第4話 兎の青い目の窪み

 椅子に座ってぬるい水を飲んでいると、煙草の煙で汚れた私の部屋のうす黄色くなった壁に、そこだけ小さな窪みがあるのに気づいて、動揺した手がコップを倒して、水がそこらじゅうに拡がった。窪みというよりそれは一つの世界を成しており、ある角度からそれを眺めれば怒った犀の歯茎のようであり、反対側の角度からそれを眺めるとそれは兎の毛皮から作った真白の雪の吹きつける人工的な窪みであり、またはその兎の青い目のようでもあった。私はそんなものは一度も見たことがないので、困った窪みを何かで塞いでしまえないかと思案したが、小学生の時に使っていた粘土がどこか押し入れにないかと思ったが、私は粘土の匂いを嗅ぐとすぐに眠くなり、身体が気怠くなり、忽ちあの退屈で遅緩した私の嫌いな真昼の午後、青いすべり台のある公園を思い出したので粘土を探すことは辞めることにした。そうこうしているうちにテーブルに拡がった水の粒たちは勝手にコップの中におのおのが歩くように戻り、その足取りは背筋に快いものを感じさせたが、本物の軍隊の軍靴の靴底の鋲が地面を鳴らすより良いというほどではなく、彼らの歩きよりはその周りに散乱している瓦礫と化した肉屋や、煙草屋や、泣いている子どもの声のほうが私は荒涼として私は好きな風景のようにも思える。......誰かに平手打ちされた.....きっと虎の声までが聴こえるそんな窪みなんてものは最初から無かったのに違いない。誰かが塞いでくれるに違いない。いま私の頬を打った潜在的な敵対者が......窓の外の軍靴の音だけがいまは聴こえている.....


 その時、森のはずれにある大樹の根元の洞の中で一匹のウサギがだらしなく眠りこけていた。ウサギはもう5日間も眠りこけていたので空腹をどうすることも出来ずに、人間のいる街までひょっこら出かけようと思ったが、妙な予感がした。森を出て街まで歩いていてもあの人間がたくさんいるざわついた感じがなく、太鼓を叩く音もしないし土器を練る音もしないし猫もいないし、試しに目についたボロ家に入ってみたが人間は誰ひとりとして居なかった。異常だとウサギは思ったが、そんなこと知るかとパンと燻製された羊肉となんだかわからない青菜を信じられない勢いでガッツイて食べた。ウサギは腹がパンパンになったので、くちなおしに水を飲もうと「三角公園」まで歩いたが、蛇口や水道管がすべて破壊されていて、代わりになんだかわからないネットリした粘液みたいなものが、大きな足跡のように、そこらじゅうに間隔をおいて痕跡を残していた。ウサギは、「なんかバケモノが来たんだな」と推理して、しかし人間がいないとなると食べ物は盗み放題だしやりたい放題できると思いながら小躍りして森に帰ろうとした。もうちょっと何か食べたいなと思いある家に庭から入ると、途端に天井の梁が裂けた。掛け時計、台所、テーブル、椅子、家具調度が視界の中で斜めになって、ぜんぶ粉微塵になった。ああ俺は失敗しただが死にたくはないとウサギは、粉だらけになった世界の中で約1メートルほどビヨョーーーンと跳躍し、下界を冷静な眼で眺めるとあのネットリの正体がわかったわかった。巨大なネットリー、仮にそう呼ぶならばネットリーはゆっくりと滑らかに建物を壊しては吸収し、それを繰り返している。ウサギは空気をさらに蹴り、5メートルを跳躍し、さらに空気を蹴り蹴り、飛んで飛んで、を繰り返していると雲のあるところに到達した。そこでは智天使ケルビムが寝そべりながら水煙草を優雅にふかしており、笑いながら惨事を見物していた。ウサギは俺も水煙草が吸いたいとケルビムに近づいたら、ケルビムたちは鳩が逃げるように翼をはためかせひとり残らず逃げたが、、、


(続)

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