第271話 スクルドとの話はペットのしつけのあとで

 温泉に現れたのはスクルド。

 リーナの師匠でありトーラ王国の元宮廷魔術師であり、そして邪神。

 この世界に元々いた名前がなかった神。

 スクルドというのは北欧神話に登場する神の名から取ったらしい。


「俺たちがここに来ることがわかっていて待っていたのか?」


 こいつは予言の力を持つ。未来がわかる。どこで待ち構えることもできる。

 視界が悪く、アムの鼻も利かない。

 温泉の中心で戦われたら足場の不利もある。

 スクルドは何も持っていないが、しかし彼女の強さは装備とは関係ない。


「いいえ、あなたたちが来るのはわかっていたけれど、会ったのは本当に偶然。ここは私のお気に入りの場所なのよ。私って年寄だから温泉が大好きなのよね。だからこそ戦いはしたくないわ。温泉をあなたたちの血で汚すのは御免よ」


 どこまで冗談かわからない感じに彼女は言った。

 一つ本当だとわかるのは、ここで戦いが始まれば血を流して倒れるのは俺たちだということくらいか。

 レベルを上げ、強くなったはずだが、実力の差がこれほどまでにあるのかと恐れる。


『グルルルルルル』


 唸り声が聞こえた。

 ノワールの声だ。

 突如、影の中からノワールが飛び出してスクルドに襲い掛かった。

 スクルドの狂気を浴びて耐えられなかったのだろう。


「やめろ、ノワール!」


 俺が止めるのも聞かずに、ノワールの鋭い爪がスクルドに襲い掛かった。

 スクルドの身体が真っ二つに切り裂かれた――かと思うと、その身体が霧のように消え、温泉の湯気に混じるように消える。その間際に彼女が言い放った――


「伏せ」


 というそれだけの言葉に、ノワールが顔を地に付ける。

 顔半分が温泉の中につかっている。このままだと息ができないぞ。


「ダメよ、ちゃんとペットのしつけはしなくちゃ」


 当然、スクルドは生きていた。というか怪我ひとつしていない。

 伏せてるノワールの中から彼女は真っ黒な服を着ている状態で現れた。


「あんたの狂気に当てられたせいだよ。ノワールは普段はいい子なんだ」

「あら、私のせいだって言いたいのかしら? 私ってこう見えて愛犬家なのよ?」

「犬じゃなくてドラゴンだけどな」

「だったら、愛竜家ね。犬も竜もどっちも干支に入ってるんだし、似たようなものでしょ?」


 犬と竜って、干支では対極に近い位置にいる動物なんだが。

 しかし、地球の、しかも一部の国の人間にしかわからない話をよくもまぁぶち込んでこれるものだ。

 神様っていうのは伊達じゃない。


「それで、あんたは俺たちが来るのはわかっていた。それでも逃げもせずに――いや、厄介事になることを受け入れて待っていた。話があるんじゃないか? それとも、一緒に仲良く風呂に入りましょうっていうんじゃないだろうな?」

「あなたの国にはこういう言葉があるんでしょ? 裸の付き合いって。仲良くお風呂に入りましょう。ええ、冗談よ。話はあるわ。遊佐紀冬志くん。あなた、私の仲間にならない?」

「……俺はあんたが世界を破壊しようとしていることを知っている。それで仲間になると思ってるのか?」

「そうね。あなたは世界を守りたい。私は世界を壊したい。でも、協力してはいけないってことにはならないでしょ?」


 彼女はそう言って、ノワールから降りると、その身体を蹴り上げた。

 スクルドよりも何倍も大きなノワールは抵抗することなく宙を舞い、俺の影の中に吸い込まれるように落ちていった。


「協力できないと思います」

「あら、そうかしら狐ちゃん。たとえば、トウロニア帝国の皇帝カイザーは神をその身に卸し絶対的な力を手に入れようとしている。私はそれを阻止したい。もしも人間が神を宿せば、それは私にとって邪魔者でしかないもの」

「そうなると、カイザーの協力をしたくなってきたな」


 俺は皮肉めいたことを言う。

 だが、本心でもあった。

 あいつの願いは亜人と人間の差別のない帝国を作ることだ。

 帝国に入ってアムやミスラへの差別的態度は許せないものがあった。

 あいつが神をその身に宿し、帝国の在り方を変えるというのであれば悪くない気がする。

 もちろん、それで神に身体を乗っ取られて世界を滅ぼそうとしたら困ったことになるが。


「あなた、皇帝カイザーがどうやって神をその身に卸すか知ってるの?」


 俺は首を横に振る。


「神をその身に宿すには絶対的な信仰が必要。最初、彼はあなたと出会ったその迷宮でドラゴンの最下層に眠る魔王の右腕を手に入れようとしていたの」


 なんかとんでもないワードが出てきた。

 魔王の右腕だって?

 それがあの迷宮に?


「でも、予定は変わった。霜月――あなたの命を狙うロボット兵器と出会った。皇帝カイザーはそのロボット兵器の力を己への信仰心に利用しようとしている」

「霜月を?」

「皇帝カイザーは武道大会であなたが出場することに気付いている。皇帝カイザーは武道大会で霜月を爆発させるつもり」

「は? そんなことしたら帝都が吹っ飛ぶぞ」

「ええ。邪魔な元老院もろともね。そして、崩壊した帝都の中でカイザーは生き延びる。彼を信じる部下とともに。それは奇跡になる。それは信仰になる。新たな神になる」

「無茶苦茶だ。それでどれだけの人が死ぬと思ってるっ!?」


 ハスティアが叫んだ。

 帝国の人口は100万人だと言っていた。

 霜月の爆発の威力が俺の予想通りなら、その大半が死ぬことになるぞ。


「でも、私は手出しできない。神同士――あなたたちが言うところの邪神同士は争うことが許されない。それは私たちの取り決め。ロボット兵器ちゃんには神の力が宿っている。だから、ロボット兵器を壊すことができない。だから、君に壊してもらわないといけないの」


 そして、スクルドはその姿を変えた。

 その姿は俺の姿だった。

 鏡でよく見る左右対称の姿ではないので、自分の姿だというのに違和感がある。

 スクルドは俺の声で語った。


「俺がこの姿で武道大会に出る。既に予選に登録はしている。そして、俺と霜月が戦うとなったとき、霜月は爆発するはずだ。それより前に君達のうちの誰かが霜月を止めてくれたらカイザーの狙いは阻止できる」

「一回戦でいきなりあんたと霜月が戦うことになったらどうなる? 俺たちが止めるまもなく爆発することになるぞ」

「それはないさ。カイザーが爆発に選ぶのは、元老院の議員の大半が見学する準決勝と決勝が行われる最終日。それまでに当たることはないさ。当然、意地でも俺と霜月を合わせないようにするだろうな」


 なるほど、スクルドを囮にして俺たちが霜月を止める。

 必要な協力関係だ。


「じゃあね、勇者くん」


 スクルドはそう言うと、元の姿に戻ってそのまま消えた。

 地図を見ても反応は消えている。


「あれが邪神スクルドですか。噂には聞いていましたがとんでもない存在ですね。対峙して思いましたが、掠り傷ひとつ負わせるヴィジョンが浮かびません」


 ハスティアが汗を流して言った。

 皆も凄い汗だ。

 それはこの湿度のせいじゃないと思う。

 むしろずっと背筋が凍りっぱなしだったからな。

 この汗を流すためにも――


「とりあえず、みんなで温泉に入っていくか」

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