全てが終わった後で

(ん……ここは……?)

 オフィーリアがゆっくり目を開けた。見慣れた景色が目に入って来る。

「目を覚ましたか、オフィーリア」

 すぐ側に、心底安心した表情のクリストファーがいた。彼はオフィーリアの手を握ってくれていたようだ。

「クリストファー様……」

 オフィーリアはゆっくりと起きあがろうとするが、体の痛みに顔を顰める。

「オフィーリア、無理に起きなくていい。今は安静にしていろ」

 クリストファーは優しくオフィーリアの頭を撫でる。枕元には、母の形見のハンカチが綺麗に畳んであった。

「オフィーリア様、目を覚まされて何よりでございます」

 イーサンが視界に入って来る。

「オフィーリア殿下!」

 そしてオフィーリアのよく知る人物が視界に飛び込んで来た。

「フィオナ……」

「私が油断していたばかりに、オフィーリア殿下を危険に晒してしまって、本当に申し訳ございません!」

 悲痛そうに謝るフィオナ。そんな彼女に対し、オフィーリアは優しく微笑む。

「フィオナ、貴女のせいじゃないわ。フィオナは私に危険を知らせようとしてくれたもの」

「オフィーリア殿下……!」

 涙目になるフィオナ。

「それよりフィオナ、どうしてここに?」

 ディアマン王宮の侍女であるフィオナが何故なぜかクリストファーの城にいた。オフィーリアは不思議そうに首を傾げる。

「クリストファー様に頼み込んだんです。是非、このお城でオフィーリア殿下のお世話をしたいと」

 フィオナは涙を拭い、オフィーリアを真っ直ぐ見つめる。

「俺は別に構わないが、当人のオフィーリアに直接聞けと言ったらお前に付ききりだったぞ」

 クリストファーは苦笑した。

「フィオナ……ありがとう。私も、是非貴女には側にいて欲しいわ」

 ふわりと柔らかく微笑むオフィーリア。

「オフィーリア殿下……! ありがとうございます!」

 フィオナは嬉しさのあまり思わずオフィーリアの手を握る。

「フィオナ、でももう殿下と呼ばなくていいわ。普通にオフィーリアと呼んでちょうだい」

「でしたら、オフィーリア様とお呼びします」

 フィオナは嬉しそうに微笑んだ。

 その時、毛布越しに何か軽いものが飛び乗って来たことに気付くオフィーリア。

「まあ、パンジー」

 飛び乗って来たのは黒猫のパンジー。「にゃー」と鳴きながらオフィーリアに擦り寄る。

「パンジーにも心配かけたわね」

 オフィーリアはパンジーの頭を優しく撫でる。すると、パンジーは満足そうに「にゃー」と鳴き、喉をゴロゴロと鳴らした。

「パンジーは本当にオフィーリアが好きだな」

 クリストファーはパンジーを撫でようとするが、パンジーはするりとクリストファーの手を避けて行ってしまう。

「やはりクリストファー様には懐かないのですね」

 ふふっと微笑むオフィーリア。

「そうみたいだ。威嚇はされなくなったがな」

 クリストファーは去り行くパンジーを見て苦笑した。

「さて、オフィーリア様、今お水をお持ちいたします。それから、丸1日飲まず食わずだったので、胃に優しいものも持って参ります」

 イーサンが優しげにそう言う。

「ありがとうございます、イーサン。私、1日眠っていたのですね」

 思った以上に眠っていたので、オフィーリアは苦笑した。

「イーサン様、私も手伝います」

 フィオナはイーサンと共に部屋を後にした。


「クリストファー様、あの後一体どうなったのですか?」

 少し落ち着いたので、ゆっくり起き上がるオフィーリア。

 イーサンとフィオナが出て行った後、オフィーリアは不安そうにクリストファーに聞いた。

「ああ、あの後の話をするか」

 クリストファーはゆっくりと話し始める。

 オフィーリアが一気に大量の魔力を使い、気を失ってしまった後、クリストファーがあの場を制圧した。

 ダンフォースを始めとする過激派ヴァンパイアは全てクリストファーが粛清したのだ。

 また、ディアマン王国は、アメーティスト王国、サフィール帝国、穏健派のヴァンパイア達の監視下で新たな王家が発足した。ディアマン王国はヴァンパイアとの和平を結ぶ為、新しくなったのだ。周辺諸国に軍事力で圧をかけ、ヴァンパイアに差別的だった旧王家の人間エドワード、ドロシー、ブリジット、キャロラインは現在幽閉されている。近々公開処刑となるようだ。そしてクリストファーは自分からオフィーリアを奪わないのであれば新しくなったディアマン王国への不可侵を約束し、無事に和平を結べたようである。

「そう……だったのですね……」

 色々なことが起こっており、オフィーリアの頭はパンク寸前だった。

「腐った奴らだったとは言え、お前の家族は俺が殺してしまったようなものだな。……すまない」

 クリストファーは旧王家の処遇を軽減出来ず、オフィーリアに対して少し申し訳なくなっていた。

「いいえ、仕方のないことです。それに、私の家族は亡きお母様だけです。それから……」

 オフィーリアはクリストファーの手を握り、真っ直ぐ見つめる。

「クリストファー様、私は貴方と家族に」

 次の言葉を紡ごうとした瞬間、オフィーリアはクリストファーにキスされて口を塞がれる。

「その先は、俺の方から言わせてくれ」

 クリストファーはオフィーリアの手を離し、片膝をついた。クリストファーの金色の目は、オフィーリアの銀色の目を真っ直ぐ見つめている。

「オフィーリア、俺達は生きる時間が違う。ただ、それでも俺はオフィーリアと一緒にいたいと思っている。オフィーリア、俺はお前を愛している。どうか、俺と結婚して家族になって欲しい」

 低く甘く、優しく真剣な声である。オフィーリアはクリストファーの言葉に胸が熱くなり、一筋の涙が零れた。そして頷く。

「はい、喜んで」

 オフィーリアの目からは涙が零れているが、とびきり美しい笑みであった。

 クリストファーはオフィーリアの涙を優しく拭う。

「そう言ってくれて良かった」

 フッと安心したように微笑むクリストファー。オフィーリアは枕元にあった母の形見のハンカチを胸に当てる。

(お母様、私……幸せです。だから安心してください)

 クリストファーはオフィーリアを抱き締めた。


 オフィーリアとクリストファーの結婚により、新ディアマン王国とヴァンパイアの和平は確固たるものとなった。まだ新王朝になったばかりで混乱はあるものの、ヴァンパイアへの差別は着実に減っており、人間がヴァンパイアに襲われることもなくなった。仮初の平和は本物の平和になるのであった。






◇◇◇◇






 数年後、真夜中の庭園にて。

 漆黒の髪に銀色の目の、2歳くらいに見える少年がいた。彼は小さな手で黒猫のパンジーを撫でている。パンジーは若干嫌そうに「にゃー」と鳴くが、彼の行為を許容していた。しかし、しばらくするとパンジーはするりと逃げ出してしまう。

「あー、パンジー、まってー!」

 少年は辿々たどたどしい足取りでパンジーを追いかける。すると、そこにはある人物がいた。

「ははうえ!」

 少年はその人物に抱きつく。サラサラとして艶のある紫色の髪に、少年と同じ銀色の目の女性−−オフィーリアである。

「アンドリュー、どうしたの?」

 オフィーリアは少年−−アンドリューの頭を撫でて微笑む。

「パンジーおっかけたらははうえがいたの!」

 アンドリューは満面の笑みを浮かべた。彼の唇からは、まだ生えたばかりの鋭い牙が零れている。

「あら、そうだったの」

 オフィーリアは優しく微笑む。パンジーはオフィーリアの足元に擦り寄っていた。

「パンジーも母親になったのにまだ甘えん坊なのね」

 オフィーリアはクスッと笑い、パンジーを撫でる。するとパンジーは満足そうに「にゃー」と鳴き、喉をゴロゴロと鳴らした。そしてパンジーの元には小さな黒猫2匹とと小さな白猫2匹が駆け寄って来る。4匹の子猫はパンジーの子供なのだ。そして後から白猫がやって来た。子猫達の父親である。

「何をしている?」

 低く優しい声が聞こえた。

「ちちうえ!」

 アンドリューが声の主に抱きつく。漆黒の髪に金色の目の男性−−クリストファーである。

 クリストファーの見た目は以前と全く変わっていないが、オフィーリアの見た目は少し大人びた。今ではオフィーリアの方がクリストファーよりも少し年上に見える。

「ちちうえ、またパンジーがははうえになでなでされてるー」

 アンドリューは母親を取られたみたいで少し不満げだ。

「そうか。パンジーは相変わらずオフィーリアにしか懐いてないからな」

 クリストファーはフッと笑い、アンドリューを抱き上げる。

「あら、そのようなことはないと思いますが」

 オフィーリアはパンジーを抱き上げ、クリストファーに触れさせようとする。

「そうか?」

 クリストファーはパンジーに触れようとした。しかし、パンジーはオフィーリアから飛び降りて逃げてしまうのであった。

「ちちうえ、にげられた!」

 キャッキャと笑うアンドリュー。

「オフィーリア様、湯汲みの準備が出来ました」

 そこへフィオナがやって来た。彼女も少し大人びていた。

「ありがとう、フィオナ」

 オフィーリアはふふっと微笑む。

「おやおや、皆様お揃いでしたか」

 穏やかな笑みでイーサンもやって来る。見た目は相変わらず初老のままである。


 オフィーリアとクリストファーは、息子のアンドリュー、そしてイーサンとフィオナと共に温かくかけがえのない時間を過ごしていたのである。

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贄姫とヴァンパイアの王 @ren-lotus

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