第20話 伊波丼にしよう!


 日付が回って、時刻は午前一時過ぎ。

 俺は部屋の灯りを落としてスマホを眺めながら、商店街で買った物を肴にビールを飲んでいた。


 チラリと横へ視線を流すと、ハクさんがベッドで寝ている。

 寝落ちしてから、一切起きる気配がない。


 ……スーツ以外の服着て、疲れたりしたのかな。

 もしくはひったくり犯を捕まえた時のことが、よほどストレスだったのか。


『やっぱりわたし、殺すいがい、何もできないのかなって……!』


 先ほどのハクさんの言葉を思い出し、グッと奥歯を噛み締めた。


 ハクさんはひとを助けることができる。

 そんな優しい人が殺し屋になった背景を想像すると、非常に居た堪れない気持ちになる。


 両親が誰かも、自分がどこの国の生まれかもわからないと言っていた。

 以前の配信では、物乞いをして過ごして、お腹が空いてパンを盗んで殺されかけたと言っていた。


 たぶん……いや絶対、他にも沢山の惨い経験をしてきたのだろう。

 俺の想像力では到底思いつかないような方法で、なぶられ奪われ踏みにじられてきたのだろう。


 バカみたいに食べるのも、食べられる時に食べておかないと死ぬ、という刷り込みがあるからじゃないのか。


 ……だとしたら、何だか虚しい。

 何も心配せず、ただ純粋に食事を楽しんで欲しい。


「あぁー……ダメだ。ちょっと酔ってるな」


 センチメンタルな気持ちになり、ぐーっと眉間を押さえた。

 小さく深呼吸して、残り僅かなビールを飲み干す。


 そして、再びハクさんに目をやった。

 何度見ても、ため息が出るほど美しい。


「日本とかで生まれてたら、全然別の人生だったんだろうな……」


 これだけ美人で、喋れば人懐っこいときた。きっとクラスの人気者になっただろう。勉強も運動も頑張るタイプだろうし、いい学校、いい職場に恵まれたに違いない。


 でもそうなると、俺みたいな高卒の借金持ちと接点ができることはないな。


 まあ、それならそれでいいか。

 ハクさんが幸せなら、何でも。


「……いいのか、本当に」


 そう自問して、天井を仰いだ。


 ハクさんと出会わなければ、たぶん今も惰性で動画を作るだけの日々を送っていた。

 彼女が美味しいと言ってくれた日から、ずっと毎日が慌ただしくて楽しい。


 あの人の笑顔が好きだ。

 意味もなく知ったかぶりをするところも、ポンコツなところも、遠慮がないところも好きだ。


 一緒の時間は心地よくて、別れの時間が惜しくて、また明日と手を振るのが嬉しい。

 それが丸々無くなってしまって、本当にいいのか。


 ……あぁ、そっか。

 ハクさんの幸せを願っているのに、どうしてこんなにモヤモヤするのかわかった。



「俺、ハクさんのこと……――」



 と、言いかけて。

 パシッと頬を叩き、喉まで出かかった言葉を飲み込む。


 やっぱり酔ってるな、今日の俺。

 何を妙なことをうだうだと考えてるんだ。学生でもないのに。


 大体、ハクさんの別の人生を勝手に想像して、それに対して勝手にへこむとかバカか。


 あー、恥ずかしい。

 やめだ、やめやめっ。


 酔いざましに何か食べよう。


「味の濃いものがいいよなー」


 キッチンに移動して、冷蔵庫の中身を確認。

 玉ねぎを取り出し、手早くくし切りに。

 醤油、みりん、酒、砂糖、顆粒和風だし、そして水を鍋に入れ、そこに玉ねぎをポイ。

 中火で煮て火を通し、溶き卵を加えていい具合の半熟になったところで火を落とす。


 玉ねぎの卵とじができた。

 塩気と甘さの混じった匂いが堪らない。


「ご飯ご飯……っと」


 元々今日は料理をする予定だったので、事前にご飯を炊いていた。

 どんぶりに適当な量を盛って、そこに商店街で買った揚げ物を乗せる。

 コロッケと唐揚げ……おっ、シソの天ぷらもいいな。さっぱりするし。


 そしてここに、先ほど作った卵とじをぶっかけて完成。


「いただきま――」

「わぁー、美味しそー」

 

 キッチンで立ったまま食べようとしていた俺に、いつの間にか起きていたハクさんが声をかけてきた。

 まだ目が半分寝ていたり、寝癖がついていたり、口の周りにヨダレのあとがあったりと、いつもより間が抜けていて可愛らしい。


「おはようございます、ハクさん」

「……お、おはよ。また酔って迷惑かけちゃってごめんね? あと、ベッド貸してくれてありがと……」

「気にしないでください。それより、ハクさんも食べますか?」

「いいの?」

「起きてすぐ食べるのには味が濃すぎるかもしれませんが、それでもよければ」


 ふんふんっ、と勢いよく首肯するハクさん。

 どんぶりをもう一つ出してご飯を盛り、揚げ物をライドオン。

 同じように卵とじをかけて、完成だ。


「いただきまーす!」


 リビングへは行かず、キッチンで並んで立ち食い。

 ハクさんは丁寧に手を合わせて、どんぶりをかき込む。


「ん~~~っ! うまっ! 何これうまー!」


 もちゃもちゃと幸せいっぱいな表情の彼女を横目に、俺も一口食べた。


 うん、美味い。

 シナシナになってしまった揚げ物も、こうするとまったく気にならない。玉ねぎと卵の甘みが溶けだした汁を衣が吸っており、これがまた絶品でご飯が止まらなくなる。


 シソの天ぷらもぱくり。

 んーっ、美味い。


 唐揚げとコロッケの油が溶けだして全体的にこってりと仕上がっているため、シソの清涼感が抜群に合う。


「これは何て料理なの?」

「余り物をご飯に乗っけて卵とじをかけただけなので、名前とかないですよ。スーパーの半額総菜とか買って、よく作ってたんです」

「へぇー。じゃあこれは、伊波丼にしよう! ハクさんのセンスが光るナイスネームだね!」


 センスとかナイスとか、自分で言うのか。

 ……まあ、いいけど。ハクさんらしいし。


「伊波がまたお店やることになったら、絶対看板メニューはこれだよ。一万円くらいで売れるかな?」

「どんな食材使ったら、どんぶり一杯でそんな値段になるんですか。てか俺、もう店やるつもりありませんし」

「えっ、そうなの?」


 そう言って首を傾げたハクさんのどんぶりは、もう既に空っぽだった。

 あ、相変わらず早いな。もう一杯作ってあげよう。


「借金全部返したら、またチャレンジすればいいじゃん。伊波の料理美味しいし、絶対人気になるよ!」

「俺には向いてないってわかったので、もう十分です。二度も失敗したくありません」

「……ふーん、そっか。残念だなぁ。私も何かお手伝いできるかなって、思ったんだけど」

「は、ハクさんも……?」


 その問いに対し、小さく頷いて俺を見つめた。

 数秒の沈黙のあと、彼女はバツが悪そうに右へ左へ視線を泳がせる。


「ご、ごめん。気分悪くしちゃった? お店のこととか全然知らないのに、勝手なこと言っちゃったね。私、何にもできないのに……」

「そんなことありません!!」

 

 うわっ、と自分の声に驚く。

 何時だと思ってるんだ、俺。もう少し声量を考えろよ。ハクさんもビックリしてるだろ。

 

「あ、いや、その……ハクさんが手伝ってくれるなら、何とかなるかなと思って。実際チャンネル運営も上手くいってますし、店舗運営も同じような感じで……」


 つらつらと理屈を並べて。

 いや違うな、と首を横に振る。


「……あと単純に、ハクさんと一緒ならやりたいなって思うんです。一緒にいて、こんなに楽しい人は他にいないので」


 運営がどうの、数字がどうの、そんなのは二の次。どうでもいい。

 こっちが俺の本音だ。


 ハクさんは視線を落とし、モジモジと身体を揺すって、時折俺を見て頬を染める。


「……私といるの、そんなに楽しいんだ」

「はい」


 すかさず肯定する。

 ハクさんはピクッと身体を震わせて、銀の瞳に俺を映す。


「ず、ずっと一緒にいたいの……?」

「ずっと……の定義にもよりますが、ハクさんの邪魔にならない程度には」

「伊波を邪魔に思ったことなんてないよ。……い、一生一緒でも、いいと思ってるくらい、だしっ」


 俺の服の袖を握り、ジッと上目遣いで見つめた。


 一生――そんなあやふやで子供っぽい言葉に、心臓が激しい鼓動を奏でる。

 ハクさんなりのジョークか、意味もわからず言っているだけかもしれないのに、本気にしたくなってしまう。


 一旦落ち着こう。

 そう思って深呼吸するも、血流は加速するばかり。


 彼女は俺を見つめるだけで、何も言葉を発さない。


 と、その時。

 袖から手を放し、すぐさま俺の人差し指を握った。


 そのまま侵食するように他の指を絡め取り、最終的には恋人のように繋ぐ。


 汗が滲む。

 感触を確かめ合う。

 両の瞳は依然、こちらを見つめたまま。


 熱い視線に唾を飲み、身体を寄せ合い。

 俺は無意識のうちに、空いたもう片方の手を彼女の腰に回していた。


 どこへもやらないよう、そっと。


「俺も……一生、一緒にいたいって、思ってます……」


 いつの間にかこの口は、そんな言葉を吐いていた。

 恥ずかしいのに、悪い気はしない。なぜか後悔もない。


 視線を絡めて、引っ張って。

 そっと、鼻先が触れ合う。


 感じる吐息。

 揺れる瞳。

 艶やかな唇。


 ふと、酔ったハクさんにされたキスがフラッシュバックする。


 はずしちゃった、と彼女は言った。

 残念そうに、そう言っていた。


 だが、たぶん今ならそうならない。


「……っ」


 何かを受け入れたように、ハクさんは瞼を落とした。

 長い睫毛が銀の瞳を隠し、代わりに細い指に力を込める。俺の手をいっそう強く握り、引っ張り、を催促する。俺もそれに応えるように、彼女の腰に回した腕に力を入れる。


 ――ブーッ、ブーッ、ブーッ!


「「っ!?」」


 静寂を劈くバイブ音。

 俺たちは同時にバッと距離を取り、苦笑いを交換した。


「あっ! わ、私に電話だっ!」


 リビングに戻って自分のスマホを取り、十数秒程度誰かと話した。

 そしてピッと通話を切り、「帰らなきゃ……」と残念そうに漏らす。


「本当に今日は、色々迷惑かけちゃってごめんね。じゃあ、また明日!」

「は、はい。また明日……」


 バタバタと帰り支度をして、彼女は足早に去って行った。


 玄関の扉の鍵をかけて、下手くそな作り笑顔を崩す。

 わしゃわしゃと頭を掻いて、「あぁ~~~~っ」と悶絶しながらその場にしゃがみ込む。


「……俺、何しようとしたんだ? い、いやいや、ダメだろあれは……!」


 酒に酔い、おかしな雰囲気に惑わされ、流されそうになってしまったことを激しく自己嫌悪しつつ。

 瞼を閉じてこちらを待っていた彼女の表情を思い出し、かつてないほど心が揺さぶられた。

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