第25話 日本人は何デモ生で食う


「じゃあ、始めましょうか」


 テーブルにカセットコンロをスタンバイ。

 その上に鍋を置いて、作っておいた割下を入れて火にかけた。


 今回のすき焼きは、いわゆる関東風。

 醤油と砂糖で味付けしながら食べる関西風とは違い、こっちは割下で肉と野菜を一気に煮込む。どちらも美味しいが、個人的には味が均一になる関東風の方が好きだ。


 ちなみに肉を蒸し焼きにする置賜たまおき風、砂糖を使わない魯山人ろさんじん風などもあるらしく、どこかで一度試してみたい。


「おぉー、いい匂いするー! 早くっ、早くっ!」

「火力ガンガンあげて、一瞬で完成させちゃいましょうよ!」

「中華じゃないんですから、高火力でやったら不味くなるだけですよ」


 そもそも、うちの使い古されたカセットコンロにこれ以上は求めないであげてくれ。もうそろそろ寿命なんだ。


「割下が煮立ってきたので、野菜とかお肉を入れて……っと。よし、あとは待つだけです」

「絶対美味しいやつだ、これ! 私わかるよ、賢いからわかっちゃうよ!」

「もう我慢できないです! 匂いだけでご飯いっちゃっていいですか!?」


 ハクさんも騒がしい人だが、猫宮さんが加わるとより賑やかになり、小学校の給食の時間を思い出した。よかった、隣が空室で。もしも誰かが住んでいたら、苦情は避けられないだろう。


 対して、フライフェイスさんはとても静かだ。

 ……にしても、猫宮さんのとこの服だろうけど、今日もメチャクチャ露出度高いな。こんな時期に肩出しニットとか寒くないのか。


「料理よりもワタシが気にナルのか?」

「えっ? あ、いや、すみません! 何でもないです……!」


 冷たい声音で言われ、俺はすぐさま視線を逸らした。

 するとハクさんがこちらを見て、不機嫌そうに眉を寄せる。……前もそうだったけど、何か俺、ハクさんに悪いことしたか?


「そろそろ卵割っときます?」

「ですね。今持ってきます」


 すき焼きといったら生卵。

 冷蔵庫に向かい、今日買ってきた未開封のパックを取り出す。テーブルに置くと、ハクさんとフライフェイスさんは首を傾げる。


「その卵、どうするの?」

「溶いた卵に肉や野菜をくぐらせて食べるんですよ」

「な、生で食ウのか!? 卵ヲ!?」

「ダメだよ伊波! お腹壊しちゃう!」

「日本人は何デモ生で食う……死にタガリめ……」

「フグとかも食べちゃうもんね……頭おかしいよ……」


 ゴニョゴニョと言い合う外国人組。


 海外では基本、卵の生食はNG。

 火を通して食べるものと教わってきた以上、中々すぐには受け入れられないだろう。


「一応代用として大根おろしも用意してあるので、そっちでも美味しく食べられますよ。……ただ、せっかくなので卵で食べて欲しいですが」


 そう言うや否や、既に卵を割って溶いていた猫宮さんが「いただきまーす!」と声をあげ、ザバッと肉を持ち上げた。どっぷりと卵に浸して、大きく口を開けて一口で頬張る。


「んぅ~~~! ふふふーっ、美味しいですねー! お肉とろけるぅー!」


 百聞は一見に如かず。目の前で実際に食べて見せられて、ハクさんはじゅるりとヨダレをすする。

 おずおずと卵を割って箸で溶く。それを見てフライフェイスさんもあとに続き、二人はおっかなびっくり肉を卵にくぐらせて口へ運ぶ。


「っ!? んぅっっっっま!! うまっ!! ちょーうまいじゃん!! すきやきやばっ!!」


 全力で目を輝かせて、中学生男子のように白ご飯をかき込むハクさん。

 フライフェイスさんは声こそ出さないし、顔が仮面で隠れていてわからないが、まだ肉が残っていないか箸で鍋底を掻いていた。どうやら気に入ったらしい。


「お肉、追加で入れますから。そろそろ野菜も煮えてきたので、ちゃんと食べてくださいね」


 追加の肉に火が通ったところで、俺も自分の器へざぶん。

 肉は若干赤みが残る感じで。これくらいが美味い。

 冷めないうちに食べてしまおう。


「……美味いなぁ」


 松阪牛といったらやわらかさと脂の甘み。

 咀嚼に歯が必要なく、口に含み舌で舐るだけで甘さと共にホロホロと解けてゆく。

 飲み込む前に、すかさず白ご飯。……うん、美味い。


 正直、肉の味を最大限楽しむなら、味が濃いすき焼きは不適格だ。

 サッと焼いて塩コショウ、もしくはポン酢等で食べるのが一番だろう。


 そんなことはわかっている。

 わかっている――のだが。


 すき焼きの“こういうのでいいんだよ”感、“こういうのがいいんだよ”感は、日本人ならきっと誰しもが共感できるもの。


 コタツの上で鍋料理、というのも素晴らしい。

 足を突き合わせて温まりながら、鍋を囲みつつく。


 これより楽しいことは、世の中にそう多くはないだろう。


「……ん?」

「「「……」」」

「あの、俺の肉は?」

「「「うっ……」」」


 最初の一枚を丁寧に味わっているうちに、彼女らは自分たちで肉を追加しまくりほとんど食べてしまっていた。

 それを指摘すると、まるで悪戯がバレた犬のような反応。フライフェイスさんもまずいと思ったのか、自分の器の中の肉をジッと見つめて、渋々といった感じで俺に渡そうとしてくる。


「いやいや、大丈夫です。こんな機会中々ないので、食べちゃってください」


 元々そんなに量なかったしな。仕方がない。

 その代わり、残りは俺が貰うとして……。


「んじゃ、追加の肉持ってきますね」

「ま、まだあるの!?」

「さっすが伊波さん! 今話題沸騰中のデキる彼氏は違いますね!」

「だから、彼氏じゃありませんって」

「……わ、私は別に、彼氏でも……」

「ん゛ぅ!? い、伊波さん聞きました!? 今の聞きました!?」

「えっ? すみません、何ですか?」


 キッチンで追加の肉の用意をしていた俺は、猫宮さんの問いかけに首を傾げた。

 すると女性陣は、一斉にジトッとした目を作った。特にフライフェイスさんの迫力は凄まじく、仮面越しなのに苛つきが伝わってくる。


「一回死ね。鼓膜を張り直シテやる」

「ど、どういう脅迫ですか!?」

「確かに伊波さんは、にぶにぶなの直した方がいいかもですねー」

「にぶにぶとか言われても……」

「……おいで、伊波。フライフェイスに耳、弄ってもらお?」

「いやいやいや! あんまり怖いこと言うなら、お肉持って行きませんからね!」

「「「……」」」


 よほど肉が食べたいのか、驚くほどスンと黙った。

 すげーわかりやすいな、この人たち。


「流石に松坂牛を買うことはできなかったので、普通の牛肉ですけど。でも、十分に美味しいと思うので。――あと、こいつを入れましょう」


 ざばんと鍋に野菜を追加。

 それは、ピーラーで薄切りにした大根。


「伊波さん家、すき焼きに大根入れるんですか?」

「俺が個人的に好きなだけなんですけど、これが結構美味いんです。大根が肉とか野菜から出た出汁を吸って、そいつを卵につけて麺みたいにすすると、ぶっちゃけ肉より満足度高いですよ」


 ごくり。

 三人は俺から鍋に視線を移し唾を飲む。


「あっ、そうだ! 忘れてた! 今日は伊波さんに、お願いしないといけないことがありまして……!」

「お願い? 俺に、ですか?」

「はい! 実は今度、商店街でクリスマスイベントをするんですよ!」


 クリスマス……そうか、もうそんな時期か。


「……それ、俺が参加して具体的に何をやるんです?」

「食品の販売とか? 伊波さんの手料理を食べたい人、めちゃくちゃいると思いますし! ぶっちゃけあたし、今日こうやって実際に食べられてちょー感動してますし!」


 「ぜひ!!」と期待の眼差しをこちらに向ける猫宮さん。

 食品の販売……ということは、俺の料理を振る舞うってことか。わざわざお金を払ってもらって。大勢の人に。


 ……大丈夫なのか、それ。


 嫌な記憶が脳裏を過ぎる。


 念願叶って持った、俺の店。

 開店して数分とせず、轟音共に来店してきたトラック。俺を殴ってレジごと金を奪っていった強盗。灰と化した何もかも。


 またひと前に立とうとして、あんなことが起こったら……?


 商店街のイベントにトラックが突っ込んだから大惨事だぞ。強盗も火事もシャレにならない。それ以上のことが起こる可能性だってある。


 頭の奥がギリギリと痛む。

 ……やめておこう。別に俺が出なくても、イベントには何の問題もないだろうし。


「クリスマスイベント!? いいねー、やろやろ! ついに伊波の料理を世界に知らしめる時が来たってことだよ!」

「えっ? は、ハクさんも出るんですか?」

「いいですねー! んじゃ、伊波キッチンとして出てくださいよ! あたしもフォロワーさん沢山呼ぶので、伊波さんもバシバシ宣伝して盛り上げちゃいましょう!!」


 うぉー!! と勝手に盛り上がる、ハクさんと猫宮さん。


 断るつもりでいたのだが……。

 ハクさんが一緒なら……まあ、大丈夫か。根拠は何もないけど、上手くいくような気がする。すっかりやる気な彼女を、悲しませるわけにもいかないし。


「……あの、伊波キッチンとして参加するなら、告知無しって形でも大丈夫ですか?」

「な、無し? 内緒で出るってことです?」

「最近急に数字が伸びて、自分の影響力を把握できていません。なので、俺やハクさんの呼びかけにどういう人が来るのかも、どれだけの人が来るのかも未知数です。俺が主催のオフ会とかなら何が起こっても責任はこっちで取れますが、商店街のイベントに参加する以上、皆さんに迷惑だけはかけたくないので」


 お世話になっている商店街を盛り上げたい気持ちはあるが、下手に動いて問題が起こったら最悪だ。せっかくのイベントなのだから、皆が楽しめなければ意味がない。

 

「うーん、そうですか……わかりました。だとしても、参加してもらえたら嬉しいです! よろしくお願いします!」


 そう言い切ったのと同時に、俺と猫宮さんは鍋の状態に気づく。


 あれだけ追加した大根が、もう既にほとんどない。

 行き先は言うまでもなく、ハクさんとフライフェイスさんの器。卵に浸したそれをズルズルとすすり、「うまぁー!」とハクさんは声をあげる。


「ちょ、ずるい!? あたしたちの分はどこですか!?」

「ネコミヤ、すまない。この世は弱肉強食ダ」

「全部なくなってる!? ふーちゃんのバカー! い、伊波さん、大根のおかわりは……!?」

「もう、ないですね……」

「うわぁあああああああ!? ……い、いや待ってくださいよ! 駅前のスーパーなら、まだやってるはず! ちょっと買って来ます!」

「だったら俺が行きますよ。ちょうどガスも切れたので、新しいの買わないと。テレビでも見て待っててください」



 ◆



 スマホと財布を持って、コートを羽織り外へ。


「うわっ……結構寒いな……」


 頭上を覆う鈍色の雲。

 はーっと両手に息を吐いて、擦り合わせて温めて。

 冷たい風が頬を刺す中、足早にスーパーを目指す。


「……ふ、ふふっ」


 まだほとんど何も食べられていないのに、自然と笑みがこぼれた。

 大勢で食卓を囲むのは久しぶりだし、ハクさん以外から美味しいと言って貰うのも久しぶりだ。やっぱり俺は、自分が食べるよりも食べてもらう方が嬉しいらしい。


「クリスマスイベントか……何がいいかな……」


 俺一人だったら、間違いなく断っていた。……ハクさんが声をあげてくれたから、勇気が湧いてきた。


 やっぱり、ハクさんがいると心強い。

 彼女と一緒なら、もっともっと頑張れるかもしれない。


「伊波、何で笑ってるの?」

「あぁ、それは――って、えっ!? ハクさん!?」


 部屋に置いてきたはずの彼女が、いつの間にか隣を歩いていた。

 殺し屋スキル発動して気配消すのやめろよ。怖いだろ。


「どうしたんです? 別に買い物くらい、俺一人で十分ですよ」

「フライフェイスに、夜道は危ないからついて行ってやれって言われたの。私と一緒なら、何が起こっても安心だよね!」

 

 どちらかというとそれは、男の台詞な気がするが……。

 まあ確かに、この人の戦闘力なら大抵のことは大丈夫だろう。


「あ、あとね、その……外、寒いでしょ? だから……えっと……」


 「えいっ」と声をあげ、右手で俺の左手を取った。

 心地のいい温もり。汗ばんだ手のひら。猫宮さんたちが来る前にしたように、固く繋ぐ。簡単には離れないように。恋人のように、指を絡める。


「い、伊波の手袋になりに来たんだよ! 料理で使う大切な指が、この寒さで壊死したら大変じゃん!」

「日本をシベリアか何かだと思ってます?」

「とと、とにかく! 何かあったら皆が……特に私が困るしっ! リスク管理、大事! うん、ハクさん賢い!」


 ふふんと白い息を吐きながら、彼女は頬を赤らめた。

 外でこれはいよいよカップルではないか、と思わなくもないが……でも、温かいのは事実。


 ただ寒いだけの夜道も、彼女と一緒だと何だか嬉しい。


「スーパーの帰りにコンビニ寄って、肉まんでも買いましょうか」

「おっ、いいねー! 肉まん好きー!」

「じゃあ、早く買い物済ませないと。あんまり遅くなったら、猫宮さんが泣きそうですし」


 歩幅を合わせつつ、少しだけ早めに足を前に出した。


 二つの白い息が尾を引く。

 十二月の星の下で。

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