 二人は、周りを見ずに歩いてばかりいる。まるで手を繋いでいることの方が重要だと言わんばかりだ。

 しかし、ある程度の時が過ぎると免疫が出来てきたようで冷静さを取り戻す。


「もう公園突っ切っちゃって住宅街に来ちゃった」

「そうだな。どこをどう通ったか、あまり覚えてねえや」


 二人は井の頭公園の端にいる。

 駅を出て、人の流れに従って歩いているうちに井の頭公園まできてしまったらしい。それどころか、公園すら通り抜けてしまったようだ。


「戻って公園を散策してみない?」

「良いな。そんでどっかで飲み物でも買って、ベンチに座ろう」


 夏真っ盛りの中、歩き通した二人は汗がきらめく。

 幸い、井の頭公園の池の周りは葉桜が茂り、木陰が多い。

 池を眺められるようにベンチが多く設えられていて、休む場所には困らなそうだ。


 自動販売機で清涼飲料水を買うと、中野は目についたベンチに腰を掛けた。

 千代が座る場所を軽く手で払う仕草を見ると、中野もいつもの状態に戻ったように思う。


 ただ、始めた会話は彼女となった千代のことではなく、いつも遊ぶメンバーのことになった。


「野田は今頃、伏見と勉強会かね」

「そうね。今日は水曜だし」


「あいつらって、互いに好き合ってるの認識してないよな?」

「認識してたら紬が普通にしていられるわけないじゃない」


「それは野田にも言えるな。あんなに惹かれあってるのに、何で気が付かないんだろ?」

「経験が無いからじゃない?」


「ほう……。じゃあ気が付けた千代は経験があったってことか?」

「うっさい! それはあんたも一緒でしょ!」


「いやいや、まさか俺が小説を読んでるのが、そんなに気になってたとはな」

「あれは、あんたが読んでいる本に興味があったの!」


「時代小説だろ? 好きなら読めば良いのに」

「前も言ったでしょ! 千代って古風な名前でイジられてから、そういうの避けてきたって。これで時代小説なんて読んでたら自意識過剰かっての」


「気にし過ぎだと思うけどなぁ。何より今の千代に対して、そんな風にイジれる奴なんていないだろ」

「ここにいるじゃない」


 思ってみなかった返しに、一瞬誰を指しているか分からなかった中野。

 じきに自分のことを言われているのだと気が付いて、抗弁する。


「俺はそんなことしないって。人の好きなものにケチ付けるような男に見えるか?」

「……最初の頃は見えた気がする」


「嘘だろ⁉」


 悪戯が成功したとばかりに愛らしい猫目をすぼめ微笑む千代。

 思いのほか、真剣に驚く中野に対して、嘘だよと軽くいなす。


「ビックリさせんなよ。野田も伏見も好きなことに真剣だし、俺はそれを応援してるよ。好きなものを見つけるのも大変だし、好きなことを好きでいられることも大変だしな」


 彼なりに思うところがあったような口振り。

 普段の明るさとは違った真面目な態度に千代は反応出来ない。

 それに気が付いたようで、中野はいつものように態度を改めた。


「それにしても、伏見は進学せずにピアノの先生か。16歳で将来を決められるんだから凄いよな。普段はあんなにほわほわしてて、危なっかしい子なのに」

「本当に凄い。私なんて霞んじゃうくらい。あの子は一人で道を切り開いて、一人で高みに上っていける。とても強い子。私とは全然違う」


「そうは言うけどよ、千代は伏見の面倒見たりして良いお姉さんって感じじゃん。優しいとか親切とかって言葉じゃ表せないくらい面倒を見ていて凄いって思ってるよ。中々出来ることじゃないし。たしかに伏見の演奏は凄いけど、ピアノに打ち込める環境にいられたのは、千代のお陰なんじゃないか?」

「……情けない話なんだけど、私が紬の面倒を見てあげているっていうより、あれは私を守るため。つまり保身のためなの」


 中野の心の内を呈した言葉に感化されたのか、千代は静かに独白した。

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