幼なじみの終わり方

scene 10 闇に消えた真相

　その日、学校は朝から大騒ぎだった。

　教室や廊下の至るところで、生徒たちがグループになり興奮気味に話し合っている。

　その会話に耳を傾けると、自殺という単語が共通して飛び交っていた。どうやら誰かが自殺をした、という話らしい。

「穏やかではないですね」

　登校したばかりの宮下千尋は、ざわつく廊下の様子を冷たい眼差しで一瞥した。喧騒が苦手な彼女は無関心を装ったが、気にならないといえば嘘になる。教室に入って自分の席につくと、千尋は前の席のクラスメイトに声をかけた。

「おはようございます、近藤さん。何やら校内が騒がしいようだけれど？」

　挨拶のついでにそれとなく探りを入れる。

「あ、宮下さん。おはよう」

　近藤と呼ばれた女子生徒は、いかにも喋りたそうな顔をして振り向いた。

「あのね。昨日の放課後、旧校舎の裏手で飛び降り自殺をした生徒がいたんだって」

「ああ、やはりそういう話でしたか」

　概（おおむ）ね予想通りの答えに、千尋は一瞬で興味を失う。自分と関係ない人間が死んだところで、彼女は何とも思わない性格だった。

　旧校舎は今頃、警察の実況見分で物々しい状況になっているだろう。などと、他人事のように想像を巡らせる。

　ところが……

「噂によると、自殺したのってバスケ部の人なんだって。宮下さん、確かバスケ部のマネージャーじゃなかったっけ？」

　千尋は、危うく椅子から転げ落ちそうになった。

　自殺者がバスケ部の人間となれば、さすがの千尋も動揺を隠すことができなかった。自分のよく知る人物が亡くなったのだから当然だ。

「え、バスケ部の……誰？」

　血相を変えた千尋が、小さな身体を乗り出すようにして訊ねる。その豹変ぶりに気後れした近藤は、仰け反りながらもすぐに答えを返した。

「岡部さんて人らしいよ、二組の」

　千尋は、驚くと同時に尚人のことを思い浮かべた。岡部みゆきが自殺したのであれば、彼が何らかの形で関わっているのではないか。咄嗟（とっさ）にそう思ったのだ。

　すぐに尚人の教室へ行こう。そして彼に確かめるのだ。しかし、千尋がそう思って立ち上がると、それを妨害するようにチャイムが鳴った。逸る気持ちを抑えて着席する。

　程なくしてホームルームが始まり、担任の口からみゆきの死について話があった。ハッキリ自殺であるとは言わず、曖昧な情報が生徒たちに伝えられる。

　それに関連して、授業の変更や自習時間、警察の事情聴取に対する答え方、放課後の部活動禁止、などの連絡が続いた。最後まで事件の核心に触れる話がなく、千尋は不満そうに眼鏡のブリッジを押し上げた。

（早く阿久沢先輩から話を聞きたい）

　一時間目の授業が始まっても、千尋の思考は事件から離れることができなかった。ひたすら板書を眺めながら、少ない事件の情報を頭の中で整理する。

　やがて待ち遠しかった昼休みになると、千尋は二年生の教室が並ぶ階下へ向かった。ちょうど尚人が廊下に出てきたところだった。

「阿久沢先輩！」

　千尋が小走りに近づく。

　その来訪を予期していたのだろう。尚人は口に人差し指を当てて黙らせると、迷わず千尋の手を引いて学食へ向かった。

　昼食を選び、トレーを持って一番奥のテーブルへ。二人は向かい合わせに座り、それとなく周囲の様子を窺った。この位置なら、大声でも出さない限り会話を聞かれる心配はない。

「来ると思ってたよ、宮下。『恋人契約』終了の件だろ？」

　そう問われると、千尋は呆れ顔で溜め息をついた。

「最終的にはその話になるのですが……。随分あっけらかんとしているのですね。幼なじみが亡くなったというのに、何もコメントはないのですか？」

　千尋が声のトーンを落として問いかける。尚人も小声で応じた。

「特にないかな」

「冷たいのですね。では、岡部さんは本当に自殺だったのですか？」

　その問いかけに、尚人の眉がピクリと反応する。

「たぶん……宮下が想像してる通りだよ」

「だとしたら、阿久沢先輩はとても恐ろしい人ですね」

「警察に通報するかい？」

　軽い口調で訊ねる尚人だったが、その表情はひどく真剣で、とても余裕があるようには見えなかった。テーブルの上の指先も微かに震えている。

　千尋は小さく首を振った。

「私もマネージャーの件で岡部さんに嫌われていましたから。そう言えば分かるでしょう？」

「つまり、この件は黙認してくれると？」

「学食のデザート一か月分。今度は恋人契約ではなく口止め料として。それで手を打ちます」

「そいつは助かる。財布は先月から悲鳴をあげっぱなしだが」

　尚人が、苦笑を浮かべて口止め料を了承する。

　それを確認すると、千尋は表情を改めて話を続けた。

「完全犯罪の見込みはあるのですか？」

　尚人が首を傾げる。

「どうだろうな。一応それっぽく見えるように、みゆきの靴は屋上に揃えておいたが。あと、旧校舎の鍵を持ち出したのはみゆきで確定らしい。目撃者がいたんだ」

「それは運が良かったですね。例の『バスケ部事件』もありますから、岡部さんの自殺の動機も充分といったところでしょう」

「どのみち俺たちに選択の余地はなかった。やらなければ俺がやられてた。みゆきの協力者が遠……味方じゃなかったら、今頃『自殺』してたのは俺のほうだったよ」

　そこまで言うと、尚人は話を打ち切るように上体を引いた。隅の席とはいえ、学食の利用者が増え始めて警戒したのだ。

「何にせよ、これで私もお役御免。偽りの関係は解消ということですね」

「今まで済まなかったな」

　――恋人契約終了。

　そして話題が途切れた二人は、何事もなかったように黙々と食事を続けた。

　千尋が、途中で追加した「口止め料」までペロリと平らげ、一足先に席を離れる。

「デザートごちそうさまでした。私はこれで失礼します。阿久沢先輩、どうぞお幸せに」

　去り際にそう言うと、千尋は満足そうに微笑んで学食をあとにするのだった。