第9話【井戸の中からコンニチハ】

 ソノ日が来た。と言っても結婚には少し早くて王子サマと初対面の日が今日ということ。だけど初対面から割とすぐ結婚らしいけど。

 妖怪濡れ女さんは相変わらず濡れることを気にしてないので今日も全身濡れている。それはともかく「ほんとうに痩せたのですよね?」とぶしつけに訊いてきた。

 失礼な!

「3㎏も痩せているんです」と、痩せたにしては微妙な数字を口にした。

 ウソはつけないタチのわたし。つまり痩せたことは事実痩せたんだ。


 わたしは大事な服を着たままバスタブにどぼんはしたくない。だいいちスケるし。だから水着に着替えた。そのせいで〝身体のラインをふわっとした服で目立たなくする〟とかいったごまかしをきかせることができず、妖怪濡れ女さんに失礼なことを言われてしまったのだろう。


 なにせ着ている水着がビキニだし。なぜに29にもなってビキニかというとべつに〝自信があるから〟なんかじゃもちろんなくて、濡れても水気みずけを拭き取ればそのまま下着になりそうだから。ビキニの形状ってまんま下着の形状だからね。

 だからワンピース型なんて論外。大学時代、演劇サークルのみんなといっしょに海に行ったときのものを20代も終わろうかというのにまだ未練たらしく持っている。どういう気まぐれでこの色を選んだんだろうというこの黄緑色のビキニを。捨てるに捨てられないというか。青春というか。

 幸い(?)大学時代の頃の体型に、戻っているので着られないことはない。胸が太るなんてことはなくて、ビキニ絡みだとお尻と太ももが要点。


 わりと履けるもんじゃない、って思った。


 ただ『昔はビキニを着てたっ』って言ってもそこはわたしのこと。その昔の頃でさえ勇気は無く、〝下〟はずっとパレオ巻きっぱなしでビキニのしもの露出などやった経験が無い。これで〝着た経験がある〟と胸を張れるのかどうか。二十歳ちょっと過ぎのあの当時でさえそうなのだから当然いまもパレオはしっかりと巻いてある。

 しかし、でお外を闊歩する、いや闊歩した(?)というのもわたしにとってはたいへんな勇気。もちろんいまそれをやる勇気がわたしにあるとは思わなかったけど。そこはなにせ〝異世界〟だし。

 ともかくいい歳してこんな格好をするはめになってもわたしには行かない理屈など無い。わたしは一人暮らしなので誰かに断りを入れ外出しなければならない道理は無いから、なに着ていても恥ずかしくないし。


 しかし妖怪濡れ女さんは人の心を刺すようなことをもうひとつ言っていた。

「そんな格好で行くのですか?」と。

「拭けばすぐ乾くし、この上からならあなたのお国の服もすぐ着れますから。あなたも手に入れてみてはどうですか?」と応じるとそれ以上はなにも言わなくなった。ビキニは歳をとればとるほどハードル高くなるしね。


 そうして〝いよいよ異世界へ〟という段になり妖怪濡れ女さんは服の袖をまくり上げた。その袖の下には腕輪が隠れていた。〝金色〟のように見えるけど青みがかった奇妙な金色。その腕輪を腕から抜いてバスタブの中にポチャリ。水面みなもが、腕輪の色と同じ色、青みがかった金色に発光し始める。

「ではこの中に潜って下さい」と妖怪濡れ女さん。

 水着をつけてじぶんの家のバスタブに潜るというのもおかしな感じ、と思いつつ足を入れると〝底〟に足がつかない! まるで高飛び込み用のプールのように。身体の向きを変えバスタブのふちに両手をかけるような体勢に。

 っ!!!!!

胸まで浸かった辺りで急に両足が引っ張られるような感覚を覚えた。

 引きずり込まれるっっ!

「ちょっと助けっっ」と口から飛び出したが、妖怪濡れ女さん「そのままなされるがままに、」とだけ、そこまで聞こえてあとは身体がバスタブの中に引きずり込まれ——



 ぶはっ、と勢いよく水しぶきとともに頭、上半身が水中より飛び出た。

 なに? この場所は。無意識のうちに目の前に垂れ下がってある縄ばしごを手に取っている。上を見上げる。円筒形の筒の中にいるよう。壁面は石積み。足は相変わらず底につかない。


 ここ、井戸の中? と思ったその時、お尻に突き上げるように固い物が当たった。

「はんっっ」という声が思わず飛び出した。水面へ飛び出したのは妖怪濡れ女さん。頭がわたしのお尻にぶつかったよう。気をつけてよね濡れ女さ、あ、でももうわたしも濡れ女か。なんてことを思ってたらじろりとた目つきで言われてしまった、

「早く上へ昇って下さい」と。

 急かされつかんでいる縄ばしごをおっかなびっくり昇っていこうとすると、足をかけるたびに右にゆら左にゆらと頼りなく揺れる。

 そうしてようやく井戸のふちに手がかかった。

 井戸の中からずぶ濡れの女が出てくるなんて、これじゃあまるで〝悪霊〟だよ。


 縄ばしごに足をかけ肘はまっすぐ伸ばしたまま井戸のふちを両手でつかんで、いる。


 そこ時点で固まってしまった。


 目の前に静かな微笑みをたたえた男の人。

「ずいぶん刺激的なお姿ですね」その人はそうわたしに声を——。

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