第49話 天才と夏の終わり
今日は始業式、とうとう夏休みが終わってしまった。
僕はああいうことがあったからと言って、そこに学校がある限りは学校に行かない、ということはない。そういう意味では、僕は学校というシステムに通っているといえるかもしれない。たぶん、小学校で受験をした人以外はみんな確かにそうだと言うと思う。だから、先生を選べないこともわかっているし、そんなことを考えたこともなかった。でも、今日は、今日だけはどうなるかわからない。
朝の会には、健二郎も、林田も、木村も、須藤も、誰一人欠けることなく、クラス全員が見事に揃った。林田は夏休みの間、結局最後まで部活には来なかった。
くにおちゃんが全員の顔を見渡して「では、体育館に移動しましょう」と言った。
僕のところから一年生の列は全然見えない。僕は教室でギリギリまで宿題をやってから来たので、入るときには見れなかった。今日登校したときに、林田に軽い挨拶はしたけど、ミクも一緒かどうかまでは聞かなかった。ミクは今日学校に来ていないのかもしれない。できればそうであって欲しい。ミクが来てない方が、僕の今日の目的は達成しやすい。
始業式が終わってからホームルームが始まった。林田ミサはいつも通り、委員長になった。副委員長はいつも決まるまで時間がかかる。立候補だからなかなか決まらないのが普通だ、という空気が一回はできる。その上で、この委員が実は一番楽だと知っている僕が手を挙げる。というのが僕のいつもの作戦だ。
「私は、副委員長に橋本くんを指名します」
林田は突然、悪びれる様子も、予告もなく、指名をした。指名っていいのか?そんなことをしなくても一学期と同じように僕がこの後手を挙げるんだけど。これではまるで、「橋本じゃなきゃイヤ」と表明しているようじゃないか。くにおちゃんは何も言わない。林田の目的は何だ?
その後、他の委員はあっという間に決まってしまった。もしかしたら、みんな自分のやりたくない委員に指名されたくなかったのかもしれないが、僕の予想通り林田の指名は僕に対する一回だけだった。
ホームルームの最後にくにおちゃんが、今日でこのクラスの担任じゃなくなること、代わりの担任が数学の徳田好子になることが発表された。僕はあまり驚きもせず、ただ、「話し合いの結果そうなったのか」と思った。もっと驚いたのは、クラスの反応だった。特に反応がなかった。単に、思い入れがなかったということだろう。一年生からこの学年の理科を担当していたが、一年の時はクラスの担任を持っていなかった。僕たちが国尾先生のことをくにおちゃんと呼んでいるのは、親しみがあるからではなく、そう呼んでも怒られないからである。その後、長々と演説をしていたが、内容は僕の頭にほとんど残っていない。
担任じゃなくなる理由については、「諸事情により」と言っていた。全く説明にはなっていないが、説明できない事情があると言うことだけはわかる。それならせめて、ありがちな嘘でもつけばいいのにと僕は思う。これではまるで、理由を気にして欲しいみたいな感じがする。しかも担任じゃなくなるということは、この学校にはいるということだろう。引き続きこの学年の理科も担当するかもしれない。と言うようなことを自然と考えさせられる。そういう作戦なのかもしれない。何か目的があるんだろう。そんなものはどうでもいい。もうこの人にはこれ以上何もさせたくない。
ホームルームが終わった。僕は林田の視線を無視して、教室を出ようと思った。
「なんで何も聞いてこないの?」
その声に反応して後ろを向いた。林田はどっしりと腕を組んで座って、じっと前を見つめている。
クラスの全員が教室から出て行った。僕たちに関心がない人はもちろん、僕たちに感心がある人ほど、気を遣ってこの場を去った。セミさえも気を遣って音量を下げている。
「橋本、今からどこに行くの?」
「じゃあ先に聞かせろ。何でわざわざ指名なんか」
「そうでもしないとすぐ行っちゃうと思ったからよ。話がしたかったの」
林田は相変わらずこちらを見ず、何かをこらえるように僕に言葉を返してくる。こらえているのは言葉ではなく、感情か何かだ。
僕は今のところ、自分の席から三歩しか動いていない。林田が何をこらえているのかはっきりとはわからないが、これ以上近づくと、まともに話ができない気がして、足を止めている。
林田が続ける。
「そうよ、そこにいて。ずっと」
「俺があえて足を止めていると思うなら、進まなきゃいけない理由もわかるだろう」
「わかってるわよ。でも、いいの。このままで」
「よくない。僕の気持ちも考えてくれ」
「お願い。橋本」
いくらなんでも、二人が学校に四か月以上も留まり続けたなんて不自然だ。方法は暗示か催眠術かわからないが、きっと何らかの方法で林田姉妹を留めたんだ。健二郎があれからも色々調べてくれた。心の病気が遺伝しやすいことも、そう言う人が暗示や催眠にかかりやすく、その後も障害が残りやすいことも。健二郎の言うように、全部可能性の話だけど、僕はそれを聞いて否定する材料を何も持っていなかった。ただ、信じたかった。でも、あの日、林田姉妹と一緒に勉強をした日、確信に変わってしまった。そして今も、その確信を持って林田を苦しめながらも向かい合っている。だから、今からどれだけ苦しい目に遭おうとも、僕は行かなくてはならない。
「止められないさ、林田には。正直、まだ作戦は考え中だよ。でも、助けたいんだ。あの日みたいにソファーで横に並んで、座って、みんなで話がしたい」
僕は林田から視線を外して前のドアから教室を出た。
林田には木村と須藤が駆け寄ってくれた。よく僕たちの見えないところで待っていてくれたと思う。僕は振り返らず、職員室に向かって歩き出した。
「健二郎、」
「どうする?」
「多分、あの暗示は、かけ続けないと切れるんだ。一生近づけないようにしないとダメだ。罪には問えなくても、せめてこの学校からは追い出したい。健二郎、一生のお願い聞いてくれるか?」
「ハッシーのお願いなら一生聞くよ」
まだ午前中の放課後、この後は昼過ぎまで部活がある。僕と健二郎はその前に職員室に立ち寄る。
「国尾先生、どうしても最後にお礼が言いたいんですけど、ここでは何ですから」
僕がそう言うと、くにおちゃんは僕を人気のない理科室に案内した。
あの台風の日、くにおちゃんは、常日頃うっとうしいと思っているはっせんに対して異常に反省した態度をとっていた。僕は映画の影響で、学校全体が腐っていて、全体でミクのことを隠していると思っていたけれど、僕の勘違いだった。国尾先生が黒すぎる。あくまで仮説だけど、黒すぎる人は、自分を白く見せようとしすぎる。
国尾先生は理科室に入ってから奥の窓際に向かって歩いている。
「橋本くん、あなたには感謝してるわ。ケガまでして、私の大事なお人形を守ってくれたんだもの。あの感じだとその内、私の元に戻ってきてくれるでしょう」
「あんたのじゃないよ」
少しも油断できない。普通に刃物とか持っているかもしれないし、緑の光を当てて僕に暗示をかけてくるかもしれない。でもあんまり遠いと声が遠くなってしまう。できるだけ近づかないといけない。せめて出口を背にしておこう。
「あら、自分のものとでも言いたいのかしら。お熱いわね。どっちが好み?」
「僕と目を合わせるとかしゃべることがトリガーってヤツになってるんですよね?」
「よくわかったわね。さすがだわ」
僕はしゃべりながら考えている。少しでも、言葉を引き出す、動揺を誘う、ダメージを与える。怪我を代償に、こういう緊張した状態で考えながら話す能力をミクの時に鍛えられてよかったと心底思う。ただ頭の中ではずっとヤバい音が鳴り響いている。耐えろ。余裕なフリをするんだ。
「国尾先生のおかげですよ。先生が課題図書にチェンジリングをおすすめしてくれたおかげです。愛するお人形さんのお願いを聞いてあげたつもりかもしれませんが、おかげで大江健三郎にどハマりした友達がいたので。知ってましたか?『燃え上がる緑の木』なんて作品もあるらしいですよ。先生がお好きそうなので、ぜひ読んでみてください」
「はー、あんなお願い聞くんじゃなかったわ。私、本なんて全然読まないから」
国尾先生は実験用の机に腰掛けている。この距離なら大丈夫だろうか。何が来ても対応できる距離だろうか。
「先生の気持ちをわかりたいなんてちっとも思いませんが、何でこんなことするんですか?」
「うーん、そうねー、なんか動かないお人形じゃ物足りたくなっちゃって」
なんだ「お人形」って。人を何だと思っているんだろうか。
「長谷先生は証言してくれると思います」
「そうかしら、あの人、私に惚れてるみたいだけど」
「まさか、長谷先生にも?」
「そんなことしないわ。私、可愛いお人形にしか興味がないもの」
さすがに決定的な言葉は引き出せないか。
「じゃあきっと後悔しますよ。あの先生意外と生徒思いなので。確かに時間はかかるかもしれませんが、ここからは根比べでしょうね」
「あら、警察にでもなって私を逮捕しようとでも?」
「それもいいかもしれませんね。まー、警察だって信用できるかわかりませんが、先生、確認してきてもらえますか?」
「は?自主なんかしないわよ。第一何の罪に問われるって言うのよ」
「うちら、がんばって証言する!」
「私たちが傷つくのはイヤなんじゃないですか?」
ミサとミクが突然理科室に入ってきた。カッターナイフを突きつけ合っている。ミクも来てたのか。しかし、パフォーマンスにしても怖すぎる。木村と須藤も後ろで見てくれているから、大丈夫だろうけど。
「ダメよ!」
国尾先生が叫んだ。だいぶ動揺しているようだ。表情もかなり強張っている。しかし、ここまで動揺するとは、僕も予想していなかった。やっぱり犯罪者の気持ちはわからない。
「先生たちにも聞いてもらってます。一応録音も」
健二郎は僕がかけた電話を先生の前でわざと見つかり、つないでいてくれた。ヨネピーの前で携帯を鳴らすとは。さすがだ。
通話代は後で父さんに謝ろう。
「いいですよ。どれだけ粘ってもらっても。僕は諦めませんから」
と言ってやった。
国尾先生は何とか観念してくれたようで、ヨネピーと何人かの男の先生と一緒にどこかへ行った。
女子四人組が一斉にその場に座り込んだ。暗示の影響がどれだけあるかわからないので、女子四人には出来るだけ早くここから離れてもらうように言った。四人がゆっくり出ていくのを見て、僕もその場に座り込んでしまった。まだ頭がガンガンする。あれ以上続けていたら危なかった。
「ハッシー、大丈夫?」
「うん、ちょっと休ませて」
「ほんと、無茶するよ。どこまで作戦通りだったの?」
「録音をお願いしたところまで」
「え?じゃあ林田さんたちが来たのは?」
「あー、あれはラッキー」
「へ?うそ?」
「当たり前だろ?」
僕は天才じゃないんだ。
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