第3話 記憶

 蔦が樹の幹を這うところ、樹液が音を立てて滴っているところ、漁港の小舟の小籠に入っている切られた誰かの血だらけの腕や、眠る仔猫のふとしたあくびにこそこの物語の史実は宿り、樹の皮を何枚も剥ぐと、真実があるどころか、語り手の記憶さえも、読み手の記憶さえもが泡のように無くなってしまう。だから私が書きつづけるのだ。しかしどのように?天体さえもが消滅したこの場所で、真っ暗闇の空無で?

 猫たちと人間の500年戦争のことを語るのは容易ではない。松明を持ってニャアニャア叫ぶ大猫たちが、鎧を着け、剣を振りかざし、人間の首を刎ねると、側で遊んでいる子どもたちは逃げるどころか、枝でつついている蠍いじめにさらに拍車がかかりあまつさえ脚をちょん切ってライターで燃やしてしまう。しかし魚の眼で動く巻き貝を眺めていた、おそらくこの物語の主人公となる少女はそんな遊びには参加せずに、外では雨の降っている部屋で、母親から教えられた交霊術を独りでもくもくとやっていた。猫たちが、「猫狩り」義勇軍を難なく倒すために、悪い霊の力を借りるために少女はそのような加勢を行っていたのだが、床にまず白墨で円を描き、鶏の生き血を中心に垂らして、部屋を真っ暗にし、蝋燭を3本立てて、「猫狩り義勇軍をぬかるみで倒して」と言った。すると、馬に乗っていた粗野な猫狩り義勇軍たちは波がしぶきをあげるように全員がつぎつぎと悪夢のように落馬し、うごめく泥で脚が粘ついた馬たちは街の前線から、いななきながら撤退する。猫たちは勝った。しかし、ふつう街の人間は誰ひとりとして猫の味方であることはなく、味方であったとしてもそれを知られたら少女であっても密告され処刑される暗い時代であった。しかし少女は、母親から受け継いだ生得の人間嫌いであり、青い煉瓦で建てられたその家から外へ出ることは18歳になるまでけっしてなかった。母親は、実は猫の混血人間だった。そのようなあいまいな立場だったために様々な危険にその生涯に渡ってさらされ、人から隠れて交霊術ばかりやることになる。街から海は遠かった。少女は、交霊術に飽きると母親に海のことをよく聴いた。海の色はどのような色?猫は海が泳げるの?少女は夜、眠るとき、だから魚になって自分が泳いでいる夢を見た。床の上で勝手に動く巻き貝は、だからそこに存在するというより少女の現像が生み出したものかもしれない。

 この街は戦争中であろうがなかろうが雨が多かった。ある時、大水になり、街も、森も流されそうになったことがあった。猫たちは、地下に潜り難を凌いだが、人間はかなりの数が死んだ。大量の林檎がどこからあらわれたのかわからないが、増水した川を流れていた。以前の話に少々戻ると、猫たちが掃除した、破裂した林檎が散らばっていた床に、蟻が一匹這ってきた。その蟻は、異常に大きく、顎が大きく、何か不吉な予告をしていたたために仔猫ではなく大猫が一飲みした。その数時間後に、その大猫は泡を噴いて死んでしまった。それは、「猫狩り」義勇軍の最初の知らせだった。大猫は、その習性にしたがって少女のベッドの下で眠りながら泡を噴いたために、その死が何を意味するのか、後の限りなく繰り返される戦争の予兆であるとは、少女ですら、母親ですら気づかなかったが、死んだ大猫の亡骸は、亡骸であるにもかかわらず、四本の脚で立って「今後400年は外に出ないように」と常軌を逸した警告を母子にした。その400年間はしかし、暇だった訳じゃない。蔓草や多肉植物を煮詰めて煎じたものを濾して、悪魔を召喚するための香料を数えきれないくらい作り、小さな瓶で部屋が埋め尽くされた。


(続)

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