第24話 暑くなってきちゃったね
ハクさんの手が借りられないので、俺一人で夕飯の支度を片付けた。
ひと段落したところで、リビングに戻る。
「ハクさん、起きてます?」
「んぅー? んー……ふふー……」
テーブルに顔を乗せてくつろぐハクさん。
その表情は今にも溶けて流れ落ちてしまいそうで、普段の凛としたクールなルックスが見る影もない。
「伊波も座りなよぉー。こたつ、気持ちいいよー」
「ええ、はい。それじゃ失礼します」
と、ハクさんの向かい側に腰を下ろそうとするが……。
バタバタと足を動かして、ハクさんは俺が座るのを邪魔する。どういう悪戯だろうかと首を傾げると、彼女は自分の隣を叩いて座るように促す。
「んっ」
「いや……んっ、じゃなくて。コタツ布団があるので、そっちに座ると狭いですよ」
「んーっ!」
バシバシ。
早く座れと、銀の瞳は語る。
「撮影するわけでもないのに、隣に座る必要あります……?」
「……ね、熱が逃げちゃうし。二人だったら温度も二倍だよ」
焼け死ぬわ。
でもまあ、女性って寒がりが多いって聞くしな。
実際エアコンも壊れてるし、ハクさんも身体が冷えるのだろう。俺を置いて隙間を埋めたいと、そういうことに違いない。
「じゃあ、もうちょっとそっちに寄ってください。……あ、はい、それで大丈夫です」
撮影時もこうやって並んで座るが、今日はコタツの範囲内に身体を収めなければいけないので、必然的に肩や腕が当たってしまう。これはよくないと俺は極力距離を取ろうとするのだが、なぜか向こうはじりじりと寄って来る。
……やっぱり寒いのか? だったら仕方ないか。
「それはなに?」
「みかんです。コタツといったらこれなんですよ。ハクさんの分も剥くので、一緒に食べましょう」
「わーい」
ヘタの部分を下にして、中央のヘソのようなところに親粒を押し込む。ベリベリと剥いて……っと、よしできた。
「どうぞ。もう食べられますよ」
「んぁー」
「い、いや……あの……」
「あーっ」
「……」
餌を待つ小鳥にヒナのように、口を開けるハクさん。
まったく、仕方ないな。
「じゃあ、はい、口開けてください」
「あー……んっ、んぅ? んーっ! うまーっ! 酸っぱ甘くてうまーっ!」
テーブルに突っ伏したまま、ハクさんは幸せ満開の笑みを浮かべた。
もちゃもちゃと咀嚼して、もっとくれと口を開く。……何だこの可愛い生き物。
「次は私が食べさせてあげる。伊波、口開けて?」
「いや、俺は自分で――」
「はいっ、あーん」
おかゆを食べさせてもらった時のことを思い出す。
非常に恥ずかしいが、厚意を無碍にするわけにもいかず、大人しく受け入れた。
口に入れた瞬間、鼻に抜ける柑橘の香り。
噛むと果汁が弾け、心地のいい甘酸っぱさが広がる。
うん、美味い。
コタツに入りながら、ってのがまたいいな。
「……へへっ、えへへっ」
「ど、どうしました?」
「こうやって二人でダラダラするの、楽しいなーって。ずっとこのままがいいなぁ……」
ジッとこちらを見上げて、白い歯を覗かせた。
コタツ布団の下で、ハクさんの手が動く。俺の手の上に重ねて、じんわりと浮かんだ汗をにじませる。
『……い、一生一緒でも、いいと思ってるくらい、だしっ』
昨晩の彼女の言葉を思い出す。
ずっとこのまま。一生一緒。
それが意味することを想像し、カッと全身に熱が回る。
「確かに……た、楽しいですね。こういう一日もありかなーって、お、思います……」
ヒーターの熱の中。
指が触れ合い、ねとりと交じり、どちらともなくそっと繋ぐ。一瞬視線が合うもすぐに外し、しかし手だけはそのまま。
何だこの空気。
何で手、繋いでるんだ。
意味がわからない。理解ができない。
……でも、悪い気がしない。
このままでいいような気がして動けない。
触れ合うのが嬉しくて、心臓が早る。
「ちょっと暑くなってきちゃったね……」
コートもジャケットも脱いで、上はワイシャツ一枚。
汗ばんだ肩や腕に張り付いて、白い肌が露わになっていた。
ふぅー、と息をついて、シャツのボタンを上から一つ外す。
僅かに覗く黒色の下着と扇状的な谷間に、視線が吸い寄せられた。
見てはいけないと思っても身体が言うことを聞かず、罪悪感と共に網膜に焼き付く。
「……見たいの?」
「えっ!? あ、いやー……その……」
「なに? ハッキリ言って」
「あの……は、ははは……」
笑って誤魔化そうとするも、ハクさんはしゅんと表情から光を落とした。
「……私なんか、興味ない?」
「きょ、興味はあります! ハクさんは魅力的、ですから……!」
気を悪くしてしまったと思い、バカみたいに必死に答えてしまった。何言ってんだ俺と後悔する中、ハクさんは赤面しながらも意地の悪そうな笑みを作る。
「そかそか。ふーん……ふふっ、伊波も男の子だなぁ」
「えぇ、まあ……はい……」
「……じゃあ、も、もうちょっと見やすくしちゃおっか? 伊波はご飯の支度頑張ったし……わ、私も頑張らなくっちゃね……! ハクさん、今日は頑張る日だから!」
余裕ぶりつつも、どこか震えた声音。
細い指先でボタンを摘み、どうにか外す。
下着と肌がハッキリと視界に映りかけた、その時――。
俺はすぐさまコタツ布団を持ち上げ、ハクさんの上半身を隠した。
「……か、勘違いしないでください。見たくないとか、興味がないとかじゃないです。ぶ、ぶっちゃけ見たいです。すごく見たい、です」
ハクさんのプライドを傷つけないよう注意を払いつつ、どうにか言葉を絞り出す。
「ただ……俺は別に、こういうことがしたくて食事の支度をしたわけじゃないので。ハクさんに美味しいって言って欲しくて……それが今、俺が料理をする一番の理由です。だから、自分の安売りをしないでください。お願いします」
彼女は今にも爆発しそうなほど赤面して、キュッとコタツ布団を抱き締めた。
薄い涙の膜が張った瞳をこちらに向けて、ぱちくりとまばたきをする。
「……ごめん。私、伊波の気持ちも考えずにひどいことしちゃった……」
「ひ、ひどくはないですよ! チラッと見えた時、正直メチャクチャ嬉しかったですし!」
……やばい。
勢いに任せて、バカみたいに気持ち悪いことを言ってしまった。
これはまずいなと思ったが、ハクさんはクスクスと笑っていた。よかった、ドン引きされなくて。
「と、とにかく、そういう誘惑みたいなことは、好きな人にだけしてくださいよ。俺が勘違いしたらどうするんですか?」
「……」
何か言いたそうな、じっとりとした視線。
どうしたのか訳を聞こうとした瞬間、ピンポンとチャイムが鳴った。
「あ、来たみたいですね」
「来たって、誰が?」
「猫宮さんとフライフェイスさんです。すごくいいお肉をもらったから一緒に食べませんかって、日中連絡がありまして。だから今日は、四人での夕食です」
「いいお肉!? やったー!!」
ハクさんの了解を取っていなかったのを今思い出すが、この反応を見た感じ大丈夫そうだな。安心した。
「こんばんはー! もうちょー寒いから上がらせてもらいますよ!」
「あ、はい。どうぞどうぞ」
扉を開くと、挨拶もそこそこにリビングに直行する猫宮さん。
今日は狐のお面を装備しているフライフェイスさんは、ペコリと会釈して彼女のあとを追う。……この狭い空間の二分の一が殺し屋って、よく考えたらとんでもないな。
二人の背中を見送って玄関の鍵を閉めた瞬間、「わっ!」と猫宮さんの声が響いた。何事かと急いでリビングに戻ると、彼女は俺を見るなりニヤリと笑う。
「伊波さーん、もしかしてお楽しみの最中でした?」
「帰ロウ、ネコミヤ。我々は邪魔者ダ」
「「え?」」
第二ボタンまで外していたのを忘れて、コタツ布団を手放していたハクさん。
大きな胸とそれを彩る下着がこれでもかと露わになっており、俺は全力で目を背け、ハクさんは小さな悲鳴を漏らした。
◆
「本当にいいんですか? こんないいお肉、俺たちもご馳走になって」
「気にしないでください! お婆ちゃんが、ハクさんに食べさせてあげてって言ってたので! むしろ、押しかけちゃってすみません……!」
テーブルの上に置かれた、雰囲気のある紙袋。
その中身は日本の五大和牛の一角、松坂牛。
三重県で育てられた牛で、100gで安くても約2000円、等級や部位によっては約8000円と凄まじく高い。
どういう経緯かは知らないが、猫宮さんのお婆さん、つまりあのたい焼き屋の店主で商店街の会長がどこからか貰ったそうだ。
「伊波! 伊波! これはどうやって食べるの!?」
「そうですよ伊波さん! 今日はたくさん食べられるように、朝からご飯抜いてるんですから!」
「……腹減ったナ」
それぞれコタツでくつろぎながら、やいやいと声をあげた。
季節は冬。コタツ。上等な肉。――この状況で作る料理など、一つしかない。
「今日はすき焼きにします」
――――――――――――――――――
あとがき
よく『まつさかうし』が正しくて『まつさかぎゅう』は誤りだと言われていますが、これはどちらも正しいそうです(松坂市のHPで確認しました)。なので、作中での読みは『まつさかぎゅう』の方を採用しています。
三重県のブランド牛というと松阪牛ですが、個人的には伊賀牛推しです。こちらは松坂牛と違って脂が少なく、上質な赤身が楽しめます。100gで約1000円ちょっとと比較的リーズナブルですので、機会があれば食べてみてください。
面白かったらレビュー等で応援して頂けると執筆の励みになります。よろしくお願いいたします。
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