第13話 勝手に期待なんて寄せないで

 ホームルームの時間。劇の題材決めになった。

 あたしは興味がないので、窓の外を見ていることにした。誰もあたしの意見なんて、求めちゃいないだろう。

 無視とかいじめをされているわけではない。どちらかというと、あたしがクラスメイトや担任を無視している。ご機嫌伺いをするのもされるのも馬鹿馬鹿しい。文化祭に興味はないし、好きなようにしてくれ、と思う。

 最近、女子があたしを介することなく、兄に告白に行くようになった。あたしは手間がかからなくていいけど、兄がいきなり声をかけられる機会が増えて、ちょっと窶れ気味だ。美青姉が、あたしを仲介役にする案を出してきたが、そればっかりはあたしも蹴った。あたしをだしに使われたくない。兄のことで話しかけられるのはもう懲り懲りだ。後始末も面倒だし。

 後始末というか、何故かあたしとその女子の間に気まずい空気が流れるのだが、何故だろう。別にあたし、何も悪いことしていないよな。

 なんて考えているうちに、何やら題材が決まったらしい。知らないタイトルの劇だ。まあ、中学生のやるものだから、シンデレラとかいばら姫みたいなのだと小学生っぽいし、シェイクスピアはロミオとジュリエット以外わかりづらいからな。

 けれど、どうやら、ベッタベタの恋愛ものらしい。最後キスシーンがあるということで、馬鹿共が頭お花畑状態で決めたようだ。

 主演を誰がやるか、ということで話がわいわい盛り上がっている。まあ、あたしには関係がない、と高見の見物を決め込もうとしていると。

「姫役、島﨑がいいんじゃない?」

「は?」

 ばっとクラス中の視線がこちらを向く。あたしはいつも通り、冷たく、塩っ辛い声で応じる。

「何、突然。ジョークならもっと上手いこと言いなよ。あたしが姫って柄に見えるなら、眼科に行った方がいいよ」

「そう、それ!」

「どれだよ」

 話し合いの中心にいた阿呆があたしを指差す。人に指差すな。

「島﨑のその塩気の強い感じが今回の姫役にぴったり!」

「どんな姫だよ。そんなヒロイン嫌だが」

「それに姫は金髪だし、ウィッグ代浮く」

 金かよ、と舌打ちした。まあ、準備のための費用に制限があるのは知っているが、ウィッグがあろうとなかろうとどうでもよくないか? 小学校の学芸会ではそこまでしなかっただろう。

 というか、塩気の強い姫ってなんだ。あたしはさすがに確認した方がいいだろう、と劇のタイトルが書かれた黒板を見る。「悪役令嬢も輝ける道へ」だと。これはあれか。今流行りのタイプのウェブ漫画とかそういうやつか。

 なるほどな。つまりはヒロインが元々悪役令嬢だから、性格の悪いあたしが似合うと。理解理解。

 それがどうして最後にキスシーンになるのやら。

「あたしは照明係やりたいからパス」

「えーっ意外。島﨑、目立ちたがりってことはないけど人並みに美味しい役は好きだと思った」

 好きでもなんでもないやつとのキスシーンの何が美味いんだよ。

 はあ。中学二年生ともなると、すっかりおませさんでいただけませんねえ。ひとまず、強めの意思表示をしたからあたしはあたしの人権を主張したぞ。

「でも、照明係は勿体ないよ、やっぱり」

「島﨑がヒロインやるなら俺主役やる」

「あーっずりぃぞ、抜け駆け!」

「僕も立候補します!」

「おいこらあたしはやらねえぞ」

 くそ、そう来たか。頭の悪い馬鹿共めが。

 小学生の頃はあたしのこと散々コケにしたくせに。あんたらの名前をあたしが覚えていないと思って油断してやがるな。あたしは名前と顔を一致させることは確かにできない。だがな、顔を覚えることはできる。

 人間の怨恨の記憶というのは加害側が薄まりやすく、被害側にはよく残る。あたしはあたしを粗雑に扱うやつらの名前なんか覚えてやらないけれど、あたしに害を成したやつの顔は一人たりとて忘れない。

 時間が経てば、許せる人は許せるのかもしれない。けれど、あたしは誰かを許すにはあまりにも狭量で、許すまでの期間として中学の二年にも満たない時間はあまりにも短いと思う。

 女子はよほどヒロイン役が嫌なのか、外堀を埋め始める。

「え、島﨑ヒロインだと立候補結構いる感じ? 男子、手ぇ挙げなよ」

「ひぃふぅみぃよぉ……結構いんな」

「当て馬でもいいってやつは?」

 数が変わらない。女子はマジか、とあたしに振り返る。

「どうよ、島﨑?」

「い・や・だ!」

「えぇ~、ノリ悪ぅ」

 ノリとかそういう問題じゃないことくらい、賢しいこいつらは気づいているはずだ。

 男子は特に文化祭というイベントバフによって色恋事に強気になっている。やつらは全員「当て馬でもいい」と主張している。これがどういうことか。

 どんな手を使ってでもあたしとお近づきになりたい? それはご立派。さぞ男前な回答に見えるだろう。だが、この問いにはあたし以外の女子のサンプルがない。つまりは別な考え方もできる。「誰でもいいから女子と付き合いたい」とか。

 イベントバフというのはそういうきっかけであり、種火である。あたしがネガティヴと言われるかもしれないが、可能性がある以上、完全に否定もできない理論だ。

 あたしは男子のためのパンダに仕立て上げられようとしている。これは無理にでも話の矛先を変えないと。

「あたしは照明係以外やらないから」

「そんなこと言わずー」

「大体、あたしに限らず美人は他にもいるでしょ。文化祭の劇なんだから、ウィッグに拘る必要もなし。逆にヒロインやりたい女子はいないの?」

 しーん、と静けさが耳を痛めた。疎いふりをしていたってわかる。これは完全に白けた空気だ。

 これは、まずったかな。

「本当、島﨑ってノリ悪いし、空気読めないよね。せっかく話題の中心にしてあげてるのに?」

「話題の中心? 人身御供の間違いだろ」

 あーあ、教室内の気温がどんどん下がっていく。零下になるのも時間の問題だろう。

 あたしとリーダーぶる女子の一騎討ち。目を逸らした方が負けだ。誰が決めたルールでもない、暗黙の了解だ。

 負けるつもりなど、毛頭ない。

「っ……強情で嫌味なやつ」

 案外と早く、化けの皮が剥がれた。別に剥がなくてもよかったけど。

「あたしはあたしのことを馬鹿にするやつが嫌いだからね。容赦はしない。スポットライトの下でアホ面晒してお芝居ごっこでもなんでもしていればいい。見ていてやるよ。照明の向こう側から」

「マジ性格悪。なんでこんなんがモテるの? 結局顔? ざけんな、サイアク」

 知るか、とあたしが小声で返すと、リーダー気取りの女子は、急にぶりっ子になって「わたしもやってみたいー」なんて言い出す。ひとまず、ここはあたしの勝利だ。

 別にリーダー気取りとあたしのルックスに差なんてないだろう。目鼻立ちも整っているし、リーダー気取りなだけあって人付き合いや交渉が上手い。

 男子というのは精神的な成熟速度が女子よりも遅いという。だから、上っ面のぺらっぺらな部分しか見られないのだろう。

 それと、と続きを考えて、後ろめたくなる。あたしは髪が綺麗だから。

 色々とやかく言われたこの地毛の金髪だが、艶やかで目映い、見目のいいものとなっている。それが何故後ろめたいかというと、髪の管理はほとんど兄に依るものだからだ。兄がいなかったなら、あたしはろくに手入れもしなかっただろうし、髪を伸ばしたりしなかった。地毛の金髪は今すぐにでも引きちぎってぼろぼろにしてやりたいくらい憎らしい、あたしのコンプレックスだ。

 髪をぼろぼろにしないのは、あたし自身のためじゃない。兄のためだ。髪結いは兄の趣味であり、兄が唯一、自分の手で選び取って続けているものだ。毎朝毎朝、飽きもせずあたしの髪を結う。休みの日だって、関係ない。それくらいあの人にとって、髪結いというのは欠かせない趣味であり、生き甲斐ですらあるように見える。

 毒親に育てられて、生きるのすらしんどそうにしているあの人から、唯一の生き甲斐を奪いたくなかった。案の定、毒親共は兄が髪を伸ばすことを快く思わず、一度は剃ろうとした。今はもうしないけれど。

 その点、あたしは「女だから」髪を伸ばすことを許される。今の時代、「女だから」「男だから」という価値観て差別されるのはおかしいけれど、差別って消えないから、解決できない問題なんだ。それなら、消えないことを利用してやろう、と思う。

 これも、知られたら、またブラコンだのなんだのと言われるのだろう。だいぶ自分一人でも手入れはできるようになったが、最終的に整えてくれるのは兄だ。兄なしで身だしなみも整えられない女と笑われても、否定できないかもしれない。

 ただ、あたしの髪を愛しいもののように触れてくる兄の手が好きだった。いつも緊張して、瞳孔の定まらない兄が、誰とも目を合わせないながらに、穏やかな眼差しをしている時間が、かけがえのなくて、尊いものだとあたしは思った。

 それでもやはり、人に言うには後ろめたさがある。あたしが美しいのだとしたら、それは兄のおかげだ、なんて言うのは普通に情けない。

「じゃあ、森岡が姫役なー。で、当て馬枠の女子はー……」

 あたしがすっと輪の中から身を引いても、ほら、話し合いは恙無く進んでいく。劇のキャストなんて、目立ちたがりにやらせればいいのだ。あたしは金髪のせいで、嫌でも普段から目立っている。

 劇のキャストなんて、客寄せパンダだ。保護者たちにとっては自分の子どもこそが最も輝けるスターであり、文化祭は間接的に親がそれを見せびらかす場である。

 あたしはあの親のためのパンダになんて、なってやるつもりはない。あたしはあたしのやりたいことをやりたいようにやる。兄でさえ、たった一つのやりたいことは貫き通しているのだから、あたしだってそこは譲りたくない。

 目立ってきた分、これ以上目立ちたくない、というのもあるが。

 そういえば、兄と美青姉は劇じゃないんだなあ、とぼんやり思った。当然、文化祭は一年から三年までの全校がやる行事であり、全員が全員、劇をやるわけではない。クラス発表の他に吹奏楽や合唱部などの文化部の発表も考えると、全クラスに劇の時間を与えられないのは当然である。

 それでも三年生というのは最高学年というのもあり、わがままが下級生より通りやすい。兄はモテることからわかる通り、見目は悪くないし、美青姉だって、なかなかいい線いっていると思う。身内贔屓は抜きにして、文化祭で劇というのは定番中の定番だし、下級生のあたしらに譲るほどの度量が上級生にあるか、疑わしい。事実、劇と同じで人気の高いお化け屋敷の枠は三年生が獲得している。

 兄が嫌だとか喚いたのだろうか、なんて想像して、可笑しくて笑った。自己主張が下手くそな兄に、そんなことができるはずがない。そんな我を通せるような人間なら、兄は両親の教えに強迫観念なんか抱かず、人の目を見て話せるはずだ。今のところ、人と目を合わせようとしないのは変わっていない。

 それなら、誰かがモザイクアートをやりたいと言い出したにちがいない。年に一度のチャリティー番組なんかじゃ定番だし、やりがいもあり、思い出にも残る。人と目を合わせることのできないうちの兄でも、作業に参加するくらいわけないだろう。

 そこまで配慮の行き届いている人間が、兄のクラスにいるのなら、それはそれで安心だ。兄も学校でまで息苦しい思いをする必要はないから。そうして寄り添ってくれるクラスメイトなら、よかったな、とあたしは思う。


 とか言って、あたしは兄の何をわかった気になっていたんだろう。どうして、会ったこともない兄のクラスメイトは、あたしのクラスの有象無象たちと違う、なんて確信できたんだろう。

 中学生になると、上級生のことを「先輩」と呼ばなければならないという文化が生まれる。何故、と問われると、口をつぐむか、年下が年上を敬う当たり前の第一歩だとか、それらしく着飾った言葉が返ってくるのだろう。

 でも、いくら先輩と呼んだって、中学二年生と中学三年生は一歳しか年が違わない。中二病なんて限定的な年齢の病気も、中学二年生だけがなるものではない。年の差が少なければ少ないほど、経験や成熟度の溝は浅い。

 そんな簡単なことに、どうして気づかなかったんだろう。

 世の中、馬鹿ばっかりだ。

 放課後、文化祭前で短い時間の部活を終えて、兄と美青姉に合流すると、伏せる兄を美青姉が慰めていた。

「ごめんね、ごめんね、香折ちゃん、なおちゃん」

 美青姉は罪悪感にまみれた声であたしに語って聞かせた。

 曰く、兄たちのクラスメイトが作ろうとしていたモザイクアートの完成図は担任の顔ではなく、兄の顔だったという。

 兄はカメラにも視線を合わせられないような人なのに、その完成予想図を見せられて、ひどく錯乱し……クラスメイトたちが持ち寄った写真たちをぐちゃぐちゃにしてしまったという。

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