心地の良い日々

 とある日の真夜中。

 オフィーリアとクリストファーはチェスボードを挟んで対峙していた。

 余裕そうな涼しい表情のクリストファー。対するオフィーリアは困ったように考え込んでいる。

 2人はチェスをしている最中なのだ。

(ここでルークを動かしたら……駄目、クイーンが取られてしまうわ。クイーンは取られたくないのよね……)

 考えた末、オフィーリアは白のポーンを動かす。するとクリストファーがニヤリと笑い、黒のビショップを動かした。唇からは牙が溢れている。

「チェック」

 その一言にオフィーリアは焦る。そしてとにかくチェックを回避する為に白のナイトを動かすが……。

「チェックメイト。逃げ場をなくしたな」

 唇から牙を零しながらククッと笑うクリストファー。

「あ……」

 オフィーリアは肩を落とす。

「オフィーリア、クイーンに気を取られていたな」

 フッと笑うクリストファー。

「ええ。強い駒ですから」

 オフィーリアは肩をすくめて苦笑する。

「でも、楽しかったです。チェスなんてお母様が亡くなってからはやっていませんでした」

 ふふっと微笑むオフィーリア。

 オフィーリアは夜遅くまで起きるようになり、クリストファーは日が傾き出す夕方頃に起床するようになった。互いに生活リズムをずらし、共に過ごす時間を増やしていた。

 この城に来た頃のオフィーリアは紫色の髪も肌もボロボロで痩せすぎだったが、最近は髪と肌に艶が戻っていた。まだまだ体は細いが、少しだけ肉付きも良くなっている。

 イーサンはそんな2人の様子を微笑ましげに見守っていた。







◇◇◇◇






「クリストファー様、今日はいつもよりお早いのですね」

 ある日の夕方、オフィーリアは起きて来たクリストファーを見てきょとんとしていた。

「ああ、今日はこの城に人を呼んでいるからな」

「人……」

 人間とヴァンパイア、どちらが来るのかと首を傾げるオフィーリア。

「安心しろ。来るのは人間だ。アメーティスト王国の仕立て屋を呼んでいる」

 フッと笑うクリストファー。唇からは鋭い牙が溢れる。

「まあ、アメーティスト王国から……」

 実母の祖国の名を聞き、オフィーリアは口元を少し緩める。

「今日はオフィーリアのドレスを仕立ててもらう」

「え!?」

 クリストファーの言葉にオフィーリアは銀色の目を大きく見開く。

「そんな、私のドレスだなんて……。今来ているもので十分じゅうぶんです。それに、ここに来る時に渡されたお金も少ないので支払えるかどうか……」

 オフィーリアは不安になる。オフィーリアのドレスは随分と時代遅れのデザインで、所々ほつれており、それを縫い直して着用している。

「安心しろ。全部俺が出してやる」

 フッと笑うクリストファー。

「余計に申し訳ないです。私のドレスにお金を使うよりももっと有意義なことにお金をお使いください」

 オフィーリアは恐縮しきってしまった。

「俺がそうしたいと思ったんだが……駄目か?」

 クリストファーの金色の目は、真っ直ぐオフィーリアを見据えている。オフィーリアの心臓は少しだけ飛び跳ねる。

「……駄目……ではないですが……」

 オフィーリアはほんのり頬を赤く染め、クリストファーから目を逸らす。

「なら、今日来る仕立て屋に何着か仕立てさせる」

 クリストファーは満足そうにフッと微笑む。

「……ありがとうございます」

 オフィーリアはほんのり頬を赤く染めたまま、柔らかく微笑んだ。


「クリストファー様、相変わらずのお姿で」

「ああ、ヴァンパイアは人間よりも遥かにゆっくりと年を取るからな。ジャクリーヌは随分と……いや、やめておこう。これを言うと失礼になりそうだ」

 クリストファーは後半困ったように苦笑した。

 アメーティスト王国からやって来た仕立て屋の主人ジャクリーヌは老齢の女性だった。見た目だけならイーサンと同じくらいである。

 ジャクリーヌや彼女の部下達はオフィーリアの父や継母、異母姉達とは違い、ヴァンパイアへの差別意識が全く感じられない。アメーティスト王国はヴァンパイアと平和的な共存に成功した数少ない国の中の1つである。

「初めてお会いした時はまだ私も修行中の身でしたが、今ではもう孫もおりますとも」

 クスッと楽しそうに笑うジャクリーヌ。「それで……」と彼女はオフィーリアに目を向ける。

「本日はこちらのご婦人のドレスを仕立てるのでございますね?」

「ああ。彼女はオフィーリア。新しい贄姫だ」

 クリストファーは簡潔に紹介する。

「初めまして。オフィーリアと申します」

 オフィーリアは少し緊張していた。

「左様でございましたか。私はジャクリーヌ・アロンと申します。今後またドレスをご所望でしたらこちらまでお手紙をいただけたらと存じます」

 ジャクリーヌは微笑み、オフィーリアに店の名前と住所が書かれた名刺を渡す。『仕立て屋アロン』と書かれていた。

「ありがとうございます」

 オフィーリアはそれを受け取った。

 そしてオフィーリアの採寸が始まる。ジャクリーヌ達の手際はとても良かった。更に、上質な生地や最新のデザインカタログまで揃っている。デザインについては分からないので、生地の色だけ希望を言い、残りはクリストファーやジャクリーヌに任せるオフィーリアであった。こうしてオフィーリアの新しいドレスを数着仕立ててもらうことが決まった。ドレスは数日から数週間の間に届くらしい。

(何だか……こういうのも楽しいわね。このワクワクした感じ、初めてかもしれないわ)

 オフィーリアは目の前の生地やデザインを見てふふっと微笑む。そしてチラリとクリストファーの横顔に目を向ける。

(それに、クリストファー様の隣は……何となく落ち着くのよね。……この心地の良い日々がずっと続きますように)

 オフィーリアは密かにそう願うのであった。

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