第42話 はっせんという男2

 何でこんなことになったんだ?

あの日はそう思った。学校に着くなり、生徒を追いかけ回さないといけないし、報告された異常はなかったし、挙げ句の果てには流血騒ぎだ。しかし、今はあの日の時間外労働に心底感謝している。

なぜなら、あの国尾先生と二人きりでお茶をしているのだから。

三十歳。休日でも決して肩を出さず、派手すぎないファッション。お化粧も濃すぎず、清楚な佇まい。そうかと思うと、ショートヘアーの毛先からちらりと覗かせる鍵の形のイヤリング。芸能人で言うと、そうだ、石田ゆり子だ。完璧だ。


「長谷先生、今回のことなんですけど、」

「あ、えー、大変でしたよねー。先生の生徒を守りたいというお気持ちは痛いほどわかりますが、しかし、さすがに生徒を勝手に学校で保護すると言うのは、越権行為と言いますか、学校を私物化しているとも言えますし、今回はけが人も出ましたから、お咎めなしとはいかないでしょうね」

「そうですよね。本当に出過ぎた真似をしたと思っているんです。ダメだなー、私」

落ち込んでいるな。何とか励まして元気になってもらおう。


「まあー、今後のことは後々決まっていくことでしょう。林田さんのお母様もご入院されてるみたいですし、ある意味、仕方ないと言えば、仕方のないことだったんじゃないですかね」

「あのお部屋のガラスも割れっちゃって、私の責任ですよね」

「いや、あれは木の枝で割れてましたから、決して先生が弁償しなければならないようなことはないと思います。ご安心ください。校長にも私から説明しますし、それで言ったら私も当事者みたいなものですから」

「そうですか。あの子たちのせいにならなくてよかった」

何と儚く、お美しいんだ。それでいて生徒の心配まで、お優しい。


「そういえば先生、先生のクラスの橋本くんが大江健三郎のことを聞いてきたんですよ。あの年にしては珍しい。さすが先生の教え子だ。ちなみに私も出ているものは全て読んでましてねー、いやー、さすがノーベル賞作家だ。先生は大江の他の作品も読んだりされるのですか?」

「ふー」

あれ、ため息をついてらっしゃる。ちょっとしゃべりすぎたか?


「先生?すいません、僕、」

「あー、私のお人形、」

「お人形ですか?人形?あ、もしかして『自動人形の悪夢』ですか?『静かな生活』の中の一つですね。いやー、さすがお詳しい。」

「たまに話しかけてくれる子もいるんです。変ですよねー、いい歳して。忘れてください」

そんな表現あったかな?本が語りかけてくるということか?何と素晴らしい、詩的な表現だ。この人は文学を愛しているんだな。俺との相性バッチリじゃないか。


「い、いえ、とても素敵なご趣味だと思います」

「こんなんだからいつまで経っても結婚もできないんですよね」


結婚?もしかして、今のはサインなのか?俺との将来を意識して?

窓の外を眺めて、哀愁たっぷりに。

ここで行かなければ男ではない。


「国尾先生!あの、こんなときになんですが、もしよければ、えっと、僕と、」

「私、この仕事辞めようと思ってるんです」

「え?」

「私には向いてないっていうか、お人形で十分だなってわかったんで。」

「はー、お人形、え?」

「では、私はこれで」


ミステリアスな人だ。

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