scene 09 おちた日

 そして運命の日がやって来た。


 今日は、幼なじみの尚人に別れを告げる日だった。


 興奮して授業に集中できないみゆきは、改めて殺害計画を細部まで思い描いた。


 ――まず、旧校舎の鍵を持ち出す。これは特に難しい作業ではない。普段まったく使われていない旧校舎の鍵は、その管理も杜撰ずさんだった。人目につかぬよう行動すれば、簡単に持ち出すことができる。


 鍵を開けて中に入ったら、次は遠山と合流して屋上へ向かう。みゆきが合図を送るまで、彼は貯水槽の裏に身を隠して待機するのだ。


 そして最後の仕上げ。


 約束の時間に現れた尚人に対して、みゆきが泣きながら嘘の情報を伝える。ストーカーの遠山に襲われ、抵抗した拍子に彼を突き落としてしまったと。それを聞いた尚人は、フェンスのない屋上で不用意に下を覗き込むだろう。あとは隠れていた遠山が、みゆきの合図で尚人を突き落とせば終了だ。投身自殺ができあがる。


 しかしそれは、みゆきにとって真の終わりではなかった。まだ彼女には「一人用の殺害計画」が控えている。尚人の殺害で気が抜けた遠山を、今度はみゆきが突き落とすのだ。それでようやく、目障りな幼なじみとストーカーを始末できる。晴れてハッピーエンドだ。


 こうして計画を細かくシミュレートしているうちに、気づけば放課後を迎えていた。


(よし、いよいよね)


 みゆきは教室を出ると、まず校務員室に忍び込んで鍵を拝借した。戻る途中で、たまたま通りかかった他クラスの生徒と鉢合わせする。ドキッとした。だが鍵を持ち出すところは見られていないはずだ。みゆきは何食わぬ顔で通り過ぎた。


 その足で旧校舎へ向かうと、中に入ってパートナーの遠山と落ち合う。


「来たわね。そっちの首尾はどう?」

「あと三十分もすれば、時間通りに阿久沢君が来ると思う」


 遠山がどう言ったのかは分からないが、とにかく尚人を呼び出すことはできたらしい。


 みゆきは、前髪を掻き上げながら満足そうに笑みを浮かべた。ここまで来れば、もう計画の成就は目の前だ。尚人と遠山をこの世から消し去り、自由を手に入れられる。


 だがこの時点で、すでに尚人という存在はみゆきを縛っていなかった。彼を忘れる手段である殺害計画は、いつしかそれ自体が目的となっていたのだ。みゆきはこの状況を、そしてこのスリルを、心の奥底で無意識に楽しんでいた。


「わたしが後ろ手に合図を送ったら、尚人を背後から突き落とすのよ」

「うん、分かった」


 遠山が薄汚れた貯水槽の裏にまわると、みゆきも屋上の端で自身の準備を始めた。適度に着衣の乱れを作り、右手に嘘泣き用の目薬を隠し持つ。自力で泣く演技ができないみゆきには必須アイテムだった。


 そして待つこと二十分。塔屋の錆びたドアが軋んだ音を立てて開くと、律儀に五分前行動をした尚人が屋上に姿を現した。


「……みゆき?」


 尚人は、屋上の端で泣くみゆきを見て目を丸くした。


 当然の反応だろう。


 遠山が待つはずの屋上に足を運んだら、女の子座りで泣いているみゆきがいたのだ。しかも服装がわずかに乱れている。これで驚かないはずがない。


 ここまでは予想通りの反応だった。しかしみゆきは、心配している素振りがない尚人に若干の不満を抱いた。彼は落ち着いた足取りで歩み寄ってくる。


「どうしてみゆきがここにいるんだ?」


 大して関心がないのか、尚人は冷めた口調でそう訊いた。


「わたし、ストーカーの件で謝りたいからって、遠山に呼び出されたの」

「俺も遠山に呼ばれて来たんだ。だけど、みゆきが一緒とは聞いてなかったよ」


 尚人は迷惑そうに言うと、みゆきとの距離を少しだけ詰めた。


 ――そうよ、もっと近くに来て!


 みゆきの中に芽生えた邪心が尚人を手招きする。極度の興奮と緊張に肩が震えた。ギュッと握り締めた手は一瞬で汗だくになった。


 しかし尚人は、みゆきの思惑通りには動かず、その場で立ち止まり口を開いた。


「それで遠山はどこにいるんだ? おまえも涙目で様子が変だけど、何かあったのか?」


 お誂え向きの質問だった。


 みゆきは、事前に用意した台詞を涙声に乗せ、渾身の演技で尚人に訴えた。


「さっき遠山に襲われて、抵抗したとき彼を屋上から……」

「まさか、突き落としたと? いや、そもそも遠山がおまえを襲うわけないだろ」

「でも、人目を避けて旧校舎に呼び出したのだって、きっとわたしを襲うために――」

「だったら俺を一緒に呼ばないだろ。おまえ、何か隠してないか?」

「か、隠してないっ!」


 焦燥に駆られ、うっかり叫んでしまう。


 みゆきは自分の迂闊さを呪った。もしかしたら、今ので疑われてしまったかもしれない。


「分かった。じゃあ確認してやるよ」


 尚人は怪訝な表情を浮かべながらも、屋上の端まですんなりと歩を進めた。みゆきが慌てて立ち上がり、遠山が落ちた――という「設定」になっている場所を指さす。尚人は恐る恐る下を覗き込んだ。


 チャンスだった。


 一時はどうなることかと思ったが、尚人はまるで警戒していないようだった。みゆきは笑いそうになるのを必死に堪え、貯水槽の裏に合図を送った。


 遠山が猛然と走り出る。


 そしてみゆきが、彼の気配を背後に感じた刹那――


「えっ!?」


 遠山の華奢な身体が、みゆきの背中を思いきり突き飛ばした。


 不意を突かれたみゆきは、崩れた体勢を辛うじて反転させ、虚空を掴んだ。フワッと身体が宙に浮き、直後に屋上の景色が遠ざかる。


(そんな……)


 視界の端に、自分を見下ろす二人の姿を捉えた。みゆきはその顔を見た瞬間、尚人と遠山が結託していたことを悟った。騙されたのは自分のほうだったのだ。


 そして恐怖と失意が胸に溢れ返ったとき、みゆきの意識は強い衝撃とともに地面の上で砕け散った。

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