scene 03 仮初めの恋人

 昼休みのチャイムが鳴ると、宮下千尋はすぐに教室を出て体育館の裏手へ向かった。


「急に呼び出して悪いな、宮下」

「いえ」


 そこで彼女を待っていたのは、男子バスケ部の部長、阿久沢尚人だった。後頭部をポリポリ掻きながら、申し訳なさそうに愛想笑いを浮かべている。


 千尋は少しだけ驚いた。チャイムと同時に教室を出た自分より、尚人が先に到着していたからだ。彼女を待たせないように急いだのだろう。その額にはうっすら汗がにじんでいた。


「それで、こんなところに呼び出して何の用ですか、阿久沢先輩?」


 不機嫌そうな声で訊ねる。


 男子バスケ部のマネージャーである彼女は、ほぼ毎日のように尚人と顔を合わせている。わざわざ呼び出さなくても、放課後の練習時間になれば嫌でも会えるのだ。昼休みに時間を割かずとも、そのとき話をすれば済むことだった。


 それを敢えて呼び出した。しかも体育館の裏ということは、あからさまに人目を忍んだ密会だ。千尋としては、何か厄介事を押しつけられるとしか思えなかった。


「まさか、こんなベタな場所で告白なんて言わないですよね?」

「いや、そのまさかだ。実は恋人になって欲しくてさ」


 千尋が、呆れ果てた半眼を尚人に向ける。


「阿久沢先輩、冗談は顔だけにして頂けますか?」

「え、冗談ってイケメンだったの? そりゃビックリだ」


 尚人の戯けた返事を聞いて、千尋はキッと眉を逆立てた。


「では二股したいということですか? 岡部さんに言いつけますよ」


 千尋が冷たく言い放つと、さすがの尚人も降参するように両手を挙げた。


「いやごめん、気を悪くしたなら謝るよ。だけど、恋人になって欲しいのは本当なんだ」

「どういうことですか?」


 尚人の言葉を額面通りに受け取るほど、千尋の心はピュアではなかった。ただ、彼の神妙な面持ちを見て、この「告白」が冗談ではないことも悟っていた。


「実は、みゆきを何とかしたいんだ」

「岡部さんを……何とか?」

「俺とみゆきは付き合ってるわけじゃない。あいつが一方的に恋人を気取ってるだけだ。正直とても迷惑してる。だから、俺に恋人がいるところを見せつけて諦めさせたい。宮下には、そのための『仮初めの恋人』になってもらいたいんだ」

「はあ」


 千尋は気の抜けた声を出すと、探るような目つきで尚人を見た。


「どうして私に頼むのですか?」


 要は、他人の恋路を邪魔して欲しいという話だ。軽い気持ちで引き受けるわけにはいかない。協力するにしても、まずは裏の事情を知ってからだ。


「ある程度気心が知れたヤツで、尚且つ信用できるヤツ」

「え?」

「宮下に対する俺の評価だ。おまえが一番信用できると思って頼んだ」

「……面と向かって言われると、何だかくすぐったいですね」


 千尋は小さく微笑み、今度は別の質問を口にした。


「先輩は、岡部さんのことが嫌いなのですか?」

「別に嫌いってわけじゃない。俺的にはただの腐れ縁ってヤツで、恋愛対象外なんだ」

「でしたら、そのまま放置でも問題ないのでは?」


 無理に仲を悪くする必要はない。もし告白されたら、そのときは振ればいいのだ。


「先輩が切羽詰まっているわけでもないのに、私が憎まれ役を演じるというのはちょっと……」


 すると尚人は眉根を寄せ、わざとらしく困った表情を浮かべた。


「俺もなあなあの関係で構わないと思ってたんだけど、その、それじゃダメだってヤツがいて。すぐにみゆきを見捨てろって言われちゃってさ」

「どうしてそんな無茶振りに従うのですか?」

「それは……」

「もしかして、そのダメ出しをされたのは阿久沢先輩の好きな方ですか?」


 普段はクールな千尋だが、恋話コイバナに一定の興味を示すところは今どきの女子高生だった。眼鏡越しに尚人を見る彼女の瞳は、何かを期待するように輝いている。


 尚人はゴホゴホと不自然な咳払いをした。


「ま、まあ、そんなところだな」

「それなら私ではなく、その方を恋人として岡部さんに見せつければいいのでは?」

「うん、確かにそうなんだけど、それだとみゆきが認めないと思うんだ」

「認めない?」


 千尋は小首を傾げた。


「とにかく事情があって、ちょっとその手は使えないというか」

「それで私に白羽の矢が立ったと?」

「そういうことだ。だから頼む、俺と『恋人契約』をしてくれないか?」


 千尋は、少し考え込むような仕草をした。すでに心は決まっていたが、即答はしない。安くみられないように勿体つけたのだ。


 不安そうに見つめる尚人に向かって、千尋は小さく頷いてみせた。


「いいですよ。私もマネージャーの一件以来、岡部さんには逆恨みされてますから。意趣返しにちょうどいい『イベント』です。どのみち憎まれ役ですし、やるからには徹底的にやらせて頂きます」

「お、おう。じゃあこれで契約成立だな」


 快諾を得られた尚人は、嬉しそうに右手を差し出した。契約成立の握手を求めたのだ。しかし千尋はすぐに応えなかった。


「えーと、宮下?」

「恋人契約はします。ただし、無料というわけにはいきません」

「……まあ、そうだよな。ちゃんとお礼はするよ」

「では、お礼の内容をこちらで決めてもよろしいですか?」

「え、あ、それは、内容にもよるかと……」


 どれほど吹っ掛けられるのかと心配する尚人に対して、千尋は澄ました顔でこう言った。


「学食のデザート、一か月おごってください」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る