第9話 御守りのない他人
放課後になるなり、私はなおちゃんのところへ行くために、鞄を引ったくって、教室から出た。
青天目くんには悪いことしたなあ、と思う。今度、何かで埋め合わせした方がいいかな。
そんなことを考えながら、裏門から出るために体育館の脇を通ると、なんと、青天目くんがいた。私も青天目くんも予想だにしない遭遇に、お互い、目をぱちくりとした。
綺麗な黒い目をしているなあって思う。大和撫子の男バージョンって、なんていうんだろう、とか思いながら、私は手を挙げた。
「やあ、青天目くん」
「先輩。帰りっすか?」
「うん。なおちゃんとこ行こうと思って。青天目くんは? 部活?」
「そうっす。一年は大体雑用とかやらされるんで、早く来ると先輩からの好感度上がるんすよ」
なるほど。運動部ってそういうものなのか。
なおちゃんはあんまり部活の話をしない。帰宅部の私たちに気を遣っているんだろうか。
いや、私たち、というより私に、だ。
なおちゃんが中学に入学した春に言われた。
「美青姉、無理しておにいに付き合う必要ないんだよ」
最初、なんでそんなことを言われるのかわからなかった。
なおちゃんは全部知っていた。香折ちゃんがモテる裏側で、意気地なしとかもやしとか、調子乗ってるとか蔑まれていることを。それに引っ付いて世話を焼いている私のことも、まあまあそれなりに悪く言われているのだろう。
私は気にしないけど、なおちゃんは気にするらしかった。
「別に、私は香折ちゃんの傍にいたいから、香折ちゃんの傍にいるんだよ」
「でも、おにいの傍にいたら、美青姉はたぶん、幸せになれないよ」
たぶん、なおちゃんと私では見えているものが違うのだろう。私は見えるものが違うことに慣れているけれど、なおちゃんはそうじゃない。
香折ちゃんの傍にいて、私が幸せになれるかなれないか、なんて、誰かにどうこう決めつけられたくない。
「いいよ。未来はわかんないけどさ、私は香折ちゃんとー、なおちゃんと! 一緒にいられる今が最高に幸せだから」
そう宣言すると、なおちゃんは困ったようにお手上げポーズをして笑った。
私の絶対的な物言いになおちゃんは降参したみたいだったけど、なおちゃんなりに私に気を遣っている。いくらかでも、醜聞醜悪が私の耳や目に入らないように。
そんなことしなくたって、私は香折ちゃんの隣にいられればいいんだけど。
「尚弥先輩も大変っすよね。学校に直電かけてくる親とか、マジあり得ねえっす」
「あはは……」
苦笑いする中、私はあることを思い出す。それを鞄から取り出して、青天目くんの手に握らせた。
「えっ、なんすか? ……ミルメーク?」
そう、私が渡したのは、給食で残したミルメークだ。
「今日出たでしょ? 私ったら、牛乳に入れるの忘れてさ。よかったらあげるよ。市販の牛乳に混ぜても美味しいはずだから。じゃあね!」
先を急ぐとはいえ、なんだか餌付けみたいになってしまったな。いや、ミルメークで餌付けってなんだ。
手を振ると、呆然としながらも、青天目くんは手を振り返してくれた。結構いい子なのかも。
スマホを見て、なおちゃんから連絡がないか確認する。うーん、特にメッセージがないな。親の鬼電に振り回されて余裕なかった感じかな? まあ、青天目くんに伝言させるくらいだもんね。
今朝もひどく動揺していたように思う。なんだかんだ、なおちゃんは香折ちゃんのこと好きなんだと思うな。私に電話を寄越したのも、第一発見者を親にしたくなかったからだろうし。
なおちゃんと香折ちゃんの両親が結構な毒親であることは知っていた。あの人たちの目は毒々しい紫色をしていて、煙みたいに色むらがある。あの人たちが言葉を吐くときも、そんな色が見えて、たぶん香折ちゃんはそれを副流煙みたいに吸い込んじゃって、病気みたいになったんだと思う。
なおちゃんは副流煙を上手くかわして、綺麗な金色の瞳のままでいてくれているけど……それはたぶん、ご両親の放つ毒を、香折ちゃんが全部吸い込んでいるからなんだよね。
私には、私にしか見えない世界がある。だから、香折ちゃんが毒を吸い続けているのは、香折ちゃんが無意識でやっていることで、なおちゃんはもちろん、香折ちゃん自身すら、自覚していないのかもしれない。
「尚弥のこと、守りたいから」
毎日なおちゃんの髪を編み込む理由を、香折ちゃんはそう語った。髪を編み込むという行為が御守りみたいなものなんだろう。
それを毎朝やるのは愛だよ。
病院に着くと、私は待合室に向かった。なおちゃんの髪色は派手で目立つからすぐ見つかると思ってたかを括っておりました。全然見当たらない。
病院だから、メッセージ送れないんだよね、と悩ましくスマホを見つめる。来る間も、なおちゃんから連絡はなかった。待合室にいるとどうして思い込んだのだろう。私は私で焦っているのか。
うろうろして不審に思われても良くないので、私は受付の人に声をかけた。
「今日運ばれた、島﨑香折さん……ええと、救急病棟なので、ご家族以外のご案内はできないんです」
「ええと、ご家族の方、来てます? 本人に会いたいっていうよりは、家族が来てるかどうか確認したいっていうか……あの、金髪の同じ制服来た女の子なんですけど」
「ああ、妹さんですね。呼ばれて病室に向かいましたよ。病室へのご案内は承りかねますが、待合室でお待ちになってはいかがでしょう?」
「ありがとうございます。そうします」
受付のお姉さんは落ち着いた緑色の瞳で微笑んだ。緑色なのでなんだか安心する。
私は待合室の片隅に陣取って、なおちゃんを待つことにした。家族が呼ばれたってことは、香折ちゃん、目を覚ましたのかな? というか、お母さんはどうしたんだろう?
……あの毒親のことだ。なおちゃんを呼び出すだけ呼び出して、ここに置き去りにした可能性も充分にあり得る。学校に直電されたってだけで、なおちゃんメンタルブレイクしているだろうに。
香折ちゃん、大丈夫かな。重い病気とかじゃないといいんだけど……
私が香折ちゃんを気にかけるのは、香折ちゃんの色が見たいから、という理由がある。さっきの受付のお姉さんみたいに、私は初対面の人でも、はっきりと色で認識することができる。なおちゃんのこともトパーズみたいな強い色の子だと認識している。
ただ、香折ちゃんの色は長い付き合いなのにわからない。目を合わせたことがないからかな、と思うんだけど、本人が嫌がることをしてまで知りたいわけじゃない。でも、ぶっちゃけ好奇心はある。
だから、もっともっと長い時間をかけて、香折ちゃんが自然に私の目を見られるようになるまで、ずっと一緒にいよう、という作戦だ。そこにほんのちょっとのスパイスとして、恋心が加わっているだけで。
きっと香折ちゃんは、綺麗な色をしていると、なんでか確信できるんだ。なおちゃんへの何気ない気遣いとか、言葉遣いの丁寧さとか、女の子への誠実さとか見ているからかな。
見たことのないような、綺麗なものを見たくて、私は今、ここにいる。
そう思い返していたら、ひらっと見覚えのある金色が見えた。ちょっと赤みが強いから、際立って輝く金髪。あの色を私が見間違えるはずがない。
名前を呼ぼうとして、ここが病院であることを思い出し、とたた、と近づく。
「なおちゃん」
「美青姉?」
私と目が合うと、ぱちんとソーダ水みたいになおちゃんの色が弾ける。夏みたいな女の子だ。少し目が赤い。泣いたのかな。
「美青姉ええええええ!!」
「しーっしーっ、なおちゃん、ここ病院!」
えぐえぐと泣き叫ぶなおちゃん。注意しつつ、抱きつかれた背中に手を回して、よしよしと撫でる。やっぱり、精神的に堪えていたみたいだ。なかなか泣き止まない。案の定、お父さんの姿も、お母さんの姿もない。
「大丈夫? だいぶ参ってるね? 急がないなら話そうか」
「でも、先生の話聞かなくちゃ」
「そういうのは中坊がやるもんじゃありませんー!」
親が帰ってくるまで待った方がいいだろう。医者の説明はどうしても専門用語が多くなる。もし、香折ちゃんの身体状態がグロッキーだったら、なおちゃんは耐えられないだろう。
看護師が心配そうに近づいてくる。そろそろと私を見た。水色の人だ。
「島﨑さん、大丈夫ですか? こちらの方は?」
「あ、すみません。島﨑香折ちゃんと島﨑尚弥ちゃんの友人の色埜美青と申します。今朝救急でかけたの、私なものでして、心配で……」
「ああ、そうでしたか。香折さんなら、意識が戻りましたよ。ただ、貧血の症状がひどくて、また眠ってしまわれましたが」
「貧血……」
まあ、それは倒れた原因の一つでしかないだろう。貧血で熱が出るという話は聞かない。
とりあえず、一度は目を覚ましたみたいでよかった。命にも別状はない、と看護師さんは言ってくれた。一安心だ。
「親御さんがいらっしゃらないので、どうしたものかと思いましたが……」
「お医者さんのお話って、早めに聞いた方がいいんですか? そうじゃないなら、島﨑夫妻が来るまで待ってもらえませんか?」
島﨑夫妻。我ながら滅茶苦茶他人行儀な響きだ。まあ、他人だけれど。
なおちゃんの情緒が滅茶苦茶なので、休ませてあげたい。でも、私が代わりに聞けるわけでもないしな、と悩む。
どんなに長く友人をやっていても、幼なじみでも、赤の他人たちから見れば私も他人なわけで。健康状態なんかはプライバシーに関わる情報なので、他人に易々と明かすわけにはいかないだろう。
他人というのが、もどかしかった。
「……先生に相談してきてみますね」
その看護師さんはいい人だった。
医者にも医者の都合がある。でも看護師が聞きに行ってくれるこの時間だけでも、なおちゃんは休むことができる。私にはそれくらいしかできないから、なおちゃんと隣り合って座った。
香折ちゃんに会いたいけど、わがままばかり言っていられない。今は私が、なおちゃんを支えないと。
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