第11話 少しだけ変わった日常
兄は数日して、退院した。
親は面会に行かせた。あたしが駄々をこねて、兄の見舞いに行きたいと言ったのだ。そうでもしないと、行く気配はなかった。医者や看護師はそれを察してくれて、誰も見ていないところでそっと労ってくれた。
だがまあ、そこそこ地獄の日々だった。あたしが駄々をこねるなんて普段はないものだから、父も母も「あらあらお兄ちゃん子ね」だなんて勘違いして。別にあたしはお兄ちゃん子ではないし、ブラコンでもない。親には親として最低限の態度を兄にもとってほしい、というだけだ。
あたしばかり甘やかして、不平等だ。兄は両親のせいでおかしくなっているのに。自分たちの躾がおかしかった、とやつらは自覚しているのに、直そうとしない。
何もわかっちゃいない。兄を責める言葉を吐かなければそれでいいとか、勘違いしてやがるのだ。腹立たしい。なんであたしに向けられる感心を兄には向けられないのか。
子どもに「男だから」とか「女だから」とか関係なくない? 男だって、子どもなら相応に優しくするべきだし、女だから甘やかすっていうのは歪んだ思想じゃない?
医者から精神病院を勧められた親たちがこんなことを話していた。
「もしかして、香折は近頃よく聞く『性同一性障害』というやつなのかしら」
「ああ……体と心の性別が違うとかいう……」
「髪弄りも好きだし、本当は女の子みたいに繊細な心を持っているのだとしたら、私たちは香折につらく当たりすぎたわ」
「そうだな」
……絶望した。
は? お前ら頭沸いてんのか? 女じゃなくたって心というのは複雑怪奇で繊細なものなんだが? あたしらの倍以上生きてんのに、そんなこともわからないのかよ。
絶望というか、失望だろうか。あたしもあたしなりに、親に幻想を抱いていたのだ。親だからもっと子どものことを見てくれるって。ちゃんと調べて理解しようとしてくれるって。
なんでそんなおっさんの頭皮より薄そうなぺらっぺらの知識で、決めつけることができるの? 信じられない。どうして男は心も体も頑丈って決めつけてんの? 繊細でか弱いのは女だけだって、どうして決めつけられるの?
あまりにも親を信じられないので、あたしはあたし自身も精神病院を勧められていることを言わずにいた。どんな診断が出てもかまわないけれど、こいつらの偏見によって取り扱われるのがすごく嫌だった。……とはいえ、中学生が一人で受診することはできないのだけど。
そんなこんなで、今日も登校だ。
ピンポーン。
「はーい」
玄関の呼び鈴に親はぴくりとも反応しない。当たり前のように兄が出るからだ。
時間的に美青姉だから、兄が出るので間違いないんだけど、家の呼び鈴鳴ったら反応くらいしろよな、と思いながら、スクールバッグとスポーツバッグを持って、あたしは兄と玄関に出ていく。
「おっはよー! なおちゃん、香折ちゃん」
「うん、おはよう」
「おはよう、美青姉」
兄は相変わらず目を合わせずに挨拶をする。それでも律儀に両親に行ってきます、とは言う。染み着いた習慣というやつなのだろうか。
あたしは朝の挨拶も億劫なのに、よくやるよ。……挨拶くらい、するのが最低限のマナーなのかもしれないけど。
私が挨拶なんてしようものなら、また兄はあたしと比べられ、あたしは何故かいいこいいこされるのだろう。それを思うと吐き気がする。
「香折ちゃん、本当、病院行かなくていいの?」
「うん」
美青姉はあの日からよく兄の心配をしてくれる。といっても、気にかけてくれるのはいつものことなんだけど。
「でも、夏が終わったら、本格的に受験シーズンになるから、行けなくなるよ?」
「だからこそ、だよ。通院と受験関係のイベントが重なったら面倒だから。受験受かったら行く」
「そんなこと言ってー。香折ちゃん推薦受けるんじゃないでしょ? 年明けて三月になるじゃん」
自分のこと後回しにしすぎー、と美青姉がぶうたれる。それはあたしも思うけど、兄の思惑もわかった。
親は絶対に兄のためなんかに休みを取らない。そのことは入院沙汰のときに痛感したことだ。ただでさえ、中学生のうちは病院を一人で受診するのもままならないのに、それが精神科となれば、保護者の同伴は必須となるだろう。受験でそれなりの学校に入って、親のご機嫌を取るのが一番の近道で、一番の安牌だ。
これに関しては母が入院中にかなりヒステリーを起こしており、あたしもあんな思いは嫌だと思う。
「あっ、尚弥先輩、おはようっす」
「おはよ、青天目。今日もランニング登校? 精が出るね」
「走るだけっすから!」
にかっと笑うと目の色なんて気にならなくなる青天目も、最近、よくあたしたちの登校途中に出会うようになった。いじめられてきた分、ちゃんとしているので、美青姉や兄にもきちんと挨拶をしていく。
兄と目が合わないことを当初不審に思っていたらしいが、青天目は素直にあたしに聞いてきたので、事情を話した。俺嫌われるようなことしました? と自身なさげにしている青天目は犬みたいで可愛かったな。これがワンコ系男子ってやつか。
「じゃ、尚弥先輩、朝練で会いましょう!」
「おう、遅刻すんなよ」
兄は青天目のことを嫌ってはいない。実際聞いたところ、あたしと仲良くしてくれる子がいて安心したとのこと。コミュ障のくせに人がコミュ障みたいな言い方すんなや。
まあ、あたしが周りから浮いて、遠巻きにされているのは否定しないけど、その原因の半分は兄がモテるからだ。
多様性の許される現代では、創作の中でならインモラルなことも許される。例えば、兄妹モノの叶わないラブコメとか。そういう目で見られている、というのは被害妄想かもしれないけれど、ミリでも可能性があるうちは居心地が悪い。
「文化祭も近いからねー。んー、なおちゃんとこは何するの?」
「劇ですって」
「えーっ、何の劇、何の劇!?」
「まだ何の劇かはわからない。ただ、シェイクスピア? とか言ってましたよ」
「シェイクスピア! ロミジュリとかかな? かな?」
ロミオとジュリエットな……あたし、あんまりあの作品好きじゃないんだよな。リア王も駄目だったから、悲劇が駄目なのかなって思ったんだけど、ハムレットは普通に好きだからよくわかんない。
まあ、劇なんて正直どうでもいい。あたしは静かに小道具や大道具の係でもやろう。
「美青姉とおにいのクラスは何やるんです?」
「えーと、なんだっけ、写真ばーってやるやつ」
「モザイクアートね」
ちょっと笑った。写真って。兄はカメラにすら目線を合わせられないのに。
「みんなの思い出のアルバムから、先生の顔作るんだって。意味わかんないよね」
「え、でも企画的にはエモくないですか? 中学卒業したら、会えなくなるわけですし」
「あー、みんな高校一緒ってわけじゃないもんね。高校も義務教育にすればいいのに」
「……そういう法案、出てなかったっけ?」
あたしと美青姉が喋って、時々兄が知的な指摘を入れる。そこそこ賑やかで楽しい日々が続いた。
このままの日々がずっと続けばいいのに、と思うけれど、もはや半ば義務教育となった高校入学は避けられない。そこで問題になってくるのがうちの馬鹿親共だ。
あれで兄に優しくしているつもりらしいが、一度身についた人への態度というものはそう簡単に抜けるものではない。推薦入学をしない兄のことを両親は良く思わないだろうし、受験を受けるにしたって、いいところに入らそうとするはずだ。そうなると、また教育熱心な両親というのが復活するわけである。
悪夢でしかないだろう。兄は日に日に早起きになっていく。まあ、あたしは朝練に早く行けていいけれど。
文化祭か、と朝練に来て思う。興味はないが、劇は体育館を使うので、文化祭数日前から運動部は行動を制限される。特に屋内球技のバレー部やバスケ部は。
気がかりなのはそれと、学校行事が近くなると沸く、カップルたちだろうか。最近のませた連中は本当に困る。キャッキャウフフしてるのは正直五月蝿いし、うざい。あたしは誰かと恋愛的にどうこうなりたいと思わないし。
……あ、兄へ告白を試みる女子とかも増殖するのかな。
兄が誰とどうなろうと、あたしは心底どうでもいいが。ただ、ふと思った。
仮に、兄が誰かとくっついたとして、そんな有象無象の女子をあたしと美青姉のグループに入れられるだろうか。
無理だと思う。兄に告白するやつなんて、兄のことなんにも理解していないし、兄のことも理解できないやつが、あたしや美青姉のことを理解できるはずもない。そう考えると、普通に嫌だな。
もやもやとした気分で打ったサーブは、ネットに思い切り引っかかった。
「おいおい島﨑ー、身が入ってないぞー」
「あ、ごめん。考え事してて」
「さばさば女子の島﨑が考え事!? 何、悩み事?」
さばさばってなんだ。あたしは今流行りのさば女子じゃねえぞ。どちらかというと、粘着質な方だと思うんだが。
「いや、最近カレカノ増えてきてるじゃないですか。兄に彼女ができたら、なんか微妙な気分になるなーって」
「ナイストース。島﨑もそういう悩みするんだねー」
「ナイスレシーブ。あたしを何だと思ってるんですか」
「よっと。いや、島﨑案外さらっと女の子を兄に紹介するから、あんま気にしてないのかと」
「兄が将来どんな女とくっつこうとどうでもいいですけど」
「ちょ、女て。言い方言い方」
「断る兄しか見て来なかったから、微妙になるんですかね」
「やーっ」
「おわっ」
話をしながらレシーブとトス練をしていた先輩が、突然スパイクを打ってくる。あたしは滑り込んでワンタッチしたが、ボールはあらぬ方向へ飛んでいった。
ボールを取って戻ってくると、先輩は滅茶苦茶にこにこしていた。経験則で、あ、これはろくなこと考えてない、とわかる。
「お兄ちゃんが心配なのもわかるケド、島﨑は自分の心配した方いいと思うよ」
「え、なんでですか?」
先輩にボールを渡すと、先輩はサーブを打つ。滅茶苦茶綺麗な放物線を描いて飛んでいく。残念ながら、ホームランというやつだ。
「鈍いなあ。金髪、強気で塩気が強い、手足が長い、長身美人。こんなのほっとく男がいないでしょ」
「そんな物好き、いるんですか?」
うげえ、というと、嫌味かい、と返された。
嫌味なんてとんでもない。話したことある男子なんて、青天目くらいなもので。女子から兄への告白を取り次いだことはあっても、自分宛てのものなんて、届いたことがない。
「男子はそれこそ文化祭というイベントバフがかかってるから、そろそろ来ると思うぞ~」
「イベントバフがかからないと好きな女に告白もできねえヘタレなんて相手にする気ありませんよ」
「おっふ。島﨑ってば、そういうとこだよー」
どういうことだよ。
そんな会話が授業中も残り、なんとなく、放課後を迎えた。
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