第205話 扉を開くのは魚が焼けたあとで
「あの干物、いくらで買いますか?」
アイリーナ様はいきなりそう言って魚の干物を手に取った。
「何を言ってるんだ?」
「ここは闇ギルドであり、食事処でもあるのですよね? ハンバルの村の名産品の魚の干物です。きっと人気が出ますよ。あぁ、買ってくださらないのでしたら、勝手に調理して、お客さんに直接お売りしてもよろしいでしょうか? さっきからずっと干物の匂いを嗅いでいたので、食べたくなったんです。こっちは命を狙われたのです。厨房くらいお借りしてもよろしいですよね」
「勝手にしろ」
許可を貰ったアイリーナ様は早速、干物を一枚持って厨房に向かう。
残りの干物はハンバルの村の村長さんが運んでくれた。
道中、おっさんはアイリーナ様が誰にも見られないように注意していた。
王女がこんなところにいるってなったら大騒ぎだからな。
闇ギルドのマスターのおっさんは『魚を食べたら出ていけ。誰にも見られるんじゃないぞ』と言って、唯一の入り口の扉を塞ぐように立つ。
薪に火をつけ、網で干物を焼く。
いい匂いが厨房に広がるのだが――
「トーカ様、これはどのくらい焼いたらいいのでしょうか?」
「もう少しですね……たぶん? アムはどう思う?」
「わかりません。ミスラはどう思います?」
「……魔法で焼く?」
四人揃って料理オンチだった。
仕方ないだろ、家ではいつもポチが焼いてくれていたし、日本にいた頃も魚を焼いてくれていたのは妹のリンだった。
昔は俺も料理を作っていたはずなんだけどな――何年も料理をしていないとどうも。
「村長さんは? 売ってるからわかるでしょ?」
「申し訳ありません、料理は亡き妻がやってくれていて――」
訂正、五人揃って料理オンチだった。
このままだと、せっかくの干物が真っ黒こげになるかもしれない。
「もういけるんじゃないか?」
「どけ、せっかくの干物が勿体ない」
そう言って干物をひっくり返したのは、闇ギルドの長のおっさんだった。
干物からあがる煙とともに、その暴力的なまでに美味そうな匂いが厨房に広がっていく。
道具欄にポチが作ってくれたおにぎりがあるからそれと食べたい。
「よし、焼けたぞ」
おっさんが焼けた干物を皿に載せていく。
その時だった。
扉が勝手に開いた。
「お、開いた! マスター! さっきの干物を焼いてるんだろ! うまそうな匂いで我慢できねぇ、俺にも売ってくれよ」
そう言ってさっきの獣人が入ってきて――
「アイリーナ姫っ!?」
ハチがアイリーナ様に気付いた。
アイリーナ様の絵姿が王都で売られているって言っていたから、わかる人にはわかるんだろう。
「黙れ、ハチ」
おっさんが言うが、もう手遅れだった。
さっきの部屋は防音部屋だが、ここは防音部屋ではない。
その声はレストラン中に筒抜けだ。
レストラン中にいた男たちが一斉に厨房を覗きにやってくる。
「ハチさん、干物焼けてますよ。一枚どうぞ」
アイリーナ様はそう言って笑顔で干物を一枚別の皿に載せて渡した。
「あ……あぁ……え? どうなって」
「皆さんもどうぞ」
アイリーナ様はそう言って、焼けた干物を渡していく。
皆があっけにとられながらも、アイリーナ様から手渡しで干物の載った皿を受け取っていく。
そんな場合じゃないんだろうけれど、彼女がそこにいるのが当たり前のようにふるまうものだから、男たちも何も言えずにいた。
「どういうことだ」
「そうじゃねぇ、厨房の扉は外からは開かないようになっている。なんで勝手に開いた?」
「扉が勝手に開いたのですか? それなら、立てつけが悪いのではないですか?」
アイリーナ様は素知らぬ顔で言った。
おっさんは魚を焼く前は扉の前にいて、そして魚を焼く前も常に扉の方を注意して見ていた。
誰かが近付けば止めただろう。
しかし、おっさんは知らなかった。
マックルが姿を消す魔道具を持っていることを。
莫大な魔力を消費するため、ダンジョン以外ではほとんど使えない魔道具だが、それでも、こっそり扉を開けるくらいはできる。
そして、扉の外に誰かがいることは俺が地図を使って見ていた。
魚を焼き始めたところから、厨房の周りをうろうろしている奴が現れたから、さっきのハチって男だろうと思っていた。
そして、扉に近付いてきた段階で、マックルに合図を送った。
マックルはおっさんの背後に回った段階で姿を消し、扉を内側からこっそり開けた。
結果、ハチがアイリーナ様を目撃することになり、その情報は予想通り店中に伝播した。
「しかし、これは大変ですね。暗殺対象となったはずの私が、闇ギルドの厨房で楽しそうに料理をしていた――なんてことが世間に広がったらどうなるでしょう? 闇ギルドは私を暗殺すると言いながら、私を匿っていたと誤解する人が現れるかもしれませんね」
アイリーナ様はそう言って笑みを浮かべた。
作戦を聞いた時はどうなるかと思ったが、ここまで彼女の思惑通りになるとは。
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