第17話 好意を履き違えるな

 受験シーズンが始まると、何故だか部活に覇気がなくなる。

「……あー、部長いないと締まらないよお……」

「お前が部長だろうが」

 あたしは新部長の頭をすぱーん、と叩いておいた。新部長は痛いお、などとふざけているので、もう一度構えると、きびきび動き始める。

「体罰はんたーい!!」

 あたしに向かって文句を言いながら、そいつは後輩の指導に向かった。

 体罰反対ね。

「……ま、それはそう」

 体罰というのは昭和の時代ではありふれていて、平成の時代に減ってきて、令和の時代には蔑視されるものだった。

 ゆとりだとかさとりだとか、よくわからないが、まあ、時代によって、雰囲気が変化するのはままあることで、変化しないものがあらねばならないのもよくあることだ。頭を叩いたくらいで体罰になる。まあ、それ以上のことをやったらいけないのは当たり前にわかっている。

 移り変わる当たり前を暗黙に了解していくことのどれだけ難しいことか。あたしは、頭を叩いたのを体罰というほど大袈裟には捉えていないが、頭を叩くというのも大雑把に言えば暴力に相当することは理解している。だからあたしはやったのだ。

 移り変わる当たり前を了解させていくために、多少の刺激は必要だろう。埃を立てないで歩けるほど、あたしは器用ではない。それに、体罰だなんだと言われて、最終的に悪者にされても、あたしへのダメージは少ない。あたしの存在をどうでもよく思っている人から嫌われても、大した問題ではないし、あたしがまず、人を好きじゃないから、興味が薄い。

 もしかしたら、この一年で、あたしは嫌われようとすら思っているのかもしれない。あの人がいなくなって清々した、と言われたいのかもしれない。

 漠然と、いなくなりたい。中学でバレーをやめると決めているからそんな思考になっているのだろう。

「尚弥先輩、お疲れっす」

「おう、お疲れ、青天目。男子の方はちゃんとやってる?」

「やって……ないっすね」

「しばくか」

「やめてくださいよ」

 青天目と会話をした。他愛もない会話だ。じゃれあいのような。もちろん、女子のあたしが体が出来上がりつつある男子をしばくなんて冗談である。ただ、青天目はあたしの声色から三割程度の本気を聞き取ったのだろう。滅茶苦茶慌てていた。

 バレーをやめることを惜しむとすれば、こいつの存在くらいなものだろう。学年も性別も違う。共通しているのはバレー部ということと、容姿にコンプレックスがあること。

「女子ほど士気は下がってませんよ」

「……なにそれ」

 不機嫌な声が出てしまったが、隣のコートに目をやれば、男共は声を張っていたので、嘘ではない。そういえば、最近流行ったスポ根ものに、男子バレーのやつがあったっけ。

「士気の下がる原因は、尚弥先輩が一番わかってるんじゃないっすか? 部活も学年も問わず、ほとんどの女子はお通夜状態ですよ」

「……あの兄のどこがいいのやら」

 そう、受験シーズンということは、三年生がもうすぐ卒業であることとほぼほぼイコールで結ばれる。ということは受験シーズンに突入した兄は、もうすぐ卒業ということになる。

 女子人気の高い兄。何人の女を泣かせたのか、あたしは数えていないし、あたしを仲介しなかったやつもいるので正確な人数はわからない。

 というか、同じ高校に入学すればすぐ会えるので、大した問題ではないと思うのだが。

「やっぱ、顔じゃないっすか? あと、草食系男子っぽいところ?」

「草食系男子は草だわ」

 いや、確かに兄は草食系に分類されそうだが、それがより草を生えさせる。ネットスラング、面白いな。

「同じ高校、受ければいいだろうに」

「そんな簡単なものじゃないっしょ。一年ってスパンはでかいですし、それが二年になったら、更にでかいっす」

「たかが人生の一年や二年ぞ」

「されど人生の一年や二年っすよ」

 返す言葉もない。

 たぶん、アオハルというやつをしたい連中にとって、中学から高校にかけての一年や二年はこれから先の人生の全てを懸けても変えられないものなのだろう。このくらいの年に起こった物事は、大人になっても忘れないという。

 他人の人生に自分が巻き込まれるのは、あたしなら御免だが、世の女子はそうではない。

 まあ、世の女子がどうあろうと、あたしには関係ないのだが。それよりも青天目の発言にあたしは引っ掛かりを感じた。

「その言い様、まるで自分も三年に想い人がいるかのようだな」

 あたしの指摘に、青天目はあからさまにぎくりとする。わかりやすいやつめ、と思うと同時、こいつも人並みに男子なんだな、とも感じる。

 まだケツの青いガキでも、中坊になればませてくるものか。最近は未就学児も充分にませていると聞く。あたしみたいな恋愛興味皆無人間の方が珍しいのかもしれない。

「甘酸っぱそうで何より──」

「そこ二人ー、部活中にいちゃつくなー」

「しばくぞボケ」

 茶化されたので、向こうの男子に怒鳴り返しておいた。この分なら、しばかなくても、男子は元気そうでよろしい。精神の成熟は女子の方が早いってこういうことか、と変にしみじみした。

 青天目を見ると顔が真っ赤で、噴くかと思った。初かよ。

「ほらほら、先輩らがお呼びだよ、後輩」

「う、うっす」

 あたしに背中を叩かれて、青天目は多少ぎこちない仕草で男子側のコートに戻った。するとあたしの方に女子がABCと群れてくる。

「何々、島﨑は青天目くん狙いなの?」

「年下好きとは知らなんだ」

「満更でもなさそうだったし、脈アリでは!?」

 ……こういう話するときにばっか、元気になる女子ってどうなのよ。

「バーカ。脈も何もないわ。それに」

 あ、とあたしは言葉を止めた。

 青天目には、おそらく三年に想い人がいる。けれどこれは、青天目の態度と発言を見たあたしの憶測に過ぎない。自分から矛先を逸らすために、仲のいい後輩の好みを生贄にするのか? それでは他のやつらと変わらないのではないか? 憶測を肴に盛り上がるなんて。

 青天目には、そんな思いをさせたくなかった。周りから茶化されたり、冷やかされたり。あいつはもう充分、そんな仕打ちを受けてきて、これからはそんなこと気にせず、幸せになるべきだ。あたしがそれを壊すような真似、絶対にしてはならない。

「それに、なーにー?」

「なんでもない」

「誤魔化されると気になっちゃう」

「……めんど」

「まあでも、島﨑と青天目なら、案外似た者同士だし、いいんじゃない? やっぱ目立つよ、灰色の目」

「弱視とかじゃないんだよね、あれ」

 女子の何気ない言葉に、何故だかあたしは傷ついた。

 青天目の目の色。それがあいつのコンプレックスだ。それで意気投合したのだから、あたしはよく知っている。

 女子は貶したつもりなど、毛頭ないだろう。けれど、何故だか、人とは違う、という指摘は小さな棘を持っていて、あたしの心をちくちくと刺す。

 あたしの金髪が目立つのは、もうどうしようもないことだ。けれど、せめて、青天目の目のことは、気にならなくなっていってほしい。青天目をあたしと同列に扱わないでほしい。あいつはちゃんとしているから、ちゃんと認めてやってほしい。


「モリオンの君」


 ふと、美青姉の言葉が蘇った。どうしてこのタイミングだったのかはわからない。けれど、あたしがパズルのピースをぱちりぱちりと組み立てるのに、この上ないタイミングだった。

 美青姉のあの発言は、青天目に相当な衝撃と感動を与えたことだろう。そして、青天目の想い人は三年にいるかもしれない。美青姉は兄と同い年、つまり三年生だ。青天目と美青姉は知り合っている。

 それが導き出す、普段なら野暮だと計算しようとしない答えは一つだ。

 気づいてしまってから、どうしよう、どうしよう、と混乱した。もし、青天目の好きな人が美青姉だったなら、あたしはそれを素直に祝福できるか? 応援できるか?

 ──美青姉には、うちの兄がいるのに?

 いや、やめろ、やめろ。そんな憶測を打ち出す算盤なんて壊してしまえ。気にするな。やめろ。慣れない計算なんてするな。自分の憶測ゆめを彼ら彼女らに押しつけるな。それはあたし自身が一番嫌っている行いだ。

 美青姉と兄とあたし。付き合いが長くて、もう切り離して考えられない存在。とはいえ、勝手な憶測で、美青姉が兄のことを好き、なんて前提を作るのは、あまりにも失礼すぎる。

 けれど、そういうことにしてしまいたい自分がいる。兄が美青姉以外の女を隣に置くことを想像すると、微妙な気持ちになるのと同じだ。美青姉が兄以外の男の隣にいるのを、思考が拒絶する。これはあたしの勝手なわがままに他ならない。

 青天目すら例外になり得ないというのも、あたしの自分勝手だ。最低すぎる。当事者でもないくせに。

 美青姉と兄と青天目のトライアングルに、あたしは全然関係ない。だから、こんな妄想、してはいけない。

 ただ、動揺は隠せていなくて、女子Cに顔を覗き込まれる。

「島﨑? 顔色悪いよ?」

「だ、大丈夫」

「こういうとき大丈夫っていうやつ、相場が大丈夫じゃないって決まってるんだよ。保健室行こうぜ」

 女子Bがあたしの手を引こうとするのを、あたしは振り払った。ぱしん、と思ったより大きな音がする。

 やってしまったあたしが一番驚いている。何をやっているんだろう。冷静になれ。ここで妙な態度を取れば、勘違い女子たちが邪推して、青天目を困らせることになる。青天目に友情は感じても、恋情なんてないのに。

 ……あれ、もう既にあたし、すごく失礼なのでは?

 気づいたら、沸騰しそうだった頭がすん、と鎮まる。おそらくあたしは今、チベットスナギツネみたいな顔になっている。

「ごめん」

 軽く謝ると、女子たちはどこか気圧されたように「お、おう」とぎこちなく答えた。

 うん、なんか冷静になった。他人の惚れた腫れたに振り回されるなんて、あたしらしくない。なんで動揺なんてしたんだろう。親じゃあるまいし。

「島﨑、私のこと叩いといて、油売りたぁいい根性ね! 一年ズ、サーブ練であの女狙いなさい!!」

「ええっ!?」

「胸なら貸してやる。かかってこい」

「お、島﨑がいつもの調子に戻った」

「ってか、私たちも巻き込まれてるくね?」

「ったりめーじゃ、ボケェ!」

 部長に覇気が戻ったようで何より。あたしはおどおどしている一年ズがガクブルしながら打ってくるサーブを待った。

 こんな日々が、続けばいい。

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