第14話 黒い空洞

 その日はホームルームで文化祭についての話し合いが行われた。たぶん、どのクラスもそうだったんじゃないかな。

 私たちのクラスはモザイクアート? という題材が決まっていたから、早速みんなの写真を集めて、組み立てようとしていたんだよね。

「この写真は右上に」

 指揮を執る学級委員に従って、みんなが結構大きな紙に写真を貼りつけていく。私はなんとなく、声をかけられたくなくて、香折ちゃんと一緒に隅の方にいた。

 模造紙を繋ぎ合わせた大きな紙はまだ人の顔なんてできていなかったけれど、貼られた写真が三十枚を超えたところで、違和感を覚えた。

 それは、私が共感覚を持っているからこその違和感だった。

 担任の先生は溌剌とした赤みの強いオレンジのオーラを出している男性教師だ。だから、組み上がっていく肖像が、オレンジ色をしていなくて、変だな、と思った。

 肖像が形を持っていくごとに、それは何色にもならない黒に見えてきた。けれど、私が色で人を認識するのは私だけの特性だし、みんなのイメージの先生と私の認識している色が一致しないことだってあるだろう、と何も言わなかった。それに、普通、人は黒髪黒目だ。絵画だって、よほどの名画でなければ違う色になんて見えない。だから、黒く見えるのは、私の気のせいなんだ、と。

 そうして、自分の中の違和感を納得させて、放置した。

 だから香折ちゃんが傷つくことになった。

「これ、先生じゃないよね」

「どうした、島﨑? モザイクアートだから、完成はまだ先だし、先生に似てなくても仕方ないだろ」

「先生じゃない人を作ろうとしているよね。委員長さん」

「っ」

 香折ちゃんが軽く指示出しの学級委員の女の子に目を向ける。たぶん、目が合うことはないとわかっていたからの行動なんだろうけど、私はかなり驚いた。香折ちゃんが自分から人の顔を見るなんて、天変地異の前兆かもしれない。

 事実、天変地異の前兆で間違いなかったかもしれない。

「ねえ、ずっと見てるその写真、本当に先生のやつ? 見せて」

「……いや……」

「おい、島﨑、何も怖がらすことないだろ」

「いや、委員長が勝手に怖がってるんでしょ。何か後ろめたいことでもあるの? 実は隠し撮り写真とか」

「ははは! なんだそれ!」

 私は場を和ませてやり過ごそうと思った。けれど、香折ちゃんは納得がいかなさそうだった。もやもやしているのがなんとなくわかる。

 でも、嘘を吐くとして、委員長が嘘を吐く理由がわからない。後ろめたい理由のパターンは何種類あるだろう? 実は先生のストーカーで隠し撮りした写真を使っている、とかだったら確かにドン引きだけど。

 生徒と教師の恋は罪深い味がするからなあ。最近は創作でもあるあるになったし、多様性の一つとして「恋愛するのに年齢は関係ない」という考え方が広まっているし。それが不健全でも恋心なら、私は応援してあげたいな。

 そうして、香折ちゃんの落とした不穏な雰囲気をスルーして、クラスメイトは作業を進めた。お前らも見てねえで手伝えよ、と私と香折ちゃんは写真の束を渡された。香折ちゃんは俯いたまま受け取り、私はごめんごめん、と軽い調子で笑った。

 クラス全員でやれば、わりと百枚なんてあっという間で。

 私は愕然とした。

 顔の部分、私だって手伝ったはずの顔が、私には真っ黒に塗り潰されたように、見えないのだ。

「なに、これ……」

 私の呟きより先に、香折ちゃんは動いていた。

「うそつき」

 いつの間にか手にしていたカッターナイフで、顔の部分を斜めに切り裂く。それをみんなが呆然と見ていた。紙を裂くびりり、とかしゃ、とかいう音で、男子が何人か我に返り、カッターを持って暴れる香折ちゃんを取り押さえる。

「島﨑、何してんだ、お前!」

「僕より委員長に聞いてよ!!」

 吐き出すように、香折ちゃんは言った。

「なんで先生の顔じゃなくて、よりにもよって、僕の顔なんだよ!! うそつき、うそつき!! こんな作品、展示なんてさせないから!!」

 ……香折ちゃんが大声で嗄れるくらい叫ぶのも珍しいことだった。しかも、泣きながらである。相変わらず誰とも目を合わせないけれど、私には見えた。

 香折ちゃんのがらんどうみたいな漆黒が。

「はなして、はなしてよ!」

「島﨑、島﨑落ち着け! 今委員長に話聞くから、カッター振り回すのやめろ! 危ないから」

「おい、色埜、島﨑を」

「うん」

「騒がしいぞ。どうしたんだ?」

 先生が入ってくる。赤っぽいオレンジの声。私は慌てて、香折ちゃんに寄って、カッターを隠した。

「すみません、先生。香折ちゃんが具合悪いみたいなので、保健室に連れていきます」

「色埜は保健委員じゃないだろ」

「先生、わかってないな~。空気読んでよ~」

 茶化されるのはあんまり好きじゃないけど、このときばかりはその男子の言葉に感謝した。ここは先生に空気を読んでもらわないと困る。

 香折ちゃんを連れて教室を出たら出たで、そこそこの騒ぎになったけどね。

 香折ちゃんはどうにか自分で歩けたけど、足取りが覚束なくて、私はその肩を支えた。

 息が荒い。加えて呼吸が浅い。手が震えている。パニック発作かもしれなかった。

 保健室に着くと、先生にベッドを貸してもらった。先生が香折ちゃんの状態を見て、場合によっては早退させる、と口にしたとき、私は体の芯がすうっと冷えていくような心地がした。

 早退? 帰らせるの? 香折ちゃんを、あの家に?

 香折ちゃんが倒れていても、介抱すらしない親のところに?

 私も顔色が悪くなったらしく、先生が心配してきた。大丈夫です、と答えたけど、正直、全然大丈夫じゃなかった。入院していたときの香折ちゃんの扱いを知っているから、どうか早退にならないで、と祈るように体温計が鳴るのを待った。

 ピピピピ、と甲高い音がして、私はばっと顔を上げる。凍てつくような色の音だ。香折ちゃんは沈黙したまま、先生に体温計を渡した。

「三十五度六分。低いな」

「別に、普通じゃないですか」

 香折ちゃんの声は少しやけくそな感じがした。私はベッドサイドに並んで座って、香折ちゃんの顔色を伺う。蒼白な色がいくらかましになったのではないだろうか。

「香折ちゃん……よくあれが自分だってわかったね」

 まあ、髪型は私からも見えたから、想像はついたけれど、私は肝心の顔が見えなかったから、すぐに香折ちゃんの顔だと判別できなかった。

 香折ちゃんは項垂れる。

「あれを展示しようとしてたなんて、先生にどう言い訳するつもりだったんだろう。先生、自分の肖像画ができるって楽しみにしてたのに」

 論点が「自分の顔にされたこと」から「先生への同情」へとずれている。まあ、そう細かく指摘するようなことでもないけれど。

 香折ちゃんだって、動揺しているんだ。そりゃ、勝手に自分を題材にされていたらね。香折ちゃんはカメラも駄目だし、鏡の自分と目を合わせるのも駄目なくらいだから。モザイクアートで形作られていく自分、なんて恐ろしいものとしか思えなかっただろう。

 自分の顔が怖いとか、他人の目が怖いとか、私にはいまいち理解できないけれど、それがどれだけ香折ちゃんの心の大きな部分を占めているかは知っている。

 なんで委員長はあんなことをしたんだろう。なんで、あんな、香折ちゃんだけじゃなく、クラスのみんなを騙すようなことを……

 と考えていると、保健室の扉をノックする人がいた。先生がどうぞ、というと、からりと扉が開いて、委員長が入ってくる。香折ちゃんはわかりやすくそっぽを向いた。

「島﨑くん、ごめんなさい」

「……」

「でも、島﨑くんが題材でもいいんじゃないかって何人かから背中を押されて、それで」

「……人を言い訳に巻き込んだって、嘘を吐いた免罪符にはならない」

「ごめんなさい」

「許さない。……出てって」

 香折ちゃんの声は細く、震えていた。

 おずおずと委員長は出ていく。香折ちゃんの声色に滲む拒絶を読み取ったのだろう。それ以上の言い訳はしなかった。

 香折ちゃんの言葉遣いは冷たいし、釣れないけれど、無理もないと思う。モデルにするのに許可を取らないのはそもそも非常識だし、香折ちゃんがここまで恐慌状態になるまで追い込まれたのだ。それでも「許さない」と言えただけ香折ちゃんはまだましな程度にいつもよりコミュニケーションが取れている。

「先生、帰っても家には誰もいないので帰りたくないです。しばらく保健室で休んでいてもいいですか?」

「まあ、そういうことなら仕方ないね。島﨑くん家は共働きだっけ。大変だよねえ。いくら男も女も平等に働く権利の社会って言ったって、その皺寄せを食うのは子どもだ」

 そういうことじゃないけど、そこまで話す必要もないか、と私も香折ちゃんも黙った。

 私はいつまで居座るつもりだ、君は病人じゃないだろう、と教室に帰されたけれど、気まずいったらありゃしない。教室に戻ると、委員長が泣いていた。何人かが慰めて、何人かが憐憫の目を向けて、何人かが呆れ顔をして、何人もが興味なさそうに黒板を見ていた。ホームルームは文化祭の準備から、先生による道徳の授業に切り替わっていた。

 守られるべき人権、というと難しいけれど、最低限、人の心を踏みにじらないようにする気配りを忘れないように、ともっともらしい言葉を並べ立てて、先生は誰の糾弾もしない。

「保積も悪かったし、島﨑もやりすぎた。これからは気をつけていこう」

 何がだ。

 香折ちゃんはやりすぎたかもしれない。でも、香折ちゃんのことなんて、何もわかっていないくせに、教師だからって偉そうに。そう言ってやりたかった。

 でも、私にそんな資格はない。

 私は香折ちゃんの顔を認識することができないくらい、香折ちゃんのことを全然知らない。……そんな無力感に苛まれていた。

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