第41話 天才と木村2

 八月二十四日。

 夏休みもいつの間にか終盤。僕にはたくさんの宿題が残っている。木村との約束もその一つだ。というわけで、今、木村と待ち合わせをしている。学校の近くのファミレスを提案したのに、なぜか駅前のゲーセンの下の階のファミレスに決められた。自転車で十五分以上かかるからすごく面倒だけど、今回一緒に作戦に参加してくれた恩もあるし、どうしてもというなら仕方がない。

 普段通らない交差点に集合することになったので、迷って遅れないように早めに家を出た。予想通りではあるけど、全く迷うことはなく、かなり早く着いてしまった。信号を渡った先に薬局があり、お店の前が影になっているところがあるので、そこに自転車を停めて、サドルの上で木村を待つことにした。頭の包帯を隠すために、家にあった何のチームかわからない帽子をかぶってきたけど、駐輪場ではないからお店の人に見つかりそうになったらすぐ移動しようという心構えだ。

 少しして、まるでドラマにでも出てくるような、髪の長い、肩が出ている、上から下までつながった長いスカートで、キャップを深めに被った女の人が僕の前を通り過ぎて、薬局に入って行った。青リンゴ味の匂いがした。もしかしたら、いや、たぶん木村だった。一瞬だったが、髪を下ろしていて、底の厚いサンダルを履いていて、どうやら化粧をしているように見えたけど、木村っぽさがあった。あまりにも目も合わなかったので、声はかけようがなかったけど、僕には気づいたんだろうか。集合時間まではまだ十分以上あるし、別に時間通りに来てくれなくてもいいんだけど、薬局で何か買ってからくるんだろうか。早くこないかな。何で僕はソワソワしているんだろう。

 木村と思われる人が薬局から出てきた。横目に見ていたが、僕は百パーセントの自信があるわけではなかったので、声をかけてくるまで、待っていようと思った。


「ねえ、気づいてるよね?」

「あ、やっぱり木村?」

「早かったね」

「うん、この辺あんまり来ないから」

 何で彼女は少し寂しそうなんだろう?あんまり派手なメイクをする人は好きではないのだが、間近でこれだけしっかりおしゃれをした人を見るのは初めてなので、近くで見てみたくはなる。何か普通ではない引力のようなものを感じる。でも僕はあまり身長が高い方ではないし、底の厚い靴を履いてこられると自分が惨めになるから、サドルから降りずに、程よい距離感を保っている。もしかしたら地球と月はこんな感じに距離を保っているのかもしれないと思う。


「いこう」


 それ以上何も言ってこないので、とりあえず黙ってファミレスまで行こう。話はそれからだ。しかし、人のペースに合わせて自転車をこぐのって、しんどいな。健二郎とあんなに長い道のりを何とも思わずダラダラ走っていたのに、今は苦痛でしかない。健二郎もこんな風に思っていたんだろうか。こんな時にこそ、健二郎にいてほしいと思う。

 ほとんど一言もしゃべらず、ファミレスに来た。なぜだろう、二〇分自転車を漕いだだけなのに、もう足がプルプルしている。


「とりあえずドリンクバー、だけでいい?」

「うん」

 なぜ木村はいつものようにしゃべらないんだろう?体調が悪いんだろうか?そうなら早めに言って欲しい。こういう時は何を飲もうか。やっぱりメロンソーダかな。木村は炭酸の入ってないオレンジジュースなのか。コーラかと思ったのに、意外だ。

 二人とも席について落ち着いた。一回でメロンソーダを三分の二も飲んでしまった。鼻がツーンとなるギリギリだ。意外と喉が渇いていたことに気づく。何ならもう一回飲みたいぐらいだが、全部飲んでしまったら、もう一回取りに行ける気がしない。本当なら何杯も飲まないと勿体無いのに。

 さて、どこから話そうか。そうだ、とりあえず作戦の後、異常がなかったかどうか、確認しよう。


「あの後、大丈夫だった?」

「何が?」

「何が?って体調とか?」

「ハッシーこそ。血めっちゃ出てたよ」

「自分ではあんまりわかんなかったんだよね。必死だったっていうか」


 なんでこんなに会話がぎこちないんだろう?テンポが変というか、木村ってこんなに打ち返してくるみたいにしゃべるんだったかな。そもそも僕っていつも木村とどんな風にしゃべってたんだっけ?


「ミサとミクはあの後どうしたの?」

「一旦、俺の家で話して、風が落ち着いてから帰ったよ。もっと混乱するかと思ったけど、みんな結構落ち着いてた」


 少し嘘をついてしまった。何で僕は悪いことをしていたわけでもないのに、正直に言えないんだろう?確かに、みんな戸惑って、泣いたり、一生の恥になるようなことを大声で言ってしまった人もいたけど、そのあとはみんな笑顔で帰れたんだ。何も悪いことはしていない。


「あ、電話とメールはごめん、サイレントモードだったんだ。って言ったっけ?」


 木村はため息をついた。あれ?怒っていたわけじゃないのか?わからない。今日のことに関してはあの後のことについて話すだけだと思っていたから、別に作戦なんか用意していない。そうだ。それでいいんだ。話すんだよ。カッコつけてないで。あれ?僕は今、カッコつけているのか?なんで?

 なぜか僕は行ったことないけど、なんだか宇宙を漂っているような、でも決して気持ちよくはない、ふわふわした空間にいる感じがしている。どうしたら地上に降りたてるんだろうか?

ダメだ。考えよう。本気で。違和感しかないんだ。こういう時は考えないといけない。この状況をどうするか考えよう。

 こんな大事な時に頭に浮かんだのは、稲垣キャプテンではなく、主人公が、女の子を変に怒らせて、うまく話せていない場面だった。

え?今の僕って、もしかして、こうなのか?

あー、はい。わかりました。


「木村、ゲーセンいこう」

「え?」


 無理も無い。僕だって「え?」って思う。でも、しょうがない。僕がありのままでいるには、何かに夢中にならないといけない。あの時、兄ちゃんに一千円払わなくて本当によかった。


 それから千円札を崩して、三つか四つゲームをした。このお金があれば、焼きそばも、たこ焼きも食べられるのに。そう思いながら、コイン投入口に百円玉を入れていく。僕にお金がないんじゃ無い。ゲームが高すぎるんだ。本当にいい加減にしてほしい。

 でも、木村の表情がいつものように明るくなってきた。決して暗かったわけじゃなかったけど、いつものヘラヘラした感じを取り戻してくれて、少しずつ居心地が良くなってきた。そうだ、僕は緊張してたんだ。やっと酸素が入ってきた。原因を相手に求めるのは良く無いかもしれないけど、今日の木村は僕をブラックボールに連れてきたんだ。そんな神秘的な、特別なところに行けなくていいから、僕は公園で、学校で、君の意味のない、中身のない話を聞いていたいんだ。


 一通り遊び倒して、僕の財布は空っぽになった。まさに僕の底を見せたような感じだ。僕はそのことに千八百円も払ったとは思いたくないが、自分が正直になることにそれだけお金がかかるということは、いい勉強になったと思うことにする。


 施設内の静かな階段に座って休憩する。ゲームセンターのうるささから遠ざかって、夏なのに蝉の声も聞こえない。


「ハッシーって、ミクのこと好きだったんだね」

「うん、そう」

「それって、今も?」

「わかんない。あんなことがあって、もう一回ミクに会った時にどう思うか、自分でもわからない」


 なんだよ。あの時の会話、誰かから聞いたのか。別にそこを追求する気はないけど、知ってたならそれは言って欲しかった。急に千八百円が惜しく感じてきた。


「初めてゲーセンでこんなに遊んだ」

「うちも」

「そうなの?意外」

「うち、ハッシーのこと好きかも」

「え?」

「でも、全然うちのタイプじゃない。背も高くないし、イケメンじゃないし、かっこよくない。でも、なんかいいよ、ハッシー」


「かも」はずるい。その後の攻撃も絶対に要らなかったと思う。そんなの自分が一番わかってる。それに、最後の「いいよ」ってなんだよ。イケメンじゃないことは確かだけど、僕は今、どんな顔をしているだろう。


「木村、これからさー、大変だと思うんだ。ミサもミクも。だから、でも、仲良くしてあげて欲しい。助けてあげて欲しい」


 今日これだけは言おうと思っていた。一時はどうなることかと思ったけど、何とか言えてよかった。

 木村は、「当たり前じゃん、普通に」とヘラヘラしていた。


 僕の夏休みの宿題が一つ終わった。

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