第21話 天才とある姉妹

 僕は小学校の頃の思い出があまりない。そんなに印象に残っている出来事が少ないのかもしれない。なかなかできなかった逆上がり、二五メートル泳げなかったプール、いじめられた外階段。覚えているのはくだらない、忘れたい記憶ばかり。誰と遊んでいたとか、どんな遊びをしていたとか、楽しかった想い出ほどなぜか記憶の奥底にしまいこまれている。

 それが今、やっと出てきた。小学校二年の頃、僕はとある姉妹とあの毎年盆踊りをしている公園で遊んでいた。放課後は毎日学校が終わったら、一度家に帰って、ランドセルを豪快に放り投げて、それこそ、妹のちかねちゃんがやってるみたいに。あれはきっと僕の影響なんだな。

 あの公園までは家から走って五分もかからない。そこに行けばいつも当たり前のようにそっくりの二人がいて、三人で一緒に遊んでいた。色んな種類の鬼ごっこ、缶蹴り、タイヤのブランコ、ブランコからの靴飛ばし。


って呼びやすいよね。私はだからちょっと似てるし」

「はしも!」

「似てないよ。ミサとミクの方が似てるよ」

「私たちは姉妹だもん。ねーミク?」

「はしも!」

「ははっ。ミクはだからて呼ばないと」

「はしもとくん!」

「呼べるじゃん!えらいよミク!」


 いつからか男子と女子は遊びの種類が変わって、一緒に遊ばなくなった。それ以来学校で見かけて話したり、何か物を貸し借りすることはあったけど、遊ぶことはなくなった。でも林田姉妹は間違いなく僕の友達だった。

 人の名前をろくに覚えられない母さんが林田の名前を覚えているのだって、小学校で一番最初にできた僕の友達だからなんだ。母さんはそういうのだけは忘れない。だから母さんは一番最初にアイツの違和感に気付いたんだな。

母さんって、すごいんだな。

そうだ。そんな人は自分の子供の名前を間違えるわけないんだ。


ーーーーーーーーーーーー


「ちょっとお母さん、今ミクちゃんって言いましたよね?」


全体が凍りついたように静かになった次の瞬間、アイツは顔を真っ青にして闇の中に駆け出した。


「健二郎!追いかけるぞ!」


 僕はアイツの後を追って走り出した。


 そうだ。林田は小学校の頃、僕のことを橋本と呼び捨てにしていた。なのに中二になって話すようになってからはなぜか橋本くんと呼ぶようになっていた。なんとなく不思議に思っていたけど、ドラマにでも影響を受けたんだと思ってあまり深く考えていなかった。何でもっと早く気づけなかったんだ。僕のことを橋本くんと呼ぶのは今のアイツだけだ。


なんてスピードだよ。さすが陸上部だ。でも、残念ながら僕も陸上部なんだ。


百メートルほど走ったところで、アイツの背中に追いついた。

ちょうど木舟神社の前だ。

神社の大きな木の葉っぱの隙間からわずかに月明かりが差している。

僕は後ろからアイツを引き止めた。


「お前、林田じゃないだろ。誰だよ」


アイツは足を止め、ゆっくりとこちらに振り向いた。

アイツの目には涙が溢れていた。


「お前、もしかしてミクか?」

「橋本くん、うち一人じゃ、もうどうしようもない。助けて」


アイツは気を失ったようにその場に倒れ込んだ。


 僕はすぐに駆け寄った。僕がアイツとして挑んでいた相手は林田ミサの妹のミクだったようだ。しかし、見た目はどこからどうみても林田ミサだ。理解が追いつかない。夢なのか?いや、夢でも見た気がする。何が起こっているんだ。とりあえず息はしている。顔は薄暗くて色がよくわからない。


 少しして健二郎も合流し、とりあえずミクが中身のミサを家まで運ぶことにした。


ミクが中身のミサを運んでいる途中、街頭に照らされた二つの人影がこちらにヨタヨタ歩いてくるのが見えた。

半泣きの木村と須藤だった。


「ハッシー、やばいかも」

震えた声で木村が言った。


 木村が言うには、僕たちが走り出した後、林田のお母さんが急に叫び出して座り込んだらしい。すぐにご近所さんが気づいて、家までは連れて行ってくれたそうだが、これはミクがいなくなってから二回目だという。その時は林田のお父さんがいたが、今は関西に単身赴任していて、月に一回帰ってくる程度らしい。


「ちょっと待て。ミクがいなくなった?」

「うん、もう、うち、わけわかんなくて」


 本当に訳がわからない。とりあえずこの場は、これ以上誰も混乱させるべきじゃない。僕は電話で母さんに一旦林田を預からせてもらえるように頼んだ。母さんも混乱していたが、僕たち兄弟がリビングのソファーに寝ることを条件にOKしてくれた。しかも、兄ちゃんが迎えにきてくれるらしい。兄ちゃんごめん。


 兄ちゃんが合流した時点で、とりあえず全員にラムネを配って解散させた。

 明日みんなに何て説明しよう。


 兄ちゃんが中身がミクのミサをおんぶして家まで運んでくれている。

「なんか、大変そうだな」

「うん。なんか、頭がぐちゃぐちゃだよ」

「大丈夫。お前は天才だから」

と兄ちゃんが言う。

「僕なんて普通だよ。いや、友達を大事にできないゴミ野郎だよ」

「ダッサ。ゴミ野郎を天才やと思ったわしはもっとダサいな」

「いや、そんなこと、」

「そういうことじゃろ」

「ごめん、兄ちゃん。色々」

「今度ワンピース全巻買ってくるわ」


 僕は漫画の話ばっかりしている兄ちゃんをかっこいいとは相変わらず思わなかったけど、頼りになる良い兄を持ったなと思った。


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