第44話 天才とメール2

「件名:林田ミサです」


「林田ミサです。先日はありがとう。」


書き出しから随分と固い文章だ。しかも、一行ごとに間隔を広く空けている。


「なかなか連絡できなくてごめんなさい。」


これは詩だろうか。確かに教科書の詩はこれぐらい間隔が空いている。


「母が退院しました。父も帰ってきて、」


「四人の生活に戻りました。」


「今度家に遊びに来てください。」


「本当にありがとう。」


「林田ミサでした。」


 メールをお手紙だと思っているんだろうか。メールはメールだ。レターじゃなくてメール。過去に母さんにも同じことを言った気がする。お手紙にしても感情がなさすぎる。嬉しいとか幸せですとか、それこそ顔文字を使ったっていいのに。

 まー、林田らしいといえば林田らしい。僕だって初めてメールする相手にはこんな文面になる。唯一感情が読み取れるのは最後の「林田ミサでした。」だ。ラジオじゃないんだから。これじゃ林田ミサで始まって林田ミサで終わっている。林田ミサ構文とでも言うんだろうか。このお便りだけでは本当に大丈夫か心配になる。しかし、本当に遊びに行っていいんだろうか。


 僕はすごく迷っている。これをメールとして、会話としてカジュアルに返信するのは難しくない。宛名も差出人も本文には含めず「いつがいい?」とでも送ればそれで済んでしまう。そうすればメールとはこう言うものだと言うことを、初心者にアドバイスできる。しかし、そうでなければ、この文面をお便りとして受け取ることになれば、返信には夕方までかかることになるだろう。

 待てよ。

 何で林田はメールに慣れていないんだろう。確かに林田ミサには自分のスタイルというものがあって、わざわざ他人に合わせて変えないという意志の強さがあってもおかしくはない。しかし、女子中学生がそれで大丈夫なんだろうか。好き嫌いだけで言えば、正直、僕はこの文面の虜なのだが、これは良くない気がする。林田は最近携帯を持ち出したんだろうか?少なくとも、盆踊りの日には、いや、あれだって家の電話だったのかも。


 僕は林田との距離を自覚した。あんなことがあったから、秘密を共有しているという点では、ある一定の関係性を築けているのかもしれない。さらに言えば、ミサとミクが時々入れ替わっていたということは、今まで僕が林田と過ごした時間は半減したと考えてもおかしくない。僕たちの中では「あの時はミサだったかミクだったか問題」は考えないというのが、暗黙の了解になっている。一番の問題は、相手が携帯を持っているか、いないかではなく、それを確認できる関係性を気付けていないということである。

 僕には林田にどうしても確認したいことがある。こうしてメールをもらうまでは、うやむやにしていたような問題だけど、もしかしたら、あの事件は、まだ終わっていないのかもしれない。どうか、僕の考えすぎであって欲しい。


この頃には、宿題はどうでも良くなっていた。

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