ほんの少しの変化

 オフィーリアが贄姫としてクリストファーの城に来て1週間程が経過した。

 死ぬ覚悟でいたオフィーリアだが、クリストファーは全く危害を加える気はなさそうである。それどころかオフィーリアにあまり興味がないようだ。ゆえに、最初は何をしたらいいか分からなかったオフィーリアだが、今では読書や刺繍など、自由に過ごしている。

 今まで輝きを失っていた銀色の目は、ほんの少しだけ光を取り戻していた。

(誰からも嫌がらせを受けず自由に出来る時間……とても心地良いわ。使用人はイーサンしかいないから、お昼は自分で作らないと。お料理もやってみると楽しいものね)

 オフィーリアは刺繍をしながらふふっと口角を上げる。クリストファーの城での暮らしは、ディアマン王国での暮らしより遥かに良いものであると感じていた。

 人間とヴァンパイアの生活リズムは真逆なのでオフィーリアはクリストファーやイーサンと顔を合わせる時間が少ない。夜の食事は共にすることはあるが、基本的にそれだけである。

(もうすぐ日が暮れる時間だわ。……夕食はクリストファー様もいるのよね)

 オフィーリアは時計を見てほんの少しだけ憂鬱になる。別にクリストファーから虐げられているわけではないのだが、ほとんど会話がないのだ。

(クリストファー様は……何をお考えなのか全く分からないわ。話しかけても素っ気ないし)

 軽くため息をつき、刺繍をテーブルに置くオフィーリア。

 部屋の外からは足音が聞こえる。クリストファーかイーサンが起きたらしい。

(でも、ディアマン王国での暮らしよりも快適なのだから、贅沢を言っては駄目ね)

 そろそろ食事の時間だと察し、オフィーリアは立ち上がり部屋を出た。






◇◇◇◇






 この城での食事はディアマン王国の粗末な離宮にいた頃よりも遥かに豪華である。

 温かいスープ、新鮮な野菜がふんだんに使われたサラダ、外はカリッとして中はふわふわと柔らかい焼き立てのパン、そして柔らかく味が染み込んだメインの肉料理や魚料理。更にデザートまで付いている。これらは全てイーサンが作っているようだ。

 オフィーリアはスープを一口飲み表情を綻ばせる。

「イーサン、今日も美味しい食事をありがとうございます」

「オフィーリア様から毎回そのようなお言葉をいただけてこのイーサン、大変光栄に存じます」

 イーサンは緑の目を嬉しそうに細めた。クリストファーはチラリとオフィーリアを一瞥した後、黙々と食べている。

 その後は沈黙が流れる。

(……何か話した方がいいかしら? だけど毎回まともな会話が出来た試しがないし……)

 オフィーリアは肉料理を食べながら、チラリとクリストファーを見る。

「何だ? さっきから何故俺を見る? 何か言いたいことでもあるのか?」

 クリストファーはオフィーリアからの視線に気付いていたようだ。金色の目は相変わらず冷たそうで威圧的な表情だ。

「あ……いえ、何でもありません……」

 オフィーリアはクリストファーの表情にビクリと肩を震わせ、視線を落とし再び肉料理を口にする。

(やっぱりこのお方、いつも不機嫌そうで何をお考えなのか全く分からないわ。恐らく私はこの先死ぬまでここにいると思うし、せめてこのお城の主であるクリストファー様との関係は良好にしておきたいのだけれど……)

 オフィーリアは心の中でため息をつく。

(誰からも虐げられない穏やかな暮らしは確かに望んでいたわ。だけど、それが手に入ったらまた別の欲が生まれてしまうのね……。欲望というものは、際限がなくて少し怖いわ。……お母様、こういう時はどうしたらいいのでしょうか?)

 オフィーリアはいつも持ち歩いているレリアの形見のハンカチを、テーブルの下でそっと握った。






◇◇◇◇






 夜がけて、オフィーリアが深い眠りについている時のこと。

 クリストファーの執務室にて。

「クリストファー様、何か御用でしょうか?」

「イーサン、今回の贄姫……オフィーリア・ディアマンについて調べてくれ」

「承知いたしました。……それにしても、珍しいですね。クリストファー様が贄姫様にご興味を持たれるなんて」

 イーサンは意外そうに緑の目を丸くする。

「……イーサン、お前はあの女を異様だとは思わないのか? この城に来て1週間、城の外に出るなとは言っているものの、昼間監視も付けず自由にさせているのに全く外に出た様子がない。おまけに逃げ出す気配すらないのだぞ」

 訝しげな表情のクリストファー。

「確かに、その点に関しましてはこれまでここにやって来た贄姫様とは違いますね」

 イーサンは自身が今まで見てきた贄姫達を思い出していた。ヴァンパイアを恐れて泣き叫び逃げ出す者がほとんどであったのだ。

「それに……あの女は確かに淑女としての教育は施されているようだが……ディアマン王国の王女があのような痩せ過ぎた体格で古びたドレスを着ているなどあり得るだろうか? あの紫の髪も傷んでいるし、肌も荒れている。明らかに食事に問題がある生活をしている者の体だぞ。おまけに食事を作ったお前に礼まで言うから驚いた」

 軽くため息をつくクリストファー。

「恐らく何かご事情があるのでしょうね。この私イーサン、これからオフィーリア様について調べて参ります。ですがクリストファー様も、オフィーリア様に歩み寄ってみてはいかがでしょうか。少なくとも今までの贄姫様よりもご興味をお持ちのご様子ですので」

 イーサンは意味ありげに微笑む。クリストファーは一瞬金色の目を見開くが、すぐにいつもの冷淡な表情に戻る。

「……俺の気が向けばな」

「左様でございますか。では、失礼いたします」

 イーサンが執務室から出たことで、クリストファーは1人になる。

「俺が贄姫に興味を持つ……か。人間など、俺達ヴァンパイアよりも遥かに寿命が短い。興味を持ったところで……」

 クリストファーは軽くため息をついた。

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