第43話 天才とメール

 八月二十八日。

 あれ以来、特に何もなく、ずっと保温されっぱなしのポットのように平和な日々を過ごしている。平和すぎて、部活にも身が入らないし、宿題も進まない。もう夏休みも残りわずかだというのに。

 今の僕に寄り添ってくれるのはリビングのソファーだけだ。


 あれから四日も経つのに、僕の頭の中には木村の「好きかも」がずっと居座ってる。なんだよ「かも」って。木村だって僕のタイプじゃない。本来なら相容れないというか、水と油とまではいかなくても、決して混ざり合うことのない、仕切られたパレットに出された絵の具みたいな関係だったのに。僕は自分が一人の女性を生涯愛するような純粋なヤツだと思っていたのに、心底がっかりしている。

 さすがに、切羽詰まってきた。前半遊びすぎたツケが回ってきたということかもしれないが、中盤が本当に予想外すぎたんだ。誰にも責められるようなことをした覚えはない。そんな脳内裁判の脳内被告が脳内容疑を脳内否認している。そんなことをしているから宿題が進まないんだ。閉廷。

 そういえば、健二郎はどうしているだろうか。あいつのことだから宿題も早々に終わらせて、家族と旅行にでも行っているんだろうか。もし暇だったら、僕の宿題手伝ってくれないだろうか。メールだけでもしてみるか。返信がなければ別にいいんだ。

 何も考えず「何してる?」とだけ送った。

 よし、メールが返ってくるまでに何問解けるか勝負だ。ただし、「新着メール問い合わせ」は反則行為とする。こんなものは気にしたら負けなんだから、負けてもタダでは転ばないことが大事なんだ。今考えたにしては、我ながら完璧な作戦だ。この作戦の唯一の欠点は返信が来ても来なくても、僕の宿題に活路が見えないことだけだ。

 少し経った。返信は来ない。いいのか?二ページ終わってしまうぞ。いや、いいのか。想定外に作戦がうまくいって混乱してきた。本来の目的を見失っている。きっと暑さのせいだ。僕だけに向いている扇風機が、何か言いたげだが、聞いてやらないことにする。


(着信音♪)

来た!


 ひっくり返った筆箱が無惨に床に転がっている。

 あれ?健二郎じゃない。知らないアドレスだ。携帯からウェブに飛ぶことなんてないのに、迷惑メールが来るようになってしまったんだろうか。これだから困る。このメールを開けばさらにひどいことになるんだろう。その手には乗らない。父さんになんて言われるか。

 しかし、意味のありげな文字列だ。

「misamiku.h.」

「ミサミクドットエイチ」?

林田?僕って林田のメアド知らなかったのか?

アドレス帳を確認する。

ハ行、二件、はっせん、母


メールはすぐに開かれた。

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