「ホテルセリーヌ」の建物は2階建てで、1階はガレージで2階が客室と言う構造になっており、昔のラブホに多かったモーテルタイプだった。

 開きっ放しのガレージ横から各客室に直接上れる階段もあるが全て鍵がかけられており使えないらしい。

 中に入れるのは俺達が今いる外階段だけで、営業していた頃はホテル従業員が業務で使うものだったようだ。

 Cもおそらくここを駆け上がっていったはずだ。


 階段を昇り2階に着くと、先頭のBのヘッドライトが、人がすれ違うためには体を横にしないと難しい程に細い通路を照らし出している。

 ただ、通路の最奥までは光が届いておらず、5m程度先までしか見渡せない。

 従業員通路から各客室に入る入口扉は全て撤去されているようで、左側にぽっかりと等間隔に客室入口が暗く口を開けている。


「何か、静か過ぎないか? Cの声も、立てる物音も全然聞こえない……」


 俺の後ろに続いたAが、そんな疑問を漏らす。

 確かに、俺達が発てる足音以外に聞こえてくる音といえば、周囲の藪から聞こえる虫の鳴き声と、時々前の国道18号線を通る車のゴォーっという通過音だけだった。


「この通路に扉はないけど、ガレージから上がって客室に入るところの扉は付いてる。そこが閉まってたらCの発てる物音は聞こえづらいよ」


「B、ここに来たことあんのか? やけに詳しいじゃないか」


 俺はそう疑問を口にすると「就職したばかりの頃、ここの電気設備を外す手伝いに来たことがある」とBは返答した。


「知ってると思うけど、ここ、普通に設備が時代遅れになって流行らず破綻しただけなんだ。今の物件所有者が筋者って噂もあるみたいだけど、実際に今所有してるのは債権者だった普通の団体さ。そこの依頼だったよ」


 そう言いながらBは一番手前の従業員入口から客室に入って行く。


「とりあえず、2階の部屋を端から見て回ろう。本当は手分けしたいとこだけど、スマホのライトだけだと危ないだろうから一緒に回ろう」


 Bの後ろに着いて俺とAも従業員入口に入る。


 従業員入口をくぐると右手にガレージに通じる階段があり、左手に客室に入る扉があった。

 Bが客室の扉を開けて中に入ったが、扉は建付けが悪くゆっくり閉まろうとする。俺の後ろを進むAは扉を手で留めながら入る。


 客室の中は荒れ放題だった。

 窓ガラスは投石でもされて割られたのか床に全て落ち、外からの風が直接室内に入って来る。

 雨も当然吹き込むのだろう、室内はカビ臭さがこもっている。

 ベッドルームの横は広めの浴室になっており、入浴しているパートナーの姿がベッドから見えるように広く大きな窓になっている。おそらく営業していた頃はその窓にマジックミラーが嵌められていたのだろうが、今は取り外されており、広い浴室に無造作に突っ込まれた什器のガラクタが寒々しい。

 ベッドのカビたマットには、妊婦の落書きが描かれていた。


「ここには居ないな。次行こう」


 Bがそう言って部屋から出ようとするので俺も後に続いて客室を出る。


 客室を出た直後に後ろでバタンと扉が閉まる音がしたので振り返ると、俺の後ろに続いている筈のAの姿が見えない。


「ちょっと待ってくれ、Aがまだ客室にいるみたいだから呼んでくる」


 俺はそうBに伝え扉を開けて客室に戻ると、Aはベッドの前に立ち、スマホのライトを掲げながらマットに描かれた妊婦の落書きを一心不乱に見つめるように無言で佇んでいる。


「何やってんだよ、落書き見てる場合じゃねーって!」


 俺が後ろからAの手を掴んで引っ張ると、Aは一瞬ビクッとして「みおっ!」と叫び、素早く俺の手を振り払い、前に飛びすざった。Aはそのため危うくカビ腐れたベッドに倒れそうになったが、辛うじてバランスを取った。


 Aの大袈裟な反応に俺は驚いた。突然叫んだ言葉も意味不明だ。


 だが、俺が急に後ろから声を掛けたのが悪かったと思い「ああ、悪い」とAに言うと、Aはじろりと俺を睨んだ後で背を向け、また無言でベッドに描かれた妊婦の落書きに目を落とした。


 無視されたのはちょっとムカッとしたが、こんなところでケンカをしても仕方がない。

 俺は今度はゆっくりとAの横に回り込んだが、Aは俺のことなど全く無視して目線を妊婦の落書きから動かさない。


 俺は少し躊躇したが、動こうとしないAの肩を掴んでゆっくりと方向を変えた。


 Aは意外にも怒りも抵抗せず、俺にされるがままに向きを変えた。だが、心ここにあらずといった感じで、やはり自分では動こうとしない。


 俺は仕方なく、そのまま後ろからAの背を押して部屋から出そうとした。


 Aは俺に押されるがままで、いつの間にか音もなく閉まっていた客室扉を開けようともしないので、俺が客室扉を開けてAの腕を掴み従業員通路まで引っ張り出した。


 従業員通路で待っていたBは「A、大丈夫か? 具合悪いなら車に戻ってていいぞ」とAに言った。

 ヘッドライトの光量では顔色まではわからないだろうが、Bも何かAの様子に違和感を感じたらしい。


 Aは少し微妙な間をおいてから「……や、ちょっと妊婦の落書きが気になっただけだから……平気だって」とぼんやりと返事をする。


 俺とBはそんなAの様子が腑に落ちなかったが、A本人は車に戻るつもりがないようだった。

 仕方なさそうにBは「……なら、次行くぞ」と言って次の部屋に入って行く。

 俺が続くとAも続いた。


 次の部屋の中にもCの姿は無かった。


 Aは、またその部屋に描かれていた妊婦の落書きを立ち止まって食い入るように見つめていたので、室内を確認した後で俺とBは自分で動こうとしないAを部屋から引っ張り出さなければならなかった。

 Aを部屋から連れ出すのに、建付けの悪い扉がいつも音もなく閉まっているのが本当に鬱陶しかった。


 次の部屋にも、その次の部屋にもCの姿は無く、俺とBは少しうんざりしてきた。


 どの部屋も荒れ放題なのは変わらず、窓ガラスも外されむせ返る程にカビ臭く息をするのもおぞましいのに、Aは必ず妊婦の落書きを見つけると俺達のことなどは全く意識から消えたかのように食い入るようにそれを眺めるので、そんなAを引っ張り出すのにも体力を使ってしまう。


 4番目の部屋でやはり妊婦の落書きをじっと見つめているAを尻目に、俺とBはまた音もなく閉まった扉を開けて先に従業員通路に出た。


「Aもどうしたんだろうな……」と俺が小声で呟くと、Bは「Aもさっき頭打ってるからな……C程じゃないけど、やっぱ早く病院連れてった方が良さそうだ」と答える。

 俺とBは、先に2人で他の部屋を確認することにした。

 まだ妊婦の落書きに目を奪われているAにそのことを伝えると、Aは「……わかった」とこちらも見ずに返答したので俺は「Cを見つけたら来るからな。あんまり勝手に動かないでくれよ」と言ってBと共にその部屋を後にした。


 部屋を出て従業員通路に戻り部屋を振り返ると、また扉が音もなくスーッと閉まっていく。


「ここ、年月が経って建物が傾いてきてるからな、ナチュラル自動ドア化してんだよな」


 Bは扉が閉まる様子を見てそう言ったが、俺は徐々に不気味に感じてきていた。


 例え謂われがなくとも、やはり深夜の廃墟は人の恐怖心を煽るものなのだと実感がわいた。






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