第15話 おやすみなさい


 古い夢を見ていた。

 母さんが死んで、親戚の家に引き取られたあとのことだ。


 別に暴力を振るわれたとか、そういう経験はしていない。


 単純にそこの家族は仕事に明け暮れていて、俺はいつも家に一人きりで、ずっと寂しかった。


 料理を作って気を引こうにも、全て外食で済ます人たちだったので、手すらつけてくれない。

 何の連絡もなく長期間帰って来ないこともよくあり、ただ同じ屋根の下で暮らすだけの他人といった感じ。


 そういう家だから、体調を崩すといつも大変だった。


 看病などしてくれるはずもなく、そもそも俺の不調など気づいてすらおらず、治るまでひたすら布団にこもる毎日。

 辛くても、心細くても、お腹が空いても、自分で何とかしなければいけない。


「……ん?」


 熱にうなされながら一人うずくまっていた少年時代の夢が晴れ、見慣れた天井が現れた。


 それと、何だか美味しそうな匂い。


 ……これは、ニンニクと生姜か?

 いやでも、どっからこんな匂いが……。


「あ、伊波起きた 大丈夫? 具合はどう?」


 台所の方から、エプロン姿のハクさんがやって来た。

 おまけにポニーテールで、見慣れない姿に心臓が跳ねる。


 いつものスーツ姿もいいが、こっちはこっちで生活感があって素敵だ。


「具合はまあ、ぼちぼち……っていうかハクさん、まだ帰ってなかったんですか? あっ、お腹空いたから俺が起きるの待ってました?」


 そういうことならすぐに作ろうと立ち上がりかけて、「違う違う!」と彼女から制止された。


「私、ご飯作って待ってたの! 伊波に食べてもらおうと思って!」

「……えっ? は、ハクさんが作ったんですか? 俺のために?」

「そうだよ。配信つけてリスナーの皆に相談しながら、だけど……わ、私なりに頑張ってみた!」


 俺が昨日、配信についてあれこれ説明したのを覚えていたのだろう。


 まさか早速実践し、料理まで作ってしまうとは。

 この人すごいな……。


「起きたばっかだけど、食べられそう? それとも、もう一回寝る?」

「いや、食べます。実は今日、水しか飲んでなくて。食べられる時に食べて薬飲んでおかないと、治るものも治りませんし」


 「わかった!」と彼女は返事をして、用意をしに台所へ戻った。


 その背中を見ながら額に手をやる。

 ……これ、熱上がってるな。どうりで頭がフワフワするわけだ。


「お待たせ! さっ、どうぞ食べて!」


 黒い器に盛られた、ニンニクと生姜が香るおかゆ。

 鶏肉も入っており、小口切りされたネギで彩られ、食欲をそそられる。


「伊波が紹介してたレシピ通りに作ったんだけど……私、料理するの初めてだからさ。どっか間違ってたらごめんね?」


 俺が紹介したレシピ……?

 あぁ、あのおかゆの動画か。結構初期の頃にあげたやつで、全然伸びなかったっけ。


「……見た感じ、すごくよくできてますよ。ありがとうございます、ハクさん。じゃあ、いただきます」


 スプーンを手に取り、一口分を掬って持ち上げた。

 だが、手から力が抜けておかゆごとスプーンは布団に落下。器も落としかけるが、すんでのところでハクさんがキャッチして事なきを得る。


「伊波は何もしないで。私が食べさせてあげるから」

「へっ? あ、いや、それはちょっと……」

「危なっかしくて見てられないもん。いいから甘えて。頼りになる伊波は好きだけど、頼ってくれる伊波も私は好きだよ」


 「ねっ?」とハクさんは俺に微笑みかけて、白い歯を覗かせた。

 眩い笑みにそれ以上何も言うことができず、彼女がおかゆに息を吹きかけて冷ますところをただ眺める。


 ……何かこう、言語化できないけど。

 いいな、これ。


「さあ、口を開けてっ!」

「……っ……は、はい」


 果てしなく恥ずかしいが、素直に従った。

 咀嚼する俺を、彼女は不安そうな面持ちで見つめている。


「……心配しなくても、すごく美味しいですよ」

「ほ、本当!?」

「はい。俺よりもずっと上手です」

「そう? へへ、そうかなぁ? まあ、そうだよね! ふっふーん! ハクさんはやればできる子だから!」


 調子よく笑って、二口目を冷まし始めた。

 それを頬張り味を褒めると、彼女は上機嫌に喉を鳴らす。


 ……ぶっちゃけた話、風邪のせいで正確に味がわからない。もしかしたら、俺は嘘をついているのかもしれない。


 でもこういうのは、味がどうとか、そういう話ではないと思う。

 作ってくれたことが、嬉しい。

 この感情は、単純な味の良し悪し以上に価値がある。お店に行ってもまず置いていない、そういう価値だから。


 そもそもこのおかゆは、俺が子供の頃、母さんが作ってくれたものだ。

 その味を再現し、動画にしてネットに残した。

 よりにもよってそれを、ハクさんが作ってくれるとは。


 懐かしい温もりに、思い出される日々に、自然と口元が綻ぶ。


「……美味しいって言ってもらうのって、こんなに嬉しんだね」


 小さく呟いて、俺の口の端についたご飯粒を指で取り除きチロリと舐め取る。


「ずっと誰かから奪うばっかりの人生だったから、全然知らなかった。……私、料理好きになっちゃったかも」


 銀色の双眸に薄い涙の膜を張って、えへへと恥ずかしそうに唇を緩ませた。


 たぶん、昔の俺もあんな顔をしていたのだろう。

 アルバムをめくっているような感覚に襲われ、何だか俺まで嬉しくなる。


「じゃあ、今度一緒に作りますか?」

「いいの!?」

「体調がよくなったら、ですけど。その前に、ハクさんの分のエプロンを買いに行きましょう」

「じゃあ、またお出かけだね! やったー、楽しみ!」


 不意に脳裏を、親戚の家で過ごした孤独な日々がよぎった。


 独り立ちしてからも、それは変わらない。

 おまけに借金まであって、お先真っ暗。


 ……でも、今は違う。


 俺のことを頼ってくれて、俺が頼っても嫌な顔をしない人がそばにいる。

 体調は最悪なのに、嘘みたいに胸が軽くて不安がない。


「早く行くためにも、いっぱい食べていっぱい寝て、風邪治さなきゃ。はい伊波、あーんして?」

「は、はい」


 照れつつも大人しく甘えて、程なくしておかゆを完食。

 薬を飲んだところで、ハクさんに促されベッドに横になる。


「体調悪い時に一人で寝るのって心細いでしょ? 私、伊波が寝るまでそばにいるからね」

「それは嬉しいんですけど、でも、あんまり長くいてうつったりしたら……」

「大丈夫! 私、風邪ひいたことないから!」


 得意そうに胸を張るハクさん。

 バカは風邪ひかない、という言葉が一瞬頭に浮かぶも、失礼過ぎるのですぐさま追い払う。

 

「もしうつっちゃったら、今度は俺がハクさんを看病しますよ」

「本当? そばにいてくれる?」

「はい。気が済むまで、ずっといます。辛い時に一人なのって、寂しいですから」

「……そうだね」


 何かを思い出したのか、憂い気な表情で頷いて俺の手に触れた。


 おかゆが入った器を持っていたからだろう。その手は汗ばんでおり、俺の手汗と交わりぬらりと滑る。

 そのまま落ちて行かないよう、俺はそっと握って捕まえた。彼女はピクッと身体を震わせ、こちらを見つめて唇で緩やかな弧を描く。


「おやすみ、伊波」

「おやすみなさい、ハクさん」


 言葉を交わして、ゆっくりと瞼を落とした。


 闇の中でも、彼女の体温は確かにそこにある。

 その心強さを噛み締めながら、俺は睡魔に意識を託した。




 ◆




『だーかーらー! 違うのっ、違うからー! 伊波は私のだし、誰かに取られちゃ嫌だけど、そういうのとは違うんだよ! …………た、たぶん……違うと、思う……』


 数日後。

 どうにか全快し、何の気なしにハクさんがおかゆを作った際の配信を観ていた。


 終盤の部分。

 ハクさんはリスナーたちの玩具と化し、俺への好意をこれでもかと電子の海に放流していた。恥ずかしいやら嬉しいやらで、どういう顔をすればいいのかわからない。


「……落ち着け、俺。あの人は友達が俺しかいないんだ。だから、友愛と恋愛の違いもわかってないだけなんだよ……」


 実際そうだと思うし、そもそも彼女がうちに来るのは俺を殺すのが目的だ。ターゲットに劣情を抱いたりはしないだろう。たぶん。


「い、いやいや……嘘だろ……」


 リスナーの一人が送ってきたDM。

 そこに貼られていたリンクをクリックすると、人気カップルYouTuberランキングなるものに飛んだ。


 本来、俺とは縁もゆかりもないランキング。

 それなのに、なぜかうちの『伊波キッチン』が3位にランクインしていた。


 期待の超新星だとか、彼女が可愛すぎて羨ましいだとか、私も料理の上手い彼氏が欲しいだとか……。好き勝手書かれており、もう完全に世間からはカップルだと思われているらしい。


 何でこうなった。

 うちはついこの前まで、至って普通の料理チャンネルだったはずだろ。


「……どうするんだよ、これ。いやでも、どうにもならないよなぁ……」





――――――――――――――――――

 あとがき


 ということで、第1章完結です。

 明日から第2章に入ります。


 元々この作品、殺し屋の主人公がVtuberにどハマりして、自分もVtuberになってトンチンカンなこと言いながらFPSで無双する、みたいな話だったんですよね。それがこう、ごちょごちょ弄ってるうちにこうなりました。どうしてこうなった。


 面白かったらレビュー等で応援して頂けると執筆の励みになります。よろしくお願いいたします。

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