四話 パルナ-パテロ
ソレルは第二パルナ-パテロで立ち尽くしていた。彼女の護衛達も目の前の様子に驚きを隠せない。
「何があったのでしょうか」
中堅の護衛が周りを窺いながらやっと言葉を出す。
それも当然だ。第二パルナ-パテロは静まり返り、誰もいない様子。大きく分厚い扉は二つに割れて地面に落ち、窓は割られて窓掛けは破けている。パテロの港から館へ続く道には所どころ地面が
「お祖父様はどこ?」
狼狽えながら発するソレルの言葉は風に乗って去って行く。
ソレル達はパテロの港へ着いてすぐ異変い気づいた。護衛が外へ出ないようにソレルに伝えるが、彼女は従わず外へ飛び出して行った。慌てて追いかける護衛達。そこで目にしたのがこの惨状。
護衛の内三人が様子を伺いながら中へ入る。今度は護衛に従い外で待つソレルだが、壊れた館を見て強盗かと心の中で呟く。高価な調度品もあるし、何より祖父を人質にして身代金を要求するという手もある。などと悪い事ばかり浮かんで来る。
「誰もいません」
中へ様子を見に行った一人が叫ぶ。
ほっとしてソレルは館へ向かって歩き出す。後ろには二人護衛が張り付く。
この惨状に本宅は気付いているのだろうか。そんな事を考えている時、突然黒い影が現れソレルの後ろにいる護衛二人を襲う。背後で倒れる音がしてソレルは振り返る。が、透かさず首の後ろに何かが押し当てられ、ビリビリとした強い痺れが体中を駆け抜けて声を立てる事なくその場に崩れ落ちた。
若手の護衛がその様子を目撃して襲った黒い影に叫びながら突進して行く。若い護衛は簡単に倒され、他の二人の護衛も気づいて駆けつける。しかし彼らも二つの影に次々打ち据えられた。
その間倒れたソレルに近づく影が。
影は仰向けに倒れたソレルの腕に素早く何かを打つと、護衛達を倒した他の影に合図を送る。
「引き揚げる。この娘を連れて来なさい」
きびきびとした高い声で言った。
命じられた二つの影。影のように見える黒い衣を脱ぎ捨てた一人は黒髪に白い髪が縦に何本も入り、もう一人は白髪に黒い髪が縦に何本も入っている。二人ともぴったりとした光沢のある服を纏い腕と脚を大胆に見せている。姉妹なのか似た顔立ちだが、白い髪の女は髪同様に肌も異様に白い。
「姉さんコレ、効きすぎじゃない? このガキ目覚まさないよ」
ソレルの脇腹を手に持つ棒でつつき回している白い髪の女が言うと、黒い髪の女が呆れたように妹を見返す。
「莫迦だね。意識のないうちに連れてくんじゃないか。力仕事はあいつらにやらせよう」
「お前達」と声を声を張り上げて呼ぶのは大柄な男二人。どこにいたのか呼ばれてのろのろと現れた男達の一人が軽々と担いだ。
黒と白の姉妹に倒された護衛のうち、意識を取り戻した者が連れ去られるソレルを目撃し、震えながら立ち上がる。
彼は自分の役目を十分理解していて、ソレルを取り戻すべく立ち向かって行く。しかし気づいた白い髪の女に返り討ちにされ、再び倒れた。女は容赦なく手に持つ棒を振り下ろす。棒の先には鎖が付いていて、棘の付いた球がその先端にぶら下がっている。球は護衛の肉を抉り、飛び散らせる。振り下ろす女はどこか狂気じみた表情を浮かべて繰り返す。
「行くよ」
黒い髪の女は妹にそう言うと自分は港の方へ歩いて行く。
「ここらでやめてやるよ」
白い髪の女が倒れて動かない護衛に吐き捨てる。そのまま軽い足取りで姉のあとを追って行った。
港の手前には音をたてる乗り物に跨る影の衣を纏った人物がいて、隣には同じものが二台ある。黒い髪の女がその一つに跨り、何かを操作するとギャルルルルと轟音が響き渡る。妹を振り返って早く来るように無言で促す。白い髪の女は走り出して最後の一台に飛び乗ろうとした時、それが突然裂けた。驚いた三人は何事かと辺りに視線を巡らす。だが、人影はない。厄介な護衛は全員倒したはず。黒い髪の女が武器を手に持ち、何が起こってもすぐ対応出来るように乗り物から降りる。
突然、ヴァヴァヴァヴァと甲高い音が響くと突風が現れ白い髪の女の背を打つ。女は何が起きたのか気づく様子もなく膝と手をつけた。慌てて振り返るが何も見えない。ほかの二人も突風が向きを変えて再び襲ってくるまで分からなかった。相手はアサンに向かって飛び、急旋回して光を背に受けていたので見えにくかったのだ。
突風のように見えたのは彼らと同じ乗り物に乗っていた為。その誰かは顔を覆う兜を被り、手には鞘に納まった幅の広い長剣を持っている。誰かは滑らかな動きで黒い髪の女を狙う。女は辛うじて急所を守り相手に自分の武器、手の平より長い棒を突き出しながら棒の先端を伸ばした。棒の先はパチパチと光が点滅し、当たったら何かが起きそうだ。
兜を被った人物は急に伸びてきた棒にも先端の光にも動じず長剣の鞘で軽く弾き、乗り物の向きをわずかに逸らして今度は黒い髪の女を打ち据える。そして影の衣を纏った人物と向き合う。先を行っていたソレルを担ぐ男ともう一人の男が急に足から崩れた。いつの間にか現れた若者が二人の男の足を止めてソレルを救出し、安全な所へ連れて行く。
振り向いてソレルが奪い返されたと知った最後の人物は黒と白の姉妹に向かって
「引く。娘は放っておきなさい」
と叫び、自分だけ乗り物を操作して宙へ上がった。姉妹は壊されていない乗り物に一緒に乗り、続いて舞い上がる。不快な音を響かせて侵入者達は去って行った。
「去ったようだ。怪我はないか?」
兜の人物は男達を拘束している若者へ向かって声を張り上げる。
「僕は平気。護衛の人達はすぐに手当しないと。ソレルはどうかな。家から医者を呼ぶよ」
そう言って若者は兜の人物へ近づく。引き返す事を警戒しているのか、兜の人物は女達が去って行った方角をじっと見つめている。
「あんまり無茶しないでよ。まだ本調子じゃないでしょ。何かあったら僕が文句を言われるんだからさぁ」
若者は兜を取ってやり、日に焼けた皺のある顔に鋭い眼光の祖父に言った。老人は不敵な笑みを返した。
「何者だろう。ソレルを狙ったのかな、それとも本命は爺さん?」
老人は曖昧な返事をする。自分が狙われるという情報は入ってきていないし、あるとすればガリアの事だが、それとソレルがどう関係するのか。
老人はソレルが尋ねる予定の人物、パルナ老。若者はソレルの従兄で第二パルナ-パテロで祖父と一緒に暮らしている。彼は館の様子を見て、
「まったく、ちょっと留守にした間に何してくれたのさ」
ため息混じりに言った。
ソレルが目を覚ますと見知らぬ天井が飛び込んできて、よく見ると寝台の上、柔らかい布団に包まれていた。側にいた女の人が「目を覚ましました」と声を上げた。すると足音を立てて隣の部屋から何人かが走り込んで来た。
彼らは次々に声を上げて話しかけて来るが同時に言うものだから何を言っているのかソレルには分からない。それでも見覚えのある顔が自分を心配しているのが分かり、自然に頬が緩んでいく。
伯父、伯母、いとこ達が最後には笑顔と一緒に叫ぶ。
「おかえり!」
ソレルはパルナ家の本宅、第一パルナ-パテロに移されていた。はじめ本宅から医者だけ呼ぼうとしたが、事情を知った伯父がこちらへ運べと言ったので、
ソレルは五歳までこのパルナ家で育った。母親は結婚直前に夫となるはずの人を事故で失い、ソレルを身籠ったまま実家へ戻った。母親の両親、きょうだい達は生まれる前に父親を失った子が哀れと、過ぎるほどの愛情を注ぎ、全員でソレルを慈しんだ。常に誰かがソレルの側にいて寂しくないように、不自由がないようにといき過ぎといえる位に。パルナ家の会社や邸宅の従業員もソレルを傷つける不届き者はいなかった。実際ソレルは素直でよく笑う子に育ち、誰からも愛された。
五歳の時、母親が結婚をして今のガリア王国へやって来て養女となった。義理の父親は自分の子供同然の扱いをした。それを周りにも周知し、徹底させた。ガリアの城の奥ではソレルの出自について陰口をたたいた者はすぐ馘首され、復職は叶わず、同じような職に就く事も出来なくされた。城勤めの全員が対象となり、半年ほど混乱した。ソレルの義父はゆっくりと淘汰していった。そうして残った者は義父の信頼を得る事になり、さらに勤めに励んだ。
こうしてガリア王女となったソレルだが表にはあまり出ず、ひっそりと大切に守られながら成長していった。それは母親の結婚式当日に誘拐未遂にあった事が理由とされている。
表に出るようになったのは成人して、公務を任されるようになってから。そして今、大変な渦中にいるソレルである。
ソレルは寝台から起き上がると首の後ろを押さえた。
「ここ痛い」
さすりながら言う。側にいた女の人が強力な痺れるものを当てられたようだと説明してくれた。しばらくすれば自然に治まると続けて教えてもらった。頷いてから寝台を離れ伯父、伯母、いとこ達の中へ飛び込んで行った。あっという間に囲まれてソレルは子供の頃の感覚に戻っていく。年下のいとこの一人がソレルの手を取ってパルナ老のところへ導いていく。パルナ老はゆったりとした椅子に座り、側には初めて見る杖が立て掛けられている。
「お祖父様、杖を使うようになったのですか?」
驚いたソレルが問う。いつも豪快に笑い、沢山食べ、大量に飲み、訓練といっては孫たちと険しい山に籠って鍛え、元気以外の言葉など当てはまらない祖父だとずっと思っていたからだ。老人は恥じらうような笑みを浮かべながら
「歳には勝てん──」
と、呟いた。
ソレルには知らされていない事だが、この老人は最近まで寝込んでいた。若い時に無茶ばかりしていたので、今になって体が悲鳴をあげて来ていたのだ。だからこの祖父を見習っている年長の孫が側に付き添うようになった。彼はパルナ老の長男の息子で、名をエギールといい、小さい頃のソレルと遊んであげた事もある。
エギールはパルナ老の側に来ると何やら耳打ちする。老人は頷いてソレルを見る。
「そなたの訪問理由は分かっておる。ガリアの事だな。まさかパテロ崩壊が起こるとは誰にも予想出来ん。わしらに出来る事は何でもするぞ。それは安心していい」
ソレルは居住まいを正して感謝を口にした。
それから沢山のお菓子に囲まれたソレルを中心に和やかに会話が弾んだ。ガリアの出来事など何もなかったかのように。伯父達の気遣いにソレルは心の中で感謝していた。
その後、エギールを伴って第二パルナ-パテロへ戻り、リグ-メディーテの護衛達の所へ向かった。彼らはソレルと同じくパルナ家の本宅へ誘われたが、一介の護衛、しかも主人を守れなかったので、と断っていた。それでも手当は有り難く受け入れていた。
彼らに与えられた部屋へソレルが姿を現すと軽傷の護衛が真っ先に立ち上がって出迎え、意識のある者は上体を起こした。みな口々にソレルの無事な姿に安堵し、守れなかった謝罪を伝えて来た。重傷者は一人だけ。連れ去られるソレルを見て一人で向かって行き、返り討ちにあった彼。ソレルは彼を認めて近寄り、そっと手を取って人前にも拘わらずありがとうとごめんなさいを繰り返した。彼の意識が戻る様子はまだなく、その光景を目の当たりにしたほかの護衛達はこっそり洟をすすった。
彼ら、ガリア一行はパテロ-ネロへ帰る準備を始めた。しかし、重症の彼はしばらくパルナ家で静養した方がいいとソレルは考えていた。パルナの伯父もそうするように勧めていた。だが意識の戻った彼は共に帰る事を固持した。何度も説得を試みたが彼は決して折れない。折れたのはソレルの方だった。自分がこれ以上言っても駄々をこねているように見えてくるからだ。それにエギールがパルナ専属の医者と護衛を伴って同行すると申し出てくれたので安心できた。
帰る準備が進む中、担架で運ばれる痛々しい姿の護衛を見送り、傷だらけのほかの護衛達を見回して、最後に荒らされたパルナの館を振り返る。
(私が来なければこんな事にはならなかったのかな・・・・)
心の中で呟く。
(何かが大きく変わった、そんな感じがする)
ソレルは港にある自分のピィロへゆっくりと歩きながらそんな風に思っていた。
そこへ、ふわりと肩に手が回って来た。そっと身を寄せて来たのは伯母。抱きしめるようにしてソレルに並ぶ。
「きっと大丈夫よ。あなたの両親は賢いから」
しっとりとした声だった。伯母は母親とは違った美人で大人の女性のお手本だとソレルは思っていた。伯母はおっとりとした笑みをソレルに向ける。温かく包み込むように。
「はい。そう、願っています」
力のない声しか出なかった。無理にでも大丈夫と言える表情を返すべきだったが、何故か、出来なかった。
見送りの為に伯母と一緒に来たのであろう男達がソレルの視界にいて、伯父達とずっと話している。深刻な顔で。その中心にいるのはパルナで情報を管理する部署の人間。祖父の評価はとても高く伯父達にも信頼され、情報収集能力は抜群だった。祖父から紹介された時にはソレルのつまらない質問にも優しく答えてくれた彼の表情は硬いままだ。自分の方を見ないでいるような感じさえする。ソレルの口元が僅かに震え脳裏には悲愴な考えが浮かんできて、それを鎮める事が出来ずにいる。鼓動もいつもより早い。そんな状態であると知られたくないので必死に普通を装う。
「落ち着いたら伺いますね」
精一杯明るく言った。
伯母は最後にソレルを優しく抱きしめた。もう言葉はなかった。
伯母と別れて港への道を再び歩き始めるとパルナの港湾員がピィロの接続をしているのが見えた。
パルナは企業だが国と同じだ。色々な部署で大勢の人が働いている。家族経営だが特徴は経営者側が真っ先に動く事。小さな案件でも部下任せにせず、一緒に対応する。
その中で異色なのは叔母でパルナの仕事より夫の手伝いを優先している。手伝うというより仕切っているのだが、叔母の夫の小さな会社はパルナの一角となりパルナの流通網を利用して事業を拡大しているところ。それも叔母の持つパルナの影響力を最大限いかしているから成り立っている。叔母の夫は天才肌だが商売下手で、叔母が仕切っているから成功しているそうだ。今回も仕事の都合でパルナ-パテロにはいなかった。ソレルは叔母の夫に
ピィロへ着いたソレルは中へ入って行った。中では従兄のエギールが出発準備を進めてくれていて彼女のする事はないようだ。
「兄さん、ありがとう」
ソレルは物心がつく頃からエギールを兄の様に思っていて、今でもそう呼ぶ。エギールも同じく妹同様に世話を焼く。
「いいって、爺さんの代わりだよ。本当は爺さんが送るって言ってたんだからさ」
そしてエギールは入り口に積み上げられている箱を指して、
「それ、ソレルとみなさんへのお土産。今評判の屋台村のお菓子だよ。沢山あるから自分用に一つ持ってけよ。あとは僕が全部やっておくから、到着まで食べてゆっくりしてな」
保護者のような笑みを浮かべて言った。ソレルは有り難く一箱いただき、後を従兄に任せた。
部屋へ入ると早速箱を開けてみる。ふわっと香るそれはソレルの好きなクースクースのお菓子。屋台村で評判といえばもしかしたら、あの東中央駅の屋台村ではないか? 毎日予約が入っていると言っていた事を思い出す。一度は諦めたお菓子を食べられる事に心が少しだけ浮き上がる。
ひと口で食べきれる大きさのお菓子は厚みのある四角形。外側が焼き固められ端を齧るとさくっと軽い音がして、ふた口目には中身がにゅっと広がり、外側と中身が混じり合うとしゅるると口の中でとろけていく。甘さがいきわたり消えていく最後にはほのかな苦味が顔を出す。
「おいしい・・・・」
美味しさが口いっぱいに広がると静めた思いが一気に噴き出してきて、ソレルの口が歪む。
「味がしない・・・・・・あじがしない」
誰もいない部屋の中で一人、肩を震わせる。
美味しいものを食べられる人がいる。
美味しいものを食べられない人もいる。
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