第30話 伊波キッチン
クッキーを売り始めてから三時間ほど経ち、時刻は午後五時を回った。
学校や仕事が終わった人たちがなだれ込み、商店街は一気に活気づく。
うちの店も例外ではなく、視聴者の来店が爆発的に増加。
その結果――。
「い、伊波さん! 本物の伊波さんですよね!?」
「あっ。は、はあ。そう、ですけど」
「きゃぁああああああ!!」
……何で叫ぶんだ。
「わっ! 生伊波さん! すご、デカッ!」
「あぁ、はい。どうも……」
「きゃぁああああああ!!」
だから、何で叫ぶ。
「伊波さん! あっ、あっ、伊波さん! 伊波さん!!」
「……は、ははっ」
「きゃぁああああああ!!」
頼むから日本語を喋ってくれ。
……とまあ、高校生以上の女性客が多く、なぜか俺を見て一様にキャーキャーと喚く。
カップルチャンネル扱いされた結果、若年層が劇的に増えたことは数値として理解していたが、こうして実際に見せつけられると難しい気持ちになる。推してくれることは嬉しいのだが、そういうアイドルみたいな持ち上げられ方は性に合わない。
「……ふんっ」
「な、何ですか? どうしました?」
「べっつにぃ? よかったね、女の子に人気で」
不機嫌オーラたっぷりのハクさん。
そんなこと言われても仕方ないだろ。向こうが勝手に騒いでるんだから。
「伊波キッチンが人気だから、ついでに俺も注目されてるだけです。うちのチャンネルが伸びたのは間違いなくハクさんのおかげなので、俺の人気はハクさんの人気と言っても過言じゃありませんよ」
最近、伊波キッチンの登録者が30万人を突破した。
ここのところ目立った活動もしていないのに、この異常な伸び。
それは切り抜き等が拡散され続けているのもあるが、ハクさんが猫宮さんのアパレルのモデルとしてちょこちょこ活動し、SNSでバズっていることが大きい。そこからうちのチャンネルに辿り着いて、チャンネルを登録するという流れである。
「私の人気とか、そんなのはどうでもいいの! 伊波がキャーキャー言われてるのがモヤるの!」
「どうしてですか?」
「どうしてって……じ、自分で考えて!」
フンと鼻息を荒げ、「休憩してくる!」とどこかへ行ってしまった。
女性は難しいな。まるで意味がわからない。
まあでも、別にいっか。
さっきの人で、用意してたクッキーは全部売れたし。
これで店じまい。視聴者との交流会まで時間もあるし、俺も少しゆっくりとしよう。
「ふぅー……」
椅子に座って息をつき天井を仰いだ。
――売れた。
俺の料理が。全部。何事もなく。
とてもいい気分だ。
清々しくて、心地いい。
「……あの」
低い男性の声に、俺はぼーっと手放しかけていた意識を引っ張り戻してすぐさま立ち上がった。
そこにいたのは、帽子を目深にかぶった老人。
素人目にも高級そうなスーツを身に纏っており、手に持った杖も何だかオシャレだ。
「その……配信を見て来たのだが、クッキーはもう無いのかな……?」
てっきり道でも聞きに来たのかと思ったが違った。
配信って、この人いくつだ?
六十……いや、七十は過ぎてそうだけど。そんな年齢の人まで見てるのか、うちのチャンネル。十中八九、ハクさん目当てだろうな。
「すみません。さっき売り切れちゃいまして」
「……そうか」
帽子のせいで、顔はよく見えない。
だが、その声音は残念さを隠そうともせず、しゅんと沈んだ雰囲気をかもし出す。
……妙な感じだ。
この雰囲気、既視感がある。
どういうわけかそこはかとなく、
「あ、あの、ちょっと待っててください」
老人の一言残して、俺はキッチンに走った。
アイシングで飾る途中に割れてしまい、陳列されることのなかったクッキーたち。それらを持って、老人のもとへ戻る。
「失敗作でもよければ、一枚どうぞ。お代は結構です」
「……いいのかい?」
「はい。ただし、他の人には内緒でお願いします。欲しい人全員に配るほどの量はないので」
それにこれは、ハクさんがあとで自分のおやつにすると言っていた。
もし全て配ってしまったら、絶対にへこんでしまう。
「ありがとう。……じゃあ、一枚もらうよ」
と言って老人は、嬉しそうにクッキーを手に取った。
口へ運び、味わう。じっくりと、人生最後の食事かのように。そしてしみじみと、「美味しい」と漏らす。
「これは、あの子が作ったのかな……?」
「ハクさんですか? 型抜きと仕上げのアイシングは彼女がやってくれました。すごく器用でいい仕事をしてくれます」
「……そうか。
よかった?
妙な返事に一瞬思考が固まるが、次にまばたきをした時には老人の姿はなかった。
忽然と、風のように。
杖を持っていたところを見るに足が悪く上手く歩けないはずなのに、右を見ても左を見てもいない。
……幽霊、だったりしないよな。
やめてくれよ。オカルト系は苦手なんだから。
「……ん?」
サンプルとして置いていたクッキーの袋が視界に入り、俺はあることに気づいて眉をひそめた。
袋の中身は、今朝配信で作ったクッキーたち。
透明の袋の中には、俺の顔に混じって老人が一人。それは、ハクさんの殺し屋の師匠。
この人、さっきの老人とそっくりじゃないか……?
い、いや。まさかな。
「うぅー……伊波ぃー……」
「ど、どうしたんですか!?」
休憩に行っていたはずのハクさんが戻って来た。
なぜか、涙目と涙声を携えて。
「……お肉屋さんに行って、伊波の唐揚げを買おうとしたの。そしたら売り切れって言われて……う、うぅ……私も食べたかったよぉ……」
「あぁ……そういうことですか」
来てくれた人全員が買えるようにって、あの精肉店の店主、メチャクチャ気合入れて鶏肉仕入れてたのにな。まさかこの時間で全て売れてしまうとは。レシピ考案者としては嬉しいが、これから少なくない人数が買えなくなることを思うと微妙な気持ちになる。
「美味しいものは他にもたくさんあるので、一緒に見て周りましょうか。あと、ハクさんのクリスマスプレゼントも買いましょう」
「プレゼント!?」
「何でも好きなものを言ってくださいね」
唐揚げが食べられなかった悲しみから一転、ハクさんはわーいと喜びいっぱいに笑みを浮かべた。
◆
午後十時過ぎ。
クリスマスイベントが終わり、交流会も問題なく終了。
俺とハクさんは、たくさんの差し入れが詰まった紙袋を両手に持って帰宅した。
「うーっ、寒い寒いっ。早くコタツ入ろー」
「温かい飲み物作るので、先に休んでてください。何がいいですか?」
「ココア! 今日買ったマグカップに入れて!」
「はいはい」
クリスマスプレゼントとして購入した、白い猫のマグカップ。
今日からハクさん専用として、うちに置くらしい。
考えてみたらこの人、毎日うちに来てるのに私物を一つも置いていなかった。今度、箸とか茶碗でも買いに行こうかな。
「どうぞ、ココアです」
「ありがとう!」
二人で並んでコタツに入って、熱いココアを飲む。
はぁー……美味い。
俺の方は軽くブランデーを入れたので、余計に身体がポカポカする。
今日一日の疲れが溶けてゆく。
「視聴者の皆、伊波のクッキー美味しいって言ってたね」
「ですね。買えなかったって泣いてた人もいたのが、ちょっと気掛かりですが……」
「次やる時は、もっとたくさん作ればいいんだよ。余っちゃうくらいたくさん!」
「……はい」
「もちろん、私も手伝うよ! んで、余ったのは全部ハクさんが美味しく食べちゃう!」
マグカップで指先を温めながら嬉しそうに語るハクさん。
その横顔が眩しくて、俺は目を細めた。
ふと、彼女と目が合う。
恥ずかしくなって視線を逸らすも、「どうしたの?」と首を傾げる。
「あぁいや……ありがたいなぁって思って。俺一人だったら、今日のイベントに参加することはなかったですし。そもそも、猫宮さんに誘われてすらなかったと思います」
「そうかな?」
「そうですよ。ハクさんのおかげで数字が伸びて、たくさんの視聴者がついたおかげです。全部全部、ハクさんのおかげなんです。ありがとうございます」
そう言うと、ハクさんは得意そうな顔をした。
ココアを一口飲んで、ぷはっと熱い息をつく。そして横目にこちらを見て、あどけなく白い歯を覗かせて身を寄せ、俺の肩に頭を乗せる。
「褒めてくれるのは嬉しいけど、私は別に何もしてないよ。頑張ったのは伊波。そこは忘れないで」
「そんな、俺は別に……」
「ずっと料理を頑張ってきたのは伊波で、自分のお店がダメになっても料理を手放さず諦めなかったのは伊波だよ。私はただ、美味しいって食べてるだけだもん」
そっと、彼女は俺の手を取った。
指先を撫でて、指と指の間に触れて、優しく繋ぐ。
汗ばむほどに熱く、心地いい。
「だから、伊波はすごいし、とっても偉いんだよ。私ね……ずっと辛かったけど、今は毎日楽しいんだ。全部全部、伊波のおかげだよ。ありがとう」
すぐ耳元で鳴る、涼し気で甘い声。
彼女の温もりと重さ。
安心する匂い。
それら全てが、俺の心を緩ませる。
今日に至るまでの何もかもが。
そして、彼女との日々が脳裏を駆けてゆく。
「……っ……っっ……」
「ん? あれ、伊波泣いてる?」
「なっ……いて、ませんよ……っ」
「いや、泣いてるじゃん! ど、どこか痛いの!? 寒くてお腹壊しちゃった!?」
「だから泣いてませんって! 大丈夫です! 本当に大丈夫ですから!」
全力で俺の顔を覗き込もうとするのを阻止しながら、何とか出そうなものを引っ込めて服の袖で顔を拭った。……柄にもなく、恥ずかしい。俺、結構疲れてるっぽいな。慣れないことしたからか。
「あっ、そうだ! 伊波にいいものあげるー!」
「いいもの?」
のそのそとコタツを抜け出して、部屋の隅の紙袋を手に取った。
あれは確か、今朝持って来ていたやつだ。
「じゃじゃーん! はいこれ、私からのクリスマスプレゼント!」
そう言って出したのは、黒い布の塊。
……何だ、これ? ん? ……あっ!
「エプロン! え、これ手作り!? ハクさんが作ったんですか!?」
「うん。猫宮に教えてもらってさ。どう? 結構上手じゃない?」
「はい、すごく上手です。……うわっ。しかもここ、『伊波キッチン』って刺繍入ってるじゃないですか!」
「気づいちゃった? ハクさんはセンスがあるから、そういうところでオリジナリティを出しちゃうわけよ! ねっ、着けてみて! ほらほら、早く!」
急かされながら、エプロンを装着する。
とても嬉しい。ぶっちゃけ、かなりテンションが上がっている。
もしかして、ここのところよく猫宮さんのとこでモデルしてるのって、エプロンを教わる代金だったりするのかな。あの人のことだ、あり得る。
……にしても、ちょっとまずいことをした。
向こうは手作りのエプロンで、俺は市販のマグカップ。
まるでつり合いが取れていない。
来年はもう少し何か考えよう。
「おぉー、いいじゃん! 似合うよ伊波! うん、最高!」
「そ、そうですか? へへっ……ありがとうございます」
刺繍以外は至って普通のエプロン。
だが、何を作っても美味しくできそうな、そんな根拠のない自信が湧いてくる。ハクさんが常に背中を押してくれているような、そんな気がする。
「次の配信からそれ使ってよ! 皆にハクさんが作ったって自慢しちゃって!」
「……」
「どうしたの、伊波?」
「……いや、これは使いません」
「何で!?」
くわっと目を剥くハクさんに、俺は微笑みかけつつエプロンを取る。
「借金を返し終わって、また新しくお店を始めるまでとっておきます。その方が、頑張ろうって気持ちになりますし。その時までにハクさんも自分の分、作っておいてくださいよ。お揃いのエプロン着けてお店に立ちましょう」
「っ! う、うん! そうしよ! それ、絶対楽しい!」
花が咲いたように笑って、ハクさんは鼻息を荒げた。
今からお揃いにしてもいいが、ハクさんには新品のエプロンを買ったばかり。それを放置して新しいものを身に着けるのは、彼女も心苦しいだろう。
「せっかく綺麗な刺繍が入ってるので、店名もそのまま『伊波キッチン』にしちゃいましょうか」
「ってことは、視聴者さんもいっぱい来て繁盛しちゃうね!」
「お客さんになってもらえるよう、これからも頑張らないと。ハクさん、手伝ってくれますか?」
「もっちろんだよ!」
と、胸を打ったところで。
――ぐぅううううううう。
商店街で山ほど色々と食べていたはずなのに、ハクさんの胃袋は空腹を告げた。
彼女はお腹をさすりつつ、へへっと照れ臭そうに笑みをこぼす。
「じゃあ、今から唐揚げ、作っちゃいましょうか」
「唐揚げ!?」
「こんなこともあろうかと、材料を用意しておいたんですよ。ケーキも買ってあるので、クリスマスパーティーをしましょう」
「やったー! やろやろー!」
キッチンに移動して、冷蔵庫を開く。
鶏肉を切って、漬けダレにどぼん。
しばらく放置して、薄力粉と片栗粉をまぶし油に投下。
じゅぅー。
じゅわじゅわ。
気持ちのいい音が鼓膜を揺らし。
隣のハクさんもまた、待ちきれないと言った顔で銀の髪を揺らしていた。
――――――――――――――――――
あとがき
ということで、第2章完結です。
「Sideハク」で締めようと思って一応書いたのですが、蛇足感が強くて消しました。
本作はカクヨムコンテスト投稿用に書いたものなので、一旦ここで一区切りとします。「配信×グルメ×殺し屋×ラブコメ」とニッチな話だったと思いますが、思ったよりずっと多くの方に読まれて嬉しいです。ここまでお付き合い頂きありがとうございます。
面白かったら、レビュー等で応援して頂けると執筆の励みになります。
よろしくお願いいたします。
また、本日より新作のラブコメを連載し始めました。
タイトルは『カッコいいしかない親友の王子様系女子、俺に可愛い義妹ができてから様子がおかしい(https://kakuyomu.jp/works/16817330668330007208)』。ダウナー系ヒロインと甘々じれじれなお話となっておりますので、是非手に取ってみてください。
それでは、よいお年を。
【二章完結】仕事ですか? 毎日俺を殺しに来る女に飯を食わせる配信で稼いでます 枩葉松@書籍発売中 @tokiwa9115
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