第12話 イベントバフ

「好きです! 付き合ってください!」

「……は?」

 告白してきた男子がぴしりと固まる。それもそうだろう。このときのあたしの目付きが非常に悪かった自覚はある。が、直す気はない。

 あたしは不機嫌の極みだった。色恋なんかどうでもいい。自分はその渦中に巻き込まれたくない。だから、人に嫌われても仕方ない振る舞い方をしてきたはずだ。

 あたしにとっては名前も知らない村人Bみたいな存在のこの男子。男子にしては背が小さい気がする。この男子があたしに「付き合ってください」だのというのはあまりにも突拍子も脈絡もなくて、あたしは混乱していた。

 好きです、と言われて、気を悪くするやつはほとんどいないと思う。ただ、あたしは例外に当てはまった。あたしは好きと言われるのが嫌いだ。そういう意味なら、尚更。

 独身主義、とまではいかないかもしれないが、少なくとも、恋人を作る、なんて思考には陥らない。そんなの、余裕のある人間がすることだ。余裕があるのなら、あたしはその時間を美青姉や兄との時間として使いたかった。

 兄妹とそこそこ仲良く付き合える期間なんて、今くらいなものだろう。美青姉は学年が違うし、そのうち高校にでも入学したら、時間を合わせるなんてことはできなくなるだろう。三人共、同じ高校に入れるわけでもなし。

 そんなわけで村人Bには悪いが、いつも通りの塩対応をさせていただく。

「何言ってんの? 罰ゲーム? それともいじめ? 悪いこと言わんからやめときな。人の言いなりになるようなやつに付き合うほどあたしは暇じゃない」

「お兄さんは親の言いなりなのに、ですか?」

「あ?」

「ひっ」

 びびるくらいなら、あたしの気に障るとわかりきったことなんか聞かなければいいのに。頭の悪いやつ。百六十センチもない坊やからしたら、百七十センチの女に見下されるなど屈辱か恐怖だろう。その上、あたしは目付きが悪いからね。

 兄が親の言いなりね。まあ、間違ってはいないのかもしれないけど、結果的に従っているだけで、兄だって、兄なりに考えて行動している。そうじゃなきゃ、人の目を見て話すのが怖くなったりなんかしない。

「人の家族を悪く言うやつは論外だ」

「でも! 島﨑さんの親御さんは言い逃れのしようがなく、モンペじゃないですか!!」

「聞こえなかったか?」

 あたしは小さいその図体を壁の方に追いやり、どん、と壁に手を突く。

「人の家族を悪く言うやつは論外だ。失せろ」

「ひっ」

「ぶっ」

 後方から笑い声が聞こえてきた。やっぱり、誰かが見ていたか。趣味の悪いことだ。

「その気もないくせに声かけてくんじゃねーよ。そういうやつが一番嫌いなんだ。そういうのをけしかけてくるやつもな」

 ぎろっと視線を後方に投げると、笑い声が凍りついた。はあ。こんなことやって、何が楽しいんだろうな。

 理解したくないような気がしながら、その場から去ろうとすると、あたしの腕を掴んで引き留めてくる存在がいた。あたしは驚いて振り向く。

 村人Bがあたしを引き留めていた。いや、なんで?

「ぼ、ぼくはけしかけられたわけじゃない! 島﨑さんのこと好きなのは本当! 家族のことを悪く言うのは良くないってわかるけどさ、島﨑さんが家族に束縛されたり振り回されたりしてるの、見てられないんだ! きみの逃げ場所になりたい!」

 ほう、咄嗟に考えたにしてはご立派。

 だが、あたしのことを結局何も知らないじゃないか。両親は学校に直電してくるようなモンペだよ。毒親だよ。あたしの逃げ場になりたい? 何もわかっていない。

「逃げ場はもうあるからいらない」

「逃げ場なんていくつあってもいいでしょ?」

「あんたを逃げ場にするつもりはない」

「どうして?」

 どうして?

「名前もわからない村人Bみたいな立ち位置の人間に、どうやって寄りかかるの? あたしはそんな弱い女じゃないわ」

「む、村人B……?」

 名前すら覚えられていないことに、せいぜい失望すればいい。あたしは人の名前を覚えるのが苦手だし、覚えようとも思わない。

 あたしの人生にいてもいなくてもいいやつなんて、いらない。

「そんな、そんな。ぼくはこんなに島﨑さんのことを想ってるのに……」

「一方通行、御苦労様」

 あたしはぴしゃり、と手を振り払った。勢いよく払ったので、村人Bがよたよたと後退りする。

 あたしは恋愛する気がないし、人と仲良くなろうと思わない。

 あたしは今のままで充分、満たされているからだ。兄には苛つくことがあるけれど、兄があたしの髪を弄っているときの顔は嫌いじゃないし、美青姉のことは大好きだ。おまけに青天目もいるから、これ以上はいらない。

 必要最小限の世界で生きていたい。あたしを否定する何もかもから、目を背けていたい。

 お前らが当たり前に得ている親からの愛も友達も、あたしには当たり前じゃなかった。自分の当たり前を押しつけてくるやつは嫌いだ。気持ちを押しつけるだけ、言葉にするだけで、伝わるとか思っているのが見え透いて嫌だ。そんなわけないのに。

 ……何より、あたし自身が、自分の意見を押しつけて、他人の心を蔑ろにする典型例なのかもしれない。それがわかっているから、誰にも押しつけないようにと言い訳して、人と関わらないようにしている。

 村人Bが見えないところまで来ると、あたしは盛大に溜め息を吐いた。

「マジで来たわ……部長の言うことはちゃんと聞こ」

 あれも文化祭ハイみたいなやつなんだろう。どうして学校行事って、人のやる気スイッチを変な感じで押すのだろう。あたしがそういうスイッチを押されて流されるような人間じゃなくてよかった、と心底思う。

 あたしがきつい言い方をしているみたいに見えるだろうが、あたしがこうなったのはお前らのせいだよ、とひそひそ話に勤しむ生徒たちを見て思う。ひそひそ話は被害妄想を助長させる、とこいつらは学んでいないのだろうか。

 陰でこそこそ言われ続けてきた。後ろ指を指され続けてきた。そんな経験がないから、ひそひそ話なんてできるのだろう。

 経験したこと、体験したことのない物事を理解することはできない、とよく言うけれど、それこそ想像力をはたらかせるべきところなのではないか。想像もせずにあなたの考えは間違っているとか、決めつけるのが良くないって、どうして大人は教えないんだろう。

 小学校で習わなかったの、なんて決まり文句があるけれど、習わなかったから、こうなっているんだろうな。複雑な気分だ。負の連鎖がぐるぐるぐるぐる回っているだけ。

 そこから抜け出したいのに、泥沼みたいにずぶずぶと足は沈むばかりで、抜け出せない。

「ちょっとぉ、島﨑さん、いつきくんが可哀想じゃん。もっと優しくしてあげたら?」

「何? そんなこと言うならあんたが慰めてやれば?」

「うわー、マジ最低なんですけど」

「人を見世物にするやつらほどじゃありませんけどね」

「でも、島﨑さんの壁ドンは正直ときめいちゃった! 私にもやって!」

 うわ、なんだこの女子。特殊性癖か? 確かに壁ドンはしたけども。

「諭吉三枚で考えてやろう」

「ええーっ!?」

 ……どうして受け入れてもらえる前提なんだろう。


 あたしのことは、受け入れないくせに。


 放課後、部活でその話をすると、部長は腹抱えて笑った。

「笑わないでくださいよ。撒くのに苦労したんですよ」

「そのままストーカーになったらウケるわね。にしても、小柄とはいえ、男子相手に壁ドンとはやるねえ。そういうとこがモテるんだよ」

「は? なんでですか?」

 恋愛に疎いあたしでも「壁ドン」の意味くらいはわかる。壁まで追いやって、逃げ道を腕で塞いで、女に迫る手法。所謂胸キュンシチュというやつだ。だが、あたしが村人Bにした壁ドンはそんな胸キュンもへったくれもない。

「なんでだろうねー」

 部長はふふふ、と笑う。意味ありげな笑みだが、部長は一体、あたしに何を思うのだろうか。

「人の趣味なんてわかんないよ。でも、島﨑はモテるよ。塩対応がツボにはまる人多いんじゃないかな」

「え……それは若干のマゾでは」

 ぞぞぞ、と鳥肌が立つ。そんなモテ方は御免被りたい。

「マゾは性的嗜好でしょ? 拡大解釈のしすぎだよ。そうだな、言い換えるなら、島﨑の男前なところ、好きな人は一定数いると思うよ」

 男前が褒め言葉だとして、それは女として喜んでいいのだろうか。そもそもジェンダー論争にも興味はないので、あまり考えないのが吉かもしれないが。

 だが、そこまで解説されれば、何がウケているのかはわかってきた。つまりはギャップ萌えみたいなやつだ。兄が男だけど髪弄りができることでモテるのと原理は同じだろう。普通男はこんなことしない、女はこんなことしない、そういう先入観でギャップを感じる。それに嫌悪を覚えるか、好感を抱くか、といった違いだ。

 で、あたしの女っぽくない態度がウケている、というわけだ。

「喜んでいいんですかね」

「喜べ喜べ。それとも島﨑は人に慕われるのが嫌いなタイプか?」

 即答できない。嫌いといえば嫌いな方だが、青天目とか、共感性のあるやつに懐かれるのは嫌じゃない。

「自分のことを好きじゃない人にまとわりつかれるのはちょっと」

「まとわりつくのは好きの証明じゃない?」

「面白がるだけの人種もいますから」

「それは否定できないなあ。でも、それなら私はどうなんだい? 今、まさしく、面白がるために島﨑にまとわりついているんだが?」

 く、巧妙な返しをしてくる。嫌いとは答えられないじゃないか。

「部長は節度がありますし、チームのキャプテンですから。尊敬してますよ」

「そりゃどうも」

 ちら、と部長を見る。ベリーショート……それこそジェンダー的な言い方をするなら、「女らしくない」髪型をしている部長は、少し寂しそうな表情をしているように感じた。あたしは思わず、間違えたか、と身構える。

 それからすぐ、どうして身構える必要があるんだ、と馬鹿らしくなる。あたしは部長にとって後輩で、部員の一人。あたしにとって部長はキャプテンであるというだけの先輩だ。それ以上でも以下でもない。

 部長があたしに何か期待するとしたら、部員としてだし、逆もまた然りだ。今回はたまたまお喋りが弾んだだけである。

 コートに出れば、ただのチームメイト。特別なことなどない。部長のことを部長と呼んで誤魔化しているが、あたしはこの人の名前を知らない。覚える気もない。その他大多数と同じ扱いである。

 部長にとっては不愉快かもしれないけれど。




 知らないよ。あたしもなんだか、不愉快だ。

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