第11話 初めてあげちゃった
「おぉー伊波さん。やっと来たかい、待ってたよ」
「す、すみません、遅れちゃって!」
赤身の塊が入ったら教えて欲しいと少し前から話しており、つい今朝、入荷したとの連絡を受けた。
その際、店に行く時間も伝えていたのだが、時計を見ると二十分以上オーバーしている。俺が頭を下げると、店長さんは「いいって」と厳つい顔を緩めて笑う。
「ここから見てたぜ、色んなやつに揉みくちゃにされてたとこ。そんな可愛い彼女連れてたら仕方ねえよなぁー」
「違います。彼女じゃありませんから」
「へいへい。んじゃ、こいつが注文してたやつだ」
ドンとショーケースの上に置かれた肉の塊。重量二キロの赤身だ。
中々お目にかかることのないインパクト抜群なそれに、ハクさんは「おぉー!」と声をあげる。
「きょ、今日これ食べるの!? すっごい大きい! 絶対美味しいやつだよ!」
「これは今度調理するので、少し待っててください」
「ん? 伊波さんが出してる動画に、その子も出るのか?」
「動画というか、配信というか……まあ、はい。わけあって、彼女と一緒に撮影しています」
「そういうことは先に言えよー。お姉さん、ケースん中から好きな肉言いな。オマケしといてやるから」
「いいの!? オジさん優しいー! ありがとう!」
「へ、へへっ、まぁな」
……強面で有名な店長さんが一撃で陥落した。
何だそのだらしない顔。奥さんの前でもしないだろ。
「じゃあ、えーっと……これくださいな!」
「おう、いいぜ。こっちのも美味いから入れとくな」
「えっ、いいの!?」
「ついでにこれとこれも食ってくれよ。美味いから」
「やったー! ありがとう!」
「あとこれとこれも……よし、こいつもサービスだ!」
今夜の焼肉用の肉もここで購入する予定だったのだが、俺が何か言う間もなく店長さんが肉を積み上げていった。サービスに次ぐサービスで、どう見ても赤身の塊以上の量になっている。
「……あ、あの、本当に大丈夫ですか? 俺、お金払いますよ?」
「バカ野郎! 男が一回出したもんを引っ込めさせんじゃねえ! ちゃんと美味く調理して食わせてやってくれよな、伊波さん!」
「は、はぁ……はい、わかりました……」
赤身の分のお金をしか受け取って貰えず、代わりに値段以上の肉が返って来た。
今後は極力、この店で買い物をしよう。
じゃないと、流石にこれは申し訳ない。
「それじゃ、帰りましょうか」
来た道は引き返さず、商店街を抜けるため先へ進む。こっちの方が家に近いのだ。
お肉の入った袋を俺と半分ずつ持って、上機嫌に鼻歌をうたうハクさん。……今更だが、こうやって遠慮なく善意を受け取れるのも才能だよな。俺には絶対真似できない。
「もしかしてさ、伊波って有名人なの?」
「え? 何でですか?」
「だって今日話した人たち、皆が伊波のこと知ってたよ」
あぁ、そのことか。説明してなかったな。
「最初に会ったたい焼き屋のお婆さん、覚えてますか。あの人、この商店街の会長さんなんです」
「ボスってこと!? 超すごいじゃん!」
「その会長さんのお孫さんもここに店を出してるんですが、俺のチャンネルを見てくれてて。お喋りな人なので、あちこちで勝手に宣伝してるんですよ」
噂をすれば何とやら。
服屋の前を通った瞬間、「あっ!」とプリン頭のギャルが飛び出して来た。今話していた伊波キッチンのリスナーで商店街に俺の名を広めた張本人、
「ちょ、待ってまってまって! やっっっば! マジヤバすぎですっ!」
語彙が乏し過ぎて何を言っているのかわからないが、とにかく何かがやばいらしく忙しそうに俺たちの周りを回っていた。しばらくして立ち止まると、ぐいっとハクさんに近づいて顔を覗き込む。わけがわからないようで、ハクさんは目を白黒させる。
「肌綺麗すぎだし、髪の毛つやつやだし、スタイル良すぎだし、お人形さんみたい……! うわぁ、可愛いなぁ……可愛い、可愛い、可愛い! 配信で見るよりちょー可愛いですね!」
「猫宮さん、あんまり見たら失礼ですよ」
「あっ! そ、そうですね! ごめんなさーい!」
ふっと距離を取り、人懐っこく笑う。
「猫宮でーす! ここでアパレルやってて、伊波さんの初期からのリスナーでもあります! よろしくお願いしまーす!」
ハクさんの手を勝手に握り、ぶんぶんと熱い握手を交わした。
何だこの人は、と彼女が目で助けを求めてきたので、「さっき言ってた、会長さんのお孫さんです」と紹介する。
「ボスのお孫さん!? じゃあ、偉い人ってこと……!?」
「そうですよー! あたし、めちゃ偉い人です!」
「ハクさん、そんな余計にかしこまらなくていいですよ。猫宮さんも悪ノリしないでください。この人、本気にしちゃうので」
そもそも、商店街の会長をボスって呼ぶのも何か変だし。
そこに秒で乗れる猫宮さんも中々だ。どういうこと? とか疑問に思わないのか。
「ってか伊波さん、チャンネル登録者めちゃ伸びてますねー! もう11万人突破してるじゃないですか! おめでとうございます!」
「あぁ、はい。ありがとうございます」
そう。つい昨日10万人を突破したばかりなのだが、今朝見たら11万人になっていた。
それもこれもハクさんのおかげ。彼女には頭が上がらない。
「最初の殺し屋のくだりはよくわからなかったんですけど、ハクさんの美味しそうなリアクション、めちゃ中毒性あって好きです! 伊波さんがテキパキと料理するのも見てて爽快ですし、二人の絡みもクスッと笑えて、丁度よく間がダレなくて最高です! 外国人の食レポってだけで一定の需要ありますけど、それが美少女ってなると数字の伸び方やばいですね! 配信の映像、編集して動画にしたらもっと伸びますよ! 切り抜きも自分で作って出しましょ! 何だったら、アタシが手伝いますから!」
早口でまくし立てられて半分以上何を言っているのかわからなかったが、とにかくぐいぐいと迫って来て圧が凄まじい。
猫宮さんは俺がチャンネル登録者1000人とかの頃から見てくれていて、ああしてはどうか、こうしてはどうかと顔を合わすたびに提案してくる。しかもこれがかなり的確で、実際に彼女の言うことを試した結果かなり伸びた。
彼女自身、InstagramやTikTokで相当なフォロワーを持つインフルエンサー。
平均年齢高めなこの商店街を若返らせようと、若者向けのショップを出してかなり繁盛させている裏には、SNSでの緻密なマーケティングが隠されている。
「……っ」
そっと、俺と猫宮さんの間にハクさんが割り込んだ。
なぜかこちらを見上げて、ムッと頬を膨らませる。
「私も手伝うし……! リアクションとショクレポとキリヌキ……わ、私も手伝うから……!」
「手伝うって、猫宮さんが何言ってたか理解できてないでしょ」
「理解できてるよ! 私、何でも知って――」
「ハクさんにはもう既にとてつもなく助けられてるので、これ以上何かされたら俺が申し訳なさで死んじゃいますよ」
「伊波、死んじゃうの!? ダメだよそんなの!」
「いや、今のはものの例えで……」
めちゃくちゃショック受けた顔してるけど、自分が俺を殺しに来てること忘れたのか? いや、そのまま一生忘れててくれた方が助かるけど。
「とにかく、ハクさんは今のままでいてください。猫宮さんと張り合わなくていいんです。美味しいって言ってくれることが、俺にとっては一番嬉しいので」
「そ、そう……?」
「はい」
「……わかった」
自信を取り戻したのか、ふふんと上機嫌に笑って元の位置に戻った。
その様子を眺めていた猫宮さんは、嫌らしい笑みを俺に向ける。
「こんな可愛い彼女、どんな弱味握ってモノにしちゃったんですか……?」
「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。彼女じゃないですし」
仮に彼女だったとしても、弱味って何だよ。
俺のことを何だと思ってるんだ。
「ってか伊波さーん。配信ですっごい額のスパチャ、もらってますよねー? 今、服欲しかったりしません?」
よって行けよ、と猫宮さんは親指で自分の店を指す。
俺はため息をついて、手に持ったお肉を一瞥する。
「収益の振り込みは月末なので、俺の財布にはまだ一銭も入ってません。そもそも、生モノ持った状態で時間のかかる服選びなんてできませんよ」
「あっ! だったら、ハクさんにコートのプレゼントとかいかがです!? ピッタリなのが入荷してるので、ちょっと持ってきますね!」
「い、いやだから――」
俺の話などまるで聞いておらず、勝手に喋って店に引っ込んでしまった。
このまま帰ってやろうかと思った矢先、「お待たせしましたー!」と戻ってきた。
「これですよ、これこれ。ちょっとハクさん、着てみてください!」
猫宮さんが持っていたのは、ベージュのトレンチコートだった。
スーツとの組み合わせは言わずもがな、ハクさんの容姿にもよく似合っている。
「猫宮さんのお店って、こういうのも扱ってるんですね。全然店の雰囲気に合わない感じですけど」
「知り合いが廃業しちゃって、その時に在庫を買い取ったんですよ。まだどう売るかは未定ですが、とりあえずこれは絶対ハクさんに似合うと思って除けておきました!」
ということは、いつか俺が商店街に来たら売りつけようと思って準備していたのか。
厚かましさもここまで来ると、一周回って尊敬できるな。
……しかし、本当に似合う。
ハクさんの美しさを引き立てせているというか、存在感がグッと上がった感じがする。
「ちなみにこれ、いくらです?」
「定価は三十万くらいだけど、今回は特別に三万円でいいですよ」
「やっす!? いや、絶対おかしいでしょ! 元々それくらいの値段なんじゃないですか!?」
「し、失礼な! 流石にそんな商売はしませんよ! 格安で買い取ってますし、チャンネル登録者が伸びたお祝いってことで値引きしてるんです! ぶっちゃけ、超絶大赤字ですからね!」
ずるい言い方だ。
そこまで言われてしまうと買わないわけにはいかず、俺はポケットの中から財布を取り出した。
「あの、そのっ……い、伊波……?」
クレジットカードを出しかけたところで、おずおずとハクさんが声をあげた。
「どうしました? もしかして、コート気に入りませんでした?」
「そ、そんなことないよ! 伊波がくれるものなら、何でも嬉しいよ!」
「でも……」と力なく呟いて、店の方へ歩いて行った。
「どうせ買ってくれるなら、二人でお揃いにできるのがいいの。こういうのとか可愛くていいなって思うんだけど……だ、ダメかな?」
店先に並ぶ、数百円のキーホルダー。
それらを指差して、眉を寄せながらこちらの機嫌をうかがう。
その少しでも触れたら砕けてしまいそうなほど儚い表情があまりに可憐で、俺は頬の熱さに耐えきれず顔を伏せた。猫宮さんに至っては「ん゛う゛っ!!」と謎の野太い声をあげ、その場でうずくまる。
「やっっっっばぁ……やばすぎるぅー……!! 可愛いよぉ、お持ち帰りしたいよぉー……!!」
「ダメですよ猫宮さん。犯罪ですからね」
「だ、だって、今の見ました!? ピュアピュア過ぎて目が潰れるかと思いましたよ!! むしろ第三の目が開眼するまでありますから!!」
言っている意味はよくわからないが、その感動には共感できる。
三十万のコートよりお揃いのキーホルダー。俺だって何とか平静をたもっているが、気を抜くと口角が緩んでしまう。
「よぉーし、わかりました! 出血大サービスです! お代はキーホルダーの分だけで結構なので、コートはオマケってことで持って行っちゃってください!」
「い、いやいやいや、ダメでしょ! あれ、定価三十万なんですよね!?」
「んー……まあ、元々三万で売る予定でしたし。スパチャだと思えば妥当かなって」
何でもなさそうに言うが、今日はもう既にいくら分もらったかわからず心臓がキリキリと痛む。
しかしハクさんは特に気にせず、「ありがとう!」と明るい笑顔を咲かせた。それを見た猫宮さんは、にちゃぁと粘度の高い笑みで返す。
「キーホルダー、どれにしよっか。私はこれとか可愛いと思うけどなぁ」
「いいですね。じゃあ、それにしましょうか」
「ちゃんと考えてよ! ていうか、伊波が決めて!」
「えっ……? あー……えっと、じゃあ……」
異性に何かを贈るなど生まれて初めて。
嫌に緊張して喉が渇く中、モコモコとしたウサギのキーホルダーを選ぶ。
ちょうど小銭があったため、その場でお会計。「まいどあり」と猫宮さんは小銭受け取り、ポケットにしまう。
「伊波、ありがとう! 一生大事にするね!」
「い、一生って、それよりもコートを大事にしてくださいよ。キーホルダーなんていつでも買えるんですから」
嘆息気味に言うと、ハクさんはほんのりと頬を朱色に染めた。
「もちろんコートも大事にするよ? でも、誰かとお揃いって憧れてたからさ。……えへへっ。また一個、私の初めてあげちゃった!」
ウサギを手で包み込み、ニッと白い歯を覗かせたハクさん。
誤解を生むこと間違いなしなその言葉に、猫宮さんは「ん゛お゛っ!!」と再び極太の声を漏らして悶絶した。
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