第277話 閑話 情報屋
トウロニア帝国の皇室に一人の男が呼ばれた。
その者は城に入るにはふさわしくない身なりをしていて、持っていたのが皇帝陛下からの推薦状でなければ城の中に入るどころか近付くことすらできなかっただろう。
男の名前はククロ。またはドーラ。またはアリ。またはクロノア。またはアイズ。
様々な名前で呼ばれていて、その本当の名を知る者は誰もいないと言われている。
その本人を除いて。
だから、彼をよく知る者は彼の名前を呼ばない。
ただ、情報屋とだけしか。
「よく来たな、情報屋。顔を上げろ」
皇帝カイザーの声を聴き、跪いていた男は顔を上げ、見る。
そこは謁見の間ではない。
完全なカイザーの私室だ。
そこにいるのは三人。そのうち二人は女。
一人は親衛隊のアニータ。
そして、もう一人はメイド服を着た女だ。
名前はわからない。
少なくとも正規ルートで王城に入ったメイドに関する情報はだいたい掴んでいるが、彼女については情報がない。
男は目を細めて女を見る。
ただあの女が最初から決勝トーナメントに出場を許されたイレブンという女だという予想はできた。
「ふむ、情報屋というのは恐ろしいな。情報を買うために呼んだのだが、まさか見ただけで彼女の情報を奪われたのか」
「滅相もありません、陛下。とても美しい女性のため、少々見惚れていただけでさぁ」
「貴様、陛下に対してなんて口の利き方を――」
アニータが剣の柄に手を伸ばし、いまにも男に切りかかりそうな顔になるが、カイザーが止めた。
「いい。礼儀作法ができないという話は聞いている。情報屋も友に接するように楽に話してくれて構わない」
「それは助かる。それで、陛下はどのような情報をお求めて? やはり武道大会でしょうか?」
「お前の持っている情報全てと言ったらどうなる?」
「さぁて……俺は貰った金の分だけ情報を売るだけです。もしも陛下がそれにふさわしい代金を支払ってくれるというのであれば、勿論全部話しますがね」
男がそう言うと、またもアニータは激昂するが先ほどカイザーに注意された手前、何も事を起こさない。
そしてカイザーが指を鳴らすと、メイドの女がとトレイに載せて小さな袋を持ってきた。
中身が全て金貨だとすれば、10万イリスといったところだろうか?
「聖貨で1000万イリスある」
「聖貨……はは、庶民には見たこともない貨幣だな」
本来、この世界に流通している貨幣は教会が発行、管理しているものだが、帝都では独自に金貨の上の貨幣、聖貨を採用している。価値は金貨の100倍。その素材は金より遥かに貴重なミスリルだ。
「これで情報を頼む。今回の武道大会についてだ」
「ああ、用意している。まずは、これが大会に乗じてやってきた敵国のスパイの情報だ」
「ほう…………………………………………よく纏めてあるな」
カイザーはさっと見て、それをアニータに渡した。
「次に、今回の大会の不正者一覧だ。八百長、工作、闇討ちなどな。斜線で消してあるのは卑怯な手を使っているのに負けてる奴だ」
この情報は出すところに出せば、かなりの金になる。
脅しの材料としてこれほど使えるものはない。
カイザーはそれを見て、またアニータに渡し、一言「対処しておけ」とだけ伝える。
そうなったら、もうこの情報に価値はなくなる。
恐らく不正を行った参加者は全員失格となるだろう。
(まぁ、どんなに脅し取ったところで、1000万イリスには満たないから構わないが、しかし――)
男は思った。
カイザーの表情を見ると、彼の欲していた情報はこれではない。
だったら参加者の情報か。
「率直に言ってくれ。陛下が欲しいのは誰の情報だ?」
「誰だと思う?」
情報屋として試されているのだと思った。
だから、男は答える。
「トーカ……トーラ王国に認められた勇者トーカとその一行だな?」
男は気付いていた。
大会の会場で、トーカを監視する人の目がやたらと多かったことに。
他国に認められた勇者だからというわけではない。
恐らく、別の理由があるのだと踏んでいた。
「さすがだな」
「となると、三回戦までの試合の状況は全部把握しているんだろ? 泊っている宿の情報も。ってことは、陛下の知らない情報を出さないと、情報屋として面目丸つぶれってことだ。いやぁ、参ったな」
と男は両手を上げてお手上げのポーズをし、そして袋をメイドに返した。
「すみません、陛下。これはお返しします」
男はこれまでと打って変わって、まるで貴族のような礼節を伴い頭を下げ、大金貨の詰まった袋を差し出す。
「構わん。これは貴殿の持っている情報に対する対価として支払ったものだ。たとえ必要な情報がなかったとしても――」
「情報屋としての矜持にございます」
そこにはカイザーを説得させるだけの力が込められていた。
結局、カイザーは情報屋をそのまま帰すことになった。
男は結局金を貰わずに城を去る。
「はぁ……儲け損ねたなぁ」
それを聞いて、城を見張っていた衛兵が失笑したのに気付いた。
彼らは情報屋がカイザーに呼び出されたのを知っているから、交渉に失敗して金を貰い損ねたのだろうと予想した。
だが、それは間違いだ。
男は最初からこうなることがわかっていた。
男はそのまま家に帰る。
情報屋の家だ。
そして、情報屋の部屋に入ると、そこに彼がいた。
男と全く同じ姿をしるアリと名乗っていた男が。
彼の目は怯えている。
「やぁ、情報屋くん」
男は声をかけ、口に噛ませていた布を外した。
「た、助けてくれ。なんでもするから」
「ダメだよ。だって君は全部知ってるんでしょ? あのトーカが偽物だってことも、トールの正体がトーカだってことも。まったく、情報屋っていうのは大したものだね。まさか私の正体まで気付いているなんて」
「お、俺はクナイド教だ! あんたの味方だ! だから――」
「あはは、クナイド教が味方? 君は派閥が違うでしょ?」
そう言って、情報屋は男の顔を踏み潰す。
そして、その姿を変えた。
少女の――スクルドの姿に。
「しかし私としたことが遅れちゃったなぁ。もう彼のところに情報は届いているのか……」
スクルドはそう言うと、机の上の書きかけの手紙を見ると、魔法で燃やす。ワグナーという宛名の書かれた封筒とともに。
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